ザ・グレート・展開予測ショー

フォールン  ― 02 ―


投稿者名:フル・サークル
投稿日時:(04/ 6/ 3)



 美神母娘が応接室を出ると、玄関扉を勢い良く開け放ち、散歩帰りのシロが飛び込んで来るのが見えた。

「美神どのっ、それに美智恵どのとひのめどのも・・・おはようでござるっ。」

「おはよう」

「おあよーございます・・」

「おはようシロ。今日も頑張ってね・・・」

 シロは鼻をくんくん鳴らしながら美智恵の挨拶も最後まで聞かずに、居間へと走って行った。

「――せんせえっ!今日の散歩は・・・いや、散歩自体は楽しいのでござるがっっ・・・拙者独りで、せんせえがいなくて、何だかとても寂しかったでござるようっ!!」

「ええいっ、まだ仕事中だ!邪魔すんじゃねえっ・・・まとわりつくなっ、そこのファイルも踏むなっ。」

 居間を覗き込むと、横島がシロにじゃれつかれながらも赤いラベルと札の貼られたジェラルミンケースに使用済み札を入れ、ケース内の溜め込んだ札を確認している所だった。

「Gメン内には使用済み札専門の処理班がいるけど、ここではどうしてるの?」

「燃やす・・・訳に行かない札もあるからね。大体は専門の業者に頼むんだけど・・・そうそう、神内さんね、そういう事業も手がけてるんだって。彼の所で安くしてもらえるかも。」

 神内――美神の見合い相手。先祖代々、破魔札の卸を営んで来た家業を精霊石などの輸入代理に着手する事で企業として成長させた神内オカルト・コーポレーションの後継者。
 ・・・でも、“彼”だって。美智恵は居間から視線を外し、再び歩き出した。・・・あと何年かすれば令子と並ぶ日本トップクラスの・・・いや、それを超える世界クラスのGSに成長する筈。
 ちらっと隣の美神を見る。母親と言えど娘の胸中をそこまで深く測り知る事など出来ない。娘の父親の様なテレパシストではないのだから。
 玄関へと向かう二人には、居間から聞こえて来たシロの何気ない一言など、気に留める様なものでもなかったであろう。

「――――せんせえ、そっちの札は移すのでござるか・・・?」



   ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ―



 屋根裏部屋のベッドの上、身を投げ出してうとうとしながらタマモは物思いに耽っていた。
 全く釈然としない、アイツのあの反応。さっき眺めた朝焼けのイメージが何故か意識の中で混じり合う。
 ノックの音。その物思いの中身であった横島がドアを開け、声を掛けて来た。

「隊長が、今日はお前休んでいいって・・・何だ、さっそく寝てんのか。」

「んん・・・。」

「どーせ昼には起きるんだろ?今日はちょうど土曜日だし、遊びに行くといいんじゃないか?・・・あの、何とかって言う中学生と。」

「何とか、じゃない。真友くんよ。」

 タマモが横島を軽く睨みながら、だるそうに身体を起こした。

「わりぃ。直接顔見知りな訳じゃないから、なかなか憶えられん・・・。」

「それで・・・アンタはどーすんのよ?」

「俺もこれから帰って寝るさ。・・・起きたら夕方、おキヌちゃんとシロの買い物に付き合う約束があって・・・。」

「ふうーん・・・。」

 ベッドの上で横島に視線を据えたままのタマモ。しばらく無言で彼を見つめてから、言葉を続けた。

「・・・美神さんは、今夜は西条さんとデートよ。」

 ・・・顔も知らない見合い相手と違い、具体的な名前と顔を持つ敵。今度こそ感情を見せるだろう。
 だが、そんなタマモの予想を裏切って、返って来たのはきわめて平坦な言葉だった。

