ザ・グレート・展開予測ショー

これも一つの選択肢(前編)


投稿者名:竹
投稿日時:(04/ 5/29)

チーン!

 オーブンのアラームが鳴った。
 私は、調理籠手を履くと電子レンジの扉を開けた。
「よっし、出来上がりっと」
 電子レンジの中から取り出したグラタンをテーブルに置くと、私はエプロンを外してハンガーに掛けた。
 時計を見る。
 そろそろ帰ってくる時間だ。
「早くしないと、ご飯冷めちゃいますよぉ」
 テーブルに並ぶ五脚の椅子の内、一つを引いてそれに腰掛けた私は、誰にともなく呟いた。
 目の前にあるのは、学校から帰ってきて私が作った“四人分”の食事。並んだ椅子は五人分だと言うのに。
「……」
 不意に、目頭が熱くなってきた。


 無人のダイニングが、やけに広く感じる。




バタバタバタ……

「!」
 階下に足音を聞き、私は我に返った。
 どうやら、帰ってきたらしい。

ガチャッ!バターン!

 威勢の良い音を立てて、事務所のドアが開いた。
「ただいまでござる!」
「お帰りなさい、シロちゃん」
 息を切らせて元気良く入ってきたのは、人狼の犬塚シロちゃん。
「あー、もう。荷物落としてるわよ、馬鹿犬。ほらっ」
「お帰り、タマモちゃん」
 続いて気怠げな顔で敷居を跨いだのは、妖狐のタマモちゃん。
 二人(二匹?二鬼?)は、この『美神除霊事務所』の屋根裏部屋で飼われてる……じゃない、屋根裏部屋に棲んでいる。もとい、住んでいる。
 そして私は、『美神除霊事務所』の所長・美神令子さんのアシスタントを務めるゴーストスイーパー見習い、氷室キヌ。
 ……なのだが、通常、平日の昼間には私は学校に行っているので、美神さんはシロちゃんとタマモちゃんだけを連れてお仕事に行く。そんな時は、私は夕ご飯を作って三人の帰りを待つのが常だ。
「拙者は狼でござる!」
「あら、馬鹿の方は否定しないのね?」
「ばっ、馬鹿でもござらんよぅ!」
 いつも通りにじゃれ合いを始めた二人を、微笑ましげに眺めてみる。
 そして、気付いた。
 一人、足りない。
「ねえ、ところで美神さんはどうしたの?」
 そう言った私の問いに、シロちゃんが答えてくれた。
「美神殿は、拙者らに先に帰れと……」
「え?」
 その返答に疑問符を浮かべる私に、タマモちゃんが補足を入れる。
「ミカミ、今日も飲んで帰るってさ。だから、夕ご飯いらないって。おキヌちゃんに謝っといてってさ」
「……そう」
 美神さんの飲み屋通いも、最近ではそう珍しい事でもなくなってきていたので今更不満は無かったが、口調と表情に落胆の色は隠せない。
 食事と言うものは、食べてもらう為に作るのだ。食べてもらうべき人に食べてもらえなかった“残り物”程、惨めなものは無い。
 けれど、きっとそう言う時もあるんだ。そうだ、美神さんとて、私の作る食事より飲み屋のつまみの方が良いなんて思ってる訳ではないだろうし。
 我が侭を言われるのは、信頼されている証だ。
 美神さんだって辛いのだ。それを受け止めてあげられるのは、私しかいない。
 私しか、いないんだ。
「じゃあ、ご飯にしましょうか、シロちゃん、タマモちゃん」
「はいっ!」
「ええ……」




