ザ・グレート・展開予測ショー

逢魔の休日 -No Man Holiday- <Scene 1>


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(04/ 7/28)

放り出されるようにしてヴァチカンを後にすると、あとはすることがなくなった。
腹の虫が収まらない美神は、おキヌを連れてショッピングへ繰り出して行ったが、当然のごとく横島の同行は許されるはずもない。
このままホテルに戻って、美神たちが帰ってくるまで待っていてもよかったが、せっかくローマくんだりまで来たのに何もしないというのも味気ない。
幸いというべきか、金はないが時間は充分にある。
どこに行く目当てがあるわけでもないが、気の向くままにぶらついて暇をつぶすことに決めた。

巡礼者と観光客でにぎわうサン・ピエトロ広場の回廊を抜け、まっすぐに伸びる通りをぶらぶらと歩く。
やや赤みを帯びた石造りの街並みの背後に、地中海性気候特有の澄み切った青空が広がっていた。
初夏の訪れを告げる日差しは強いが、湿気が少ないため汗ばむほどではない。

ほどなく歩くとやがて、ゆったりと流れる水の匂いと、河岸の鮮やかな緑が目に映る。
左手には、円筒形の城塞が堂々たる威容を誇るサンタンジェロ城があるがそれには目もくれず、引き寄せられるようにテーヴェレ川の辺りに足を向ける。
川沿いに並ぶ屋台からコーラを買い、欄干に寄り掛かりながら、橋を行き交う人の群れを眺めていた。

何も考えずにしばらくの間そうしていたが、不意に何かが横島の気を引いた。
頭を上げて凝視するまでもなく、それはすぐに見つけられた。
天使像が飾られたサンタンジェロ橋を、城から出てきた観光客に混じって遠ざかる、一人の女の後ろ姿が目に入った。
久方ぶりに見る彼女は、ここにいるのはあまりにも不自然に思えたが、かつて共に暮らした女を見間違えるはずもない。
とけ残った氷を口の中に放り込むと、横島はその後を追いかけていった。

前を行く女はとくに急ぐ様子でもなく、ゆっくりと歩いていく。
その脇を、せかせかと進むツアー客の一団が追い抜いていった。
ちょっと走れば簡単に追いつけそうであったが、あえてそうはせずに間隔を保つようにしてついて行った。
それにしても、と見失わないように注意しながらも、横島は首を傾げる。
なんで、こんなところにいるんだろう、と。

うまくその正体を隠しているとはいえ、いわば敵対勢力の一大拠点であるこの地に一人でいるというのは、あまりにも無謀に思えた。
そういえば軍に入ったとか言っていたな、と人づてに聞いたことを思い出し、何かの任務行動か、とも思った。
だが、後ろから眺める女の足取りは至って自然で、とても周囲に注意を払っているようには見えなかった。

そんなことを考えているうちに、あやうく雑踏に紛れて女を見失いそうになった。
少し小走りに駆けて間合いを詰め、特徴のある赤い髪が路地に逸れていくのを追いかける。
重なり合うようにして建つ古い家々の脇を抜け、地元の買い物客で賑わう市場を掻き分けながら歩いていく。

女は時折足を止めてはいろいろな品々を冷やかしてみたり、店の親父に軽く手を振ってみたりしていた。
そうかと思えば、大胆にも教会に足を踏み入れて散策しているときなど、かえって横島の方が緊張を強いられたりもした。
さすがに耐えかねて声を掛けようとも思ったが、カラヴァッジョやラファエッロなどの宗教絵画に真剣に見入る姿を見ると、どうしても邪魔をするのが憚られた。

小一時間近くも歩き回ったであろうか、ようやくに入り組んだ裏道を抜け、観光客で賑わう真っ直ぐな道に入っていった。
コンドッティ通りの両脇には高級ブランドの店が建ち並び、量産型の若い日本人女性が競うようにして買い漁っている。
だが、女はそんなものには興味がないというふうに歩調を速め、軍隊調の規則正しい靴音を立てて歩み去る。
この通りの先が、かの有名なスペイン広場である。

すっかり日も高くなったスペイン広場は、多くの人で賑わっていた。が、混雑というほどでもない。
慣れぬ道を振り回されるようにしてつけてきた横島は少々息が上がり、広場の真ん中にある噴水で一息入れることにした。
中央の舟の噴水からはきれいな水が噴き出していて、冷たい水を口に含み、頭からかぶると生き返ったような気がした。
顔を拭いながら、女はどうしているかと目を向けると、さすがに疲れたのか、階段下の屋台からジェラートを買っているのが見えた。

コーンを手に階段を中ほどまで登り、広場を眺めるようにして腰を下ろす。
その様子をローマっ子らしい男が何人か目に止め、声を掛けるべく近寄っていくのが下から見えた。
横島はすぐにでも飛び出していきたい衝動に駆られたが、不意にあるいたずらを思いつき、見つからぬように脇に逸れて成り行きを見ることにした。

女はイタリア人から見ても、相当に美人だと思う。
それが所在なげに一人で佇んでいるのだから、男たちが放っておくはずがない。
一人、また一人とジェラートを食べる暇もなく、矢継ぎ早に声を掛けてくる。
何を言っているかはわからなかったが、それでも女が、ほっといてくれと言わんばかりに話しているのはわかった。

そんなやりとりを横目に見ながら、横島は一度階段を上まで上がり、ゆっくりと降りながら近づいていった。
こんなこともあろうかと、来る前にピートに習っておいたイタリア語が役に立つのは今しかない。
自分の影が女の視界に入ると、わざわざ前を見るまでもなく、またか、というように顔を顰めたのがわかる。

「Cosa stai facendo?」(なにしてんだい?)

今ひとつ発音には自信がなかったが、あまり気にせずに大きなジェスチャーも交えて言う。
思惑通り、その身振りに気を悪くしたのか、振り向きもせずに吐き捨てるように女が言った。

「Non rompere!」(邪魔しないで!)

その反応にしてやったり、という表情を浮かべながら、横島は続けて声を掛ける。

「おいおい、久しぶりに会ったというのに、随分な御挨拶だなぁ」

「しつこいね! あっちへ行ってよ!」

そこまで言って女は、はたと気が付く。
今、自分は日本語で声を掛けられて、日本語で返事をしている? ここで? 誰に?
驚きを隠せない表情でゆっくりと振り向くと、そこには良く見知った顔が合った。

「チャオ、ベスパ」

かつて自分たちと共に暮らし、亡き姉が愛した男、横島であった。

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