「ああ、昨日聞いたな。奴も頑張るよなあ・・・まあ、当然か。美神さんの見合い話で奴としては、ケツに火が点いてるよーなもんだし・・・。」

「―――アンタはどうなのよっ。」

 たまりかねてつい、語気を少し荒げてしまう。そんなタマモの様子とは裏腹に、横島はぽかんと呑気そうな表情を浮かべ、聞き返して来る。

「・・・俺?・・・どうって、何が?」

「このままでいいの?」

「だから、何がだよ?」

「何もかも、よ!・・・美神さんのお見合いも、おキヌちゃんの留学も全部!・・・何とも思わないの?何とかしようって考えないの?」

 横島の顔から呑気さが消えた・・・だけど感情の読めない静かな空気。ため息を一つついて部屋の中へ入り、手近な椅子に腰を降ろしてから再びタマモに顔を向ける。

「つまり、お前の“何とかする”ってのは・・・引き止めたり邪魔したりする事なのか?美神さんやおキヌちゃんを。」

「えっ・・・?」

 今度はタマモが言葉に詰まり、呆然とする番だった。

「・・・・・・必要なら・・・そうするべき、でしょう・・・?」

「必要?どんな必要があるんだ?」

「このまま置いてかれちゃってもいいの?悔しくないの?未練とかないの?・・・その程度の気持ちなの?」

「だから、どんな必要があるんだよ?好きだったら、寂しかったら、何してもいいのか?」

「そうじゃない、けど・・・そんなの、方法次第でしょ・・・?」

「そーゆー事じゃ、ないのさ・・・。」

 横島はちらっと視線を浮かせる。その時の目が朝焼けを眺めていた時みたいだとタマモは思った。

「美神さんに見合いの話があって、西条の奴がそれに張り合っていて・・・そこに俺の割って入る余地は全くない・・・お前には分かる筈だよな、その辺の空気。」

 横島のその目は時折見せる彼の表情・・・晴れた日の夕方なんかにふと、夕陽を見つめて浮かべる表情にも似ていた。彼は視線をタマモに戻した。その目のままで・・・タマモは、言葉でうまく言い表せない、嫌な予感を覚えた。

「それって、どういう事だと思う?」

「それはアンタが他の奴に格負けしてるってだけでしょ?だからそこを頑張って・・・」

「違うな。・・・あの人がそう望んだって事だ。俺が余計な場所に立たない事を。」

 タマモは反論の言葉もなく、息を詰める様にして横島を見ている。
 彼の言っている事はある意味で正しい。普段の表面的な煩悩ぶりならともかく、彼らと張り合うくらいの男として横島が勝負に出たならば、確実に事務所内の人間関係を支えている“何か”が壊れるだろう。
 ――彼女と彼の、師弟として・・・仕事上のパートナーとして積み上げてきたものも。

「少し違うけど、おキヌちゃんにも同じさ。俺は本当にあの子の為になるもの、選んだ道を見送ってやりたい・・・
“あの時”からそれが俺の彼女への在り方だった。その事は変わらないし、変わらないって事に気付いたんだ。」

「アンタは本当に・・・それで、いいの・・・?」

「“それでいい”じゃない、“それがいい”んだ。・・・お前の言った事も当たってるかもな・・・俺自身、その程度の気持ちでしかなかったって事だったのかもしれない・・・。
煩悩と子供じみた執着と想いとをごっちゃにしてるガキのままでいられなくなると、見えて来ちまうんだよ・・・。」

 夕焼けを眺める表情の横島の言葉は、呟く様に消えた。タマモの言い知れぬ嫌な予感は、背筋の冷たさとなって再び彼女を襲った。
 彼の言っている内容は彼らしくない程に理性的で現実的なものだった・・・だけど・・・。

「やっぱ、らしくねえよなあ・・・そうだよなあ・・・。」

「そうね・・・・・・ところで・・・アンタ、“どこ見て”話してんの?」

「・・・でも、人は変わるんだ・・・そろそろ、潮時なんだよ・・・。」

 かろうじて言葉となった問いかけ――夕陽を・・・ここにはない夕陽を眺めながら話す横島。
 この男は目の前の現実を見ていない。その中に生きていない。
 ここではない薄闇の中で、何か「ここにはないもの」を見て生きている。
 彼女の問いに彼が答える事はなかった。


「―――心配してくれたんだろ?」


 永遠に続くかとも思われた悪寒。タマモが顔を上げると横島がいつもの少し間抜けな顔で、普通に自分を見て微笑んでいた。

「ありがと、な。」

「・・・フンッ、まああんたの事なんだから別にどーでもいいんだけどさっ。あんまり柄にもなくスカされた挙句、あのバカ犬まで傷付けるよーな事になったら許さないからね?」

「なるほど、そりゃそーだ。気を付けるよ・・・。」

 苦笑しながら横島は立ち上がる。足を引きずりながらドアへ向かう後ろ姿に、本当に分かってるのとタマモは念を押したかった。
 ―――バカ犬には、「妹の様なもの」「師弟としての」なんて人間同士の愛情の但し書きは、通用しないわよ。



   ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ―



「せんせえっ、せんせえっ、せんせえっ、左手と右手、どっちがより拙者らしいでござるかっ?」

 横島の眼前に突き出されたシロの両手は片っ端から買い集められたリングやバングル、リストバンド、そしてネイルアートで凄まじい事になっていた。とても何かを考えたとは思えない満艦飾の組み合わせ。

「あーーー、どっちもとてもお前らしーよ。ばか犬丸出しで。」

「狼でござるようっ。」

 何だかズレたポイントでむくれるシロの頭も、雑誌に紹介されていた美容室でセットしてもらったとかでかなり派手にアレンジされている。

「あ・・・あのね、シロちゃん。お給料入ったと言っても、そんなに沢山貰ったのではないし・・・シロちゃん、お肉も食べるでしょ?」

「うんっ、拙者にく料理も残さず平らげるでござるっ。」

「・・・おキヌちゃん、はっきり言ってやった方がいいよ。オカルトGメンの安月給なんか大喰らいのこいつが無駄使いしてたら、あっという間になくなっちまうって。」

 毎月給料日前になると呆然とした顔でお金がもうないでござると呟き、続けて深刻そうに父母上の墓を建て直す費用が貯まらんでござると思い悩んでいたシロ。
 そんなに公務員の給料は大変なのかと同情していた横島にも、最近ようやくその本当の原因が分かって来た。


「あっ・・・ちょっといいですか?待ってて下さい。」

 言いながらおキヌは駆け出した。向かう先には4、5才ぐらいの子供が立っている。涙に濡れた真っ赤な顔でキョロキョロと辺りを見回していた。明らかに迷子だ。そして・・・単なる迷子じゃない。
 おキヌはその子供の前に来るとしゃがんで目線を合わせ、にっこりと微笑む。

「こんにちは。どうしたの?お父さんとお母さん、はぐれちゃったのかな?」

 子供はおキヌの顔をしばらくじっと見つめてから、小さくこくりと頷いた。

「お姉ちゃんが一緒に探してあげるから、もう泣くのやめましょうね。・・・どこではぐれちゃったか、教えてくれる?」

「わか・・・らな・・・い・・・」

 少ししゃくりあげながら答えると子供は顔を上げ、ある方向を向いた。おキヌも同じ方向を見る。

「あの辺、なのかな?」

 子供は再び頷く。通行人が子供に語り掛ける彼女を、何か嫌なものを見たような目付きで一瞥して通り過ぎる。一人のサラリーマンが彼女と子供の間のスペース・・・いや、子供のいる筈の空間をそのまま抜けて行った。
 横島はおキヌの見た方向を確かめる――大き目の交差点、その片隅にある立て看板。

『死亡事故発生現場
4月20日午後6時10分頃、家族3人乗りの軽乗用車が右折して来た前方不注意の大型トラックに巻き込まれ車は大破、乗っていた家族は全員死亡すると言う事故が当交差点にて発生しました。
夕方から夜にかけて見通しが悪い場所なので、直進車も右折・左折車も充分注意して運転される様、お願い致します。』

「それ・・・と・・・」

 子供が思い出した様に口を開いた。おキヌは再び子供に向き直る。

「ん?どうしたの?」

「・・・・・・くつ。」

 子供はうつむいた。見ると片方の靴がない・・・真新しいスニーカーだった。

「あら本当。こっちもなくしちゃったの?」

「お出かけして・・・パパとママが・・・かってくれたの・・・かってくれた、ばかりなの・・・」

「うんわかった。ちょっと、待っててね?」

 おキヌは立ち上がると、交差点の看板へと歩いて行った。看板の下には花束と線香、缶ジュースやお菓子などのお供え物が並べられていて、それらに埋め尽くされる様にしてに片方だけのスニーカーが置かれていた。
 拾い上げて見るとその側面に血痕がべったりと付着していた。乾き切った血糊に一瞬悲し気な表情を浮かべたおキヌだったが、すぐさま笑顔を作り直し、子供の所へと戻る。