 五脚の椅子が並ぶテーブルは、今日も二席が空いている。


 以前にこの事務所にアシスタントとして勤めていた横島忠夫さんが、師匠である美神さんの元から独立して、もう二年近くになる。
 確かに、あの時の美神さんには、いや、私やシロちゃんにとっても――或いはタマモちゃんにも――横島さんは必要な人だった。もしかしたら、今だって現在進行形でそうかも知れない。
 けれど、あのままでは駄目だった。
 美神さんも、そして何より横島さん自身がとても無理をしていたからだ。
 “あの事件”以前の自分を無理に演じ、今までの関係を壊すまいとしていた。
 しかし、それは余りにも見え透いていて。
 側で見ていて耐えられない程に痛々しく、そして哀しかった。
 あのままあれを続けていたら、きっとその内に大変な事になっていただろう。
 そんな時だった。美神さんのお母さんやお師匠様が、横島さんに独立の話を持ちかけたのは。
 美神さんは嫌がっていたが、横島さんは割とあっさりとそれを是とした。結局お母さんに理詰めで押し切られ、美神さんは断腸の思いで横島さんを手放す事となった。
 勿論、私も美神さんと同じように、横島さんが事務所を辞めるなんて嫌だった。
 別にそれで横島さんに会えなくなる訳ではないが(私は、よく横島さんのお家にお邪魔している。横島さんが独立してから、特に最近は“よく”でもないが)、矢張り一緒にいられる時間は確実に減る。それに……、何か横島さんが他人になってしまうような気さえした。
 けれどあのままでは、きっと二人とも壊れてしまってた。取り返しのつかない事になっていただろう。
 私は、美神さんも横島さんも大好きだから、二人が壊れるところなんて見たくない――。
 そうして私は、横島さんの独立を支援する側に回った。

 最初は激昂し憤激していた美神さんだったが、しかし、横島さんの実力はその時既に独立しても良いくらいになっており、抑も彼を時給五百円のアルバイトとして縛り付けておくのは、どう考えても論理的に無理があった。
 冷静になって考えてみれば至極当然の処置だし、幾ら美神さんでも口先三寸で横島さんの独立を否定するのは不可能だった。
 ――そうして渋々横島さんを手放した美神さんも、時と共にそれを受け容れ、私達の周りには“日常”が帰ってきた。


 今では、事務所に横島さんが居ない“日常”にも、余り違和感を感じなくなってしまってきている……。





【これも一つの選択肢】





シャカシャカシャカ……

 ウェーブの掛かった茶髪の女性が、カップを振る。

シャカシャカシャカ……

 彼女は、バーテンダーである。
 彼女の立つカウンターの向こうでは、一組の男女が酒を酌み交わしていた。

シャカシャカシャカ……

「美神さぁ〜ん、そんなにガブガブ飲んだら身体に毒っすよ〜」
「うるっさい、黙れ!横島のくせに」
「そう言う問題ですか?」
「喧しい!今日は、潰れるまで飲むわよ」
「明日、仕事は……」
「良いの!ほら、あんたももっと飲めッ」
「て言うか、俺、未だ未成年……とか、一応言ってみる……」
「今更、何を言ってんのよ」
「俺、どっちかっつーと日本酒派なんですけど……」
 亜麻色の髪を持つセクシーな美女と、ラフな格好をした青年(少年?)。
 店の常連である。
 少しばかりマナーは悪いが、お得意様だし何より落としていく金額は他の客の比ではないので、すっかり顔馴染みとなってしまっていた。
 今では、彼等の好みのブレンドを十数種類の単位で覚えてしまっている彼女である。

シャカシャカシャカ……




「ったく、やってらんないわよ、本当に……」
「お、俺の所為っすか……?」
「そーよ!何もかも、あんたが悪いのよッ」
「ええ〜!?それは横暴っすよ、美神さん」
「っさい!私に文句があるってのか、横島!」
「美神さん……」
 日本最高のゴーストスイーパーと名高い、美神令子。
 一番弟子の横島忠夫を呼び出して、彼をお供に行き付けのバーで飲み明かす(費用は、主に横島持ち)のが、彼女の最近のストレス発散法である。
「大体ねー、生意気なのよ、横島のくせにっ」
「はあ……、すんません……」
「ついこないだまで、ドジでスケベなだけの貧弱なボーヤだったくせに、それがこの私を超えるですって?ふざけんじゃないわよ」
「いや……、んな事言われても……」
「そんな怪奇現象、認められるもんですか!」
「そんなぁ〜、素直に弟子の成長を喜んでくれたって良いじゃないですか。師匠を超えるのが、最高の恩返しって言うでしょう?」
「私は、二十台半ばで未だ現役なの。はっきり言って、未だ霊能者としては最盛期よ?それで、弟子が自分を追い抜くのを手放しで喜べる程、歳食ってないわ」
「て言うか、はっきり言ってガキですよね、美神さんて」
「あんたに言われたかないわ!」
「ホント、俺様主義なんだから……」


