水蜜挑
投稿者名:赤蛇
投稿日時:(04/ 6/26)
ある暑い日の昼下がり―――――
「暑い・・・」
蒸し暑い事務所の中で、長い髪を九房に束ねたタマモが茹だっていた。
建物の配管の規格が異なるせいか、ときおりクーラーの調子が悪くなるときがある。
そういうときに限って天気は抜けるような快晴で、窓辺に吊るした風鈴を鳴らすほどの風も吹かないのだ。
「暑い・・・」
ガランとした室内に、バテきったタマモの呟きだけが聞こえる。
午前中は賑やかだった事務所も、今はすっかり静かになっている。
急ぎの書類仕事もなかった美神は、
「おキヌちゃん、今日はもう終り」
と言って早々に外へ逃げ、相変わらず元気なシロは横島を連れてサンポに出かけていた。
「タマモちゃん、まだ夏毛に生え変わらないの?」
二人分の飲み物を持ってきたおキヌが声を掛けた。
「うん・・・ ずんぶん永いこと眠ってたからね。まだちょっとズレがあるかな」
「そう。大変ね」
「・・・こればっかりは仕方がないわ」
起き上がるのも億劫、といった様子でだらしなくストローを咥えながら飲む。
普段のタマモでは、なかなか見られない光景だ。
「とりあえず、シャワーでも浴びてきたら?」
「・・・そうする」
めずらしく他人の勧めにしたがって、さも気だるそうに裸足のままペタペタと歩いていく。
おキヌは、そんなタマモを微笑ましく見つめていたが、やおら立ち上がってキッチンへと向かっていった。
たっぷりのお湯と時間を使ってさっぱりとさせると、ようやくに身体の火照りも治まってきた。
ねっとりと覆っていた汗もくまなく洗い流し、瑞々しい肌とそぼ濡れた髪から漂う気配が心地よい。
「あー、さっぱりした! ・・・あれ? おキヌちゃんは?」
バスタオルで頭を拭きつつ、さっきまでいたはずのおキヌを探す。
が、すぐにその居所は知れた。
タマモに気づいたおキヌが、キッチンから顔を出す。
「あ、上がった? ちょうどよかった」
「なぁに、おキヌちゃん?」
「ちょっと待ってて」
何のことだかわからず、タマモがきょとんとしていると、おキヌが丸いお盆を持ってやってきた。
その上のガラスの器には、形良くおいしそうな桃が乗っている。
「昨日頂いたものなんだけど、食べる?」
事務所には、依頼が終わったあとも折々につけ、何がしかの品を送ってくれる人は結構多い。
おキヌがまめに御礼状を返すこともあって、何年経っても親交が続くことも少なくない。
もっとも、何年経っても折につけ、苦情を述べてくる者も少なくなかったのだが。
丸のまま氷水で冷やしておいた桃は、しっとりと濡れて艶やかだった。
おキヌによると、冷蔵庫で冷やすよりもこのほうが格段においしいのだそうだ。
「あ、食べる食べる! ・・・でも、切ってないの?」
「今日は他に誰もいないし ・・・このまま食べちゃいましょ?」
ほんの少し顔を赤らめておキヌが言う。
はっきりいって、桃をそのまま上品に食べるのはなかなかに難しい。
手と口をべとべとにしながら、さして小さくもない果実にかぶりつく姿は、美神や、ましてや横島がいたらけっして見せないはずだ。
でも、こうしてたまに見せる意外な素顔が、ほんのすこしタマモには嬉しかった。
「いいよ。じゃ、おキヌちゃん剥いて」
「はいはい」
おキヌはそういって、熟れきった桃を手のひらで包み込むように持ち上げ、実の先に軽く爪を立てて剥き始める。
桃独特の甘い香りが、テーブルの上に次第に拡がっていく。
完熟しているとはいっても、一様に皮が剥けることはなく、途切れ途切れに千切れるので、早くも手は露まみれになっていた。
そんな様子をタマモは興味深そうに眺めていた。
桃というのは不思議な果物だ、とタマモは思う。
食べる前は、ほのかな甘い匂いを漂わせながらも、初心で無垢な乙女のような肌をしているくせに、一皮向けばとめどなく溢れる蜜をたたえた女の顔をしている。
口にしたときは猥らなほどに甘く、瞬く間にとろけて消えていってしまう。
そして後には微かな匂いが残るだけ。
前世の自分も桃のようであったようにも思えるし、そうではなかったようにも思える。
これからの自分がそうなるかは定かではないが、それもひとつの業かもしれない、などと他人事のようにぼんやりと考えたりしていた。
「はい、タマモちゃんの分」
とりとめのない微睡みのような思考は、おキヌの差し出した手によって遮られた。
その手には、きれいに剥かれた桃があった。
「ありがと」
タマモは揺らさぬように静かに受け取ると、おキヌが自分の分を手際よく剥き上げるのを待って食べた。
白地に微かなピンク色をした果実にかぶりつくと、予想以上に冷たくて甘い果実が溢れ出す。
口に入れた実は瞬く間に溶け、えぐられた穴に溜まる果汁が流れ落ちそうになる。
鼻先や顎の先が艶やかに濡れるのを感じ、こぼさぬように舌と唇を使って啜り上げる。
(これは確かに見せられないわね)
あられもない今の自分の姿を想像して、そんなことがちらりと頭を掠める。
ふと目線を上げると、同じようなことを考えていたに違いないおキヌと目が合った。
途端に毛恥ずかしさが込み上げ、互いに視線を外して、あとは黙々とかじり上げる。
ようやくに一個食べ終える頃には、もはや手も顔もべとべとだった。
はしたないと思いつつも、指をしゃぶり、のどに流れた果汁を拭うと、やっと人心地ついた。
ふう、とため息を吐き、椅子に深々と身を預けると、甘い香りが鼻腔を刺激する。
二人とも仄かに顔が上気しているのは、けして暑いせいだけではなかった。