「見つけたよ、ハイッ。」

 彼女の手にあるスニーカーに子供は顔をぱっと輝かせた。おキヌは子供の足を取り、その片方の靴を履かせてやる。

「これで両足揃ったね。うんっ、ステキだよっ。」

「おねえちゃんすごい、どこでみつけたの?」

 すぐ傍の看板とその下の靴を子供が見付けられなかった事と、彼が両親と離ればなれになり成仏出来ないでいる事との間には実は密接な関係がある・・・おキヌの通う六道女学院大学の授業で講義されていた「地縛霊認識不可」の理論であり・・・彼女にとって「身に覚えのある」事でもあった。

「ねっ?お姉ちゃんに任せておけば何だってすぐ見つかるんだから。お父さんもお母さんもすぐ呼んで来てあげる。」

 おキヌは自分のバッグから細長い棒状の包みを取り出した。包みを解くと現れたのは古びた横笛――彼女の、彼女だけのオカルトアイテム「ネクロマンサーの笛」。

「もうすぐ来るから、ここで一緒に待ってようね・・・その間、お姉ちゃんの笛聴いててくれるかな?」

 行き交う人々で混雑するその歩道に、哀調を帯びた彼女の笛の音が響いた。
 子供の幽霊だけではなく、通行人の何人かも足を止め、魅入られた様におキヌの演奏に耳を澄ます。そして、二人を見守っていた横島とシロも。
 霊力のある者なら彼女の隣でしゃがむ子供の霊と、その周りが笛の音に合わせて穏やかな光に包まれて行くのとが見て取れたであろう。その本来の能力を差し引いて見ても、美しくも哀しく、素朴なメロディーは初夏の夕暮れの路上に映え、聴く者の心に一時の安らぎを与えていた。


 横島の携帯が鳴った。彼はおキヌの邪魔にならない様、早足でその場を離れビルの陰へと移動する。
 彼が通話ボタンを押した時、目の端で子供の幽霊が光に包まれながら、宙に浮かび上がるのが見えた――目に涙を浮かべながらも、満面の笑顔で駆け出そうとしている。その先に“迎え”が来たのだろう。
 ぱたぱたと走る動きのまま子供の姿は、拡散する光を残して掻き消えた。



   ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ―



「ごめんなさーい、待たせちゃったね。」

「いやいや、心に染み入る立派な笛の音でござったよ。拙者も父母上の顔を浮かべてしまい、これからは供養の為倹約を心がけようかと・・・」

「あれ?横島さん、どうしたのかな?」

「せんせえは電話でござる。確かあちらへと・・・。」

 思い出す様にして横島の進路を辿るシロ。ビルとビルの隙間を見て、「いたでござる。」とおキヌに声を掛ける。おキヌが来て覗き込むと、横島はまだ通話中だった。

「・・・で、いつ来た?おととい?おととい見に来て今日いきなりかよ・・・さすがアイツら、フットワークも無謀さもGS顔負けだな。見に来た奴は何も・・・だろーな。気付く様なら二度と来ねーよ。」

 気配を感じ、ちらっと表の二人に視線を走らせてから言葉を続ける。

「ああ、とにかく今夜行くわ・・・中の方もまたちょこちょこ入れときたいし・・・ああ、ありがとな。頼む。・・・じゃあ。」


――――ピッ。


 通話を終え表の道に出て来た横島へ、おキヌが尋ねる。

「今のはお仕事の電話ですか?・・・美神さんじゃ、ありませんでしたよね。」

「ん?ああ・・・違う違う。雪之丞たちがさ、ちょっと・・・。」

「今夜行く、とか言ってましたけど・・・お酒とかでしたらまだケガした所に響くから控えた方が・・・。」

「いや、そんなんでもないんだ。少し話したり、手伝ったり・・・仕事って程でもない、本当にちょっとした事だよ。9時に出て2時か3時には家に帰って来れる様な。」

「そうですか・・・。」

 どことなく納得の行かない、不安げな表情を浮かべるおキヌ。横島はにっと笑いながら彼女がまだ手にしているネクロマンサーの笛に視線を向け、話題を変えた。

「何だかんだあったけど、最後まで聞こえてたし、見えてたよ。何つーか・・・ああ言うとこって、おキヌちゃんだよなあ・・・。」

「――横島さん・・・!」

 おキヌは顔を赤らめながら、抑えた声で横島を咎めた。人目をはばかる事でもなかったが、改めて「見ていた」と言われるとやはり恥ずかしい。それが、とても身近な人間である彼ならば尚更。

「俺も何となくは気付いてたんだ。けど、見過ごしちまっている・・・仕事でもないのに実害のない霊なんて構おうと思わないからな・・・。何かしようとしたってもっと手荒く、事務的に“片付けようと”するだろう・・・。」

 今度は彼が顔を赤らめ、頭を掻きながら答える。

「でも放っといたんだ、薄情かな?余裕がないのかもな・・・でも、美神さんだって、シロやタマモだって、他のGS達だってそれは同じさ。
あそこであの子を見つけて、あんな風に導いてやれたのは、おキヌちゃんだからなんだ。」

「私・・・だから、ですか?」

「そうだよ。だからおキヌちゃんは・・・世界でも特別な、誰にも替われない様なGSになる。・・・そう思う。」

 おキヌはうつむいた。過剰な誉め言葉が照れ臭かったのもあるが、彼のその言葉が秋に控えた彼女のアメリカ・ニューイングランドへの留学を念頭に置いたものであると気付いたからだ。
 多くの人達を、多くの魂を救いたい。もっと色々な事を知りたい、見聞きしたい。彼女のその願いが行き着いた先の進路だった。その留学先の大学ではオカルトに対する理論的かつ実践的な研究が盛んに行なわれGSの卒業生も多く、過去、そこで学んだネクロマンサーがいたと言う点も彼女の興味を引いた。
 高等部から大学と、極めて優秀な生徒であった彼女の留学に、学園理事長は賛同し全面的なバックアップを保証した。

「横島さん・・・横島さんは・・・」

「ん?どーしたの?」

 でも“にゅーいんぐらんど”は遠い。多分、“にゅーよーく”よりも遠い。一度出てしまえば留学期間中、殆ど帰って来れないだろう。
 そして、選ぶ道の先にあるもの――留学を終えても日本には戻らない、そんな予感がしていた。世界各地に彼女が教えを受けてみたいネクロマンサーの先達がいる・・・そして、彼女の様に理不尽に家族を、あるいは自身の生命と未来さえ奪われた人達が。
 誰が散っても終わらない苦痛と悲しみは、世界の多くで300年前の夢ではなく今日のニュースだった。
 TVの映像からでも時折微かに見える瓦礫の上を迷う夥しい数の霊魂。
 私だからこそ、彼らの為にしたい事がある・・・彼らの為に出来る事がある。

 ・・・しかし、その道を示す声と矛盾するもう一つの心の声が、おキヌの中で響いていた。


「横島さんは・・・私がいなくても・・・」

「おキヌちゃんが自分の人生を掴めて、俺も嬉しいんだ。」


 おキヌは顔を上げた。目の前に横島の笑顔。幽霊だった時の最後の記憶がおぼろげに甦る。


――さよならは言わない。生きてくれ、おキヌちゃん。


 この人はあの時と変わらず・・・だけど、あの時から変わり果てていた。
 私を見守るとても優しい視線はあの日のまま。そして・・・彼を覆う影はあの日にはなかったもの。
 ここにも一人、誰かを見失って泣いている子供がいる。なのに私は・・・。

「おキヌちゃんだからこそしたいと思える事がある・・・おキヌちゃんだからこそ出来る事がある。だから、頑張って来てほしい・・・。」

 普段通りのバカでスケベな横島でい続け、その中で少しずつ大人びて行く彼の姿“だけ”を目に映す事で、「彼は大丈夫だ。」と自分に納得させ続けて来た日々。
 その穏やかな微笑にこそ色濃く浮かび上がる影から目をそらして来た事を思い出し、喉元まで出た問いはそのまま凍り付いた。
 平気である筈がない――変わりゆく周囲が、変わりゆく彼自身が、変わらない欠落感が、彼を蝕んでゆく――だけど、私は何をすればいい?それすら知らない私がいた所で・・・いや、知っていながら別の道を選ぶ私がいた所で、何が平気だと言うのだろう?

 正直言っておキヌは、これ以上横島のそんな笑顔を見ているのが辛くも感じていた。

「―――おキヌどの?・・・おキヌどの?」

「・・・大丈夫?おキヌちゃん。」

 気が付くと、横島とシロが彼女を覗き込んでいた。いつの間にか、横島から視線を外しうつむいていたらしい。

「・・・今の除霊で、疲れたんじゃないか?少し休んでこーか?」

「いいえっ、大丈夫です。」

 心配そうに聞いて来る横島に何とか笑顔で答えるおキヌだった。




   ― ・ ― 次回に続く ― ・ ―



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