窓の外を見ると日差しはまだ高く、皆が帰ってくるには時間があった。
おキヌとタマモは、いたずらの共犯者のような面持ちで見合わせた。
「・・・もういっこ、食べよっか」
「・・・うん」
ある暑い日の昼下がり、部屋の中を桃の甘い香りが満たしていった。
今までの
コメント:
- ええと、また妙なのを書いてしまいました。
私のイメージは、映画『ツィゴイネルワイゼン』の1シーンからなんですが、たぶん似たような話はたくさんあると思います。
おそらく同じような描写もあるだろうと思いますが、そこのところはぜひ御容赦くださいませ。
ちなみに、味と食感を確かめるために一個買ってきたんですが、ちょっとまだ早いせいか甘味が足りませんでした。
食べごろは梅雨明けのあたりでしょうかね。 (赤蛇)
- なんか心がなごむ話ですなぁ(しみじみと)
おキヌちゃんとタマモが手や顔をべたべたさせながら桃を食べる姿がなんつーか・・・・たまりません(笑
自分は果物の中でも桃が大好物なのでこの話を読んで無性に桃が食べたくなりました。 (殿下)
- お下品に食べた方が、何故か美味しい食べ物ってありますよねぇ〜(ぉぃ
おキヌちゃんも昔の人ですからそういう知恵はしっかりと持ってるんでしょうねぇ
手づかみで桃にかぶりつく美少女二人・・・うーん・・・心が穢れたオジサンには
まぶしい物があります (純米酒)
- 桃は七月中旬〜八月だからね。
ちょとはやかったか?
今ならイチゴとかじゃな。
早イチゴ。
でもイチゴはクリスマス前後がピーク。
かんけーないね。
うだってるタマに一票! (トンプソン)
- しまった!
タイトルが『桃』のつもりが『挑』になってる〜〜〜!(滂沱)
な、なさけない・・・ (赤蛇)
- ・・・という痛恨のダメージを受けつつも、とりあえずコメント返しをば・・・はぁ・・・
>殿下さん
もうホントにべたべたになりますよ、桃は。
そんなみっともない所を隠しながら食べるふたりを想像していただければ、と思います。
ちなみに私は梨のほうが好き(笑)
>純米酒さん
わけありの男女が差し向かいで桃を食べるとエロスなんですが、この二人だとほのぼのとしたものになってしまいました。
シロなら横島と二人きりで食べそうですが、何故かはるかに健康的な光景に。。。(笑)
>トンプソンさん
やっぱり、ちょっと早かったですね。
でも、桃のシーズンは二週間位しかないので、もたもたしてると逃してしまいそうです。 (赤蛇)
- もうすぐですね、桃や西瓜の季節は^^
フルーツは大好きなのですがものぐさなので皮を剥くのが・・・
こんな話を読んだら食べたくなるのが困りますね^^; (綾香)
- 漱石の『三四郎』の一節を思い出しますね。
ついでなのでこんなページをご紹介してみたり。
「桃と文学」 ttp://www.mint-j.com/fruit/05/05_02.htm (HAL)
- むうなんというかおいしそうなSSですな。
これ読んでたら桃が無性に食いたくなりました。
事務所のありふれた一日がうまく書けていて良いと思います。 (SooMighty)
- 実に官能的というか何というか・・・。
「いやらしい」です。(変な感じやわ。)
思わず赤面。
ただ果物を食べているだけなのにねえ・・・。(まあ桃だけに・・・色々と。)
またドキドキさせて下さい(笑)
しんばるでした。 (cymbal)
- >綾香さん
子供の頃はあれだけ果物を食べたのに、今はついついめんどくさくて・・・てのはありますよね。
せっかく買ってきても、余ってしまうのが難点です。
>HALさん
『三四郎』よりも、前に見たのは開高健の『新しい天体』だったような気がします。
教えていただいたURLで、なんとなくそんなことを思い出しました。
何の雑誌で見たかは未だに思い出せないのですが・・・ (赤蛇)
- >SooMightyさん
おいしそうと言って頂ければうれしいです。
事務所の日常の、一時間にも満たない間のエピソードですが、きっとこんなこともあったのではないかと思います。
>cymbalさん
そのコメントを待ってました!(笑)
頭の中では、ねっとりとしたシーンを想像しながら書いていたのですが、文章にするときに押さえ気味にしてしまいました。
もうちょっと、あと一歩踏み込んでもよかったかなぁ。。。 (赤蛇)
- 「桃はエロティシズムの極致だ」とゆー有名な言葉があるくらいですからね。
赤蛇先生のエロス超人ー!(ぇ (黒犬)
- >黒犬さん
エロス超人とか言わんといてぇ〜〜〜!(爆)
・・・今さら言えないよなぁ、Ver.シロが始めはあったなんて。 (赤蛇)
- やべえ…もう3年は桃食ってねえ…。
ただ桃を食べるだけなのに共有される秘密と取り憑かれる様な快楽、暗喩的なエロス、それなのに一陣の涼風の様な爽やかさ。
「こんな作品を待っていた」と言う気分にさせられる一本でした。
「もういっこ、食べよっか」
これが私的には最大のツボでした。 (フル・サークル)
- >フル・サークルさん
モモ缶でいいから食べましょうよ(笑)
「もういっこ、食べよっか」というおキヌの台詞は、共犯関係になった二人の欲望が止まらなくなることを匂わせていたりもします。
ま、ただの「かっぱえびせん状態」ともいいますが(笑) (赤蛇)
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