 美神令子の一番弟子・横島忠夫が美神の元から独立して、二年近く。
 美神の母である、オカルトGメン顧問相談役の美神美智恵が看破した通り、横島の実力は、既に美神を凌駕していた。
 事務所を開かず、フリーランスのゴーストスイーパーとして働いている横島だが、その実力と“日本最高のGS”美神令子の一番弟子であると言う看板、そして何よりその低金額と細かい気配りで徐々にそのシェアを広げていっている。
「や、でも美神さんのお陰っすよ。美神さんの弟子ってんで、ホントに大分仕事やり易かったっすから」
「ふん、その恩を仇で返したのは、どこの誰だか」
「おっ、俺は何もしてないっすよ〜」
「……」
 情け無い声を上げて、訳も分からず弁解する横島に、美神は大きく溜息をついて見せた。「あんたね〜、一応、自分は一流のスイーパーだって認識してる?冗談抜きで、あんた目茶目茶強いし、優秀なのよ?」
 酒気で紅く染まった重たい頭を横島の方へ向けて、整った眉を吊り上げて美神は言う。
 美神が横島を褒めるなど、本当に珍しい事だ。
 横島は、それだけでも狼狽えてしまう。勿論嬉しいのだが、人間、普段と違う事をされるとビビるものだ。
「え、ええ、まあ一応……」
「一応じゃない!」
「え……、な、何を怒ってるんすか、美神さん」
 横島にとって、何よりも恐ろしいのは美神の怒りだ。
 しかし、その一方で美神の怒鳴り声を聞いて安心している自分がいる事も、横島は自覚していた。
「優秀な奴は、実力に見合うだけの金額を取る義務があるのよ」
「はあ……」
 人差し指立て、美神はとうとうと語り始めた。
「だからこそ、実力は無いけど安い金額で仕事を請け負う三流四流が生きてける訳だしねー」
「……て、でも、美神さんのはやり過ぎな気が……」
 師である唐巣和宏神父の清廉過ぎる生活能力の無さからの反動か、美神の守銭奴ぶりとマネーゲーマーぶりは、悪徳金融も真っ青の悪辣な手口で発揮される。
 そんな彼女であるから、勿論、彼女に除霊依頼をするには、現金にして少なくともゼロが八つはないと夢のまた夢だ。
 この世で最も信用出来て、最も好きなものはお金だと、公然と言い切ってしまうのが、美神である。
 そして、そんな彼女の弟子である横島やキヌが、依頼人の経済状況に関してはかなり甘くなってしまうのも、当然の成り行きと言えようか。
「っさいわねー。この世は金よ?」
「お、俺だってきちんと充分な額、依頼料貰ってますよー」
 冥い眼で睨んでくる美神に怯えつつも、取り敢えず弁解してみる横島。
「けどねー、価格破壊起こしてるって分かってるの?あんた」
「えー、そんな。一応、少なくても相場ギリギリくらいはちゃんと貰ってますよ?」
「あのね。私と並ぶくらいのあんたが、私より遙かに安い値段で仕事を請けてたら、私のトコに仕事が来なくなるでしょうが!」
「す、すんません……。両親が大阪商人なもんで、やっぱ他よりも安く!ってのが決め手だとか思っちゃうんですよね……」
 諂い顔でそう言いつつも、横島は嬉しかった。美神が、自分を“私と並ぶ”と言ってくれた事が。
 横島の望みは、美神の隣に立つ事だった。対等な、パートナーとして。
 その望みは、自分の独立によって取り敢えず断たれてしまったけれど……。
 しかしそれにより、彼女は自分を認めてくれた。横島にとって、それは何よりも嬉しい事だった。
 そんな事を思いながら、横島は言葉を続ける。
「だったら、美神さんももう少し安い値段で仕事請ければ良いじゃないですか」
 至極、当然の意見である。ライバルとの競争に負けない為の、古今東西どの職業にも通じる定石であり、唯一の手段である。
 しかし、そんな常識などものともしないのが、美神の美神たる所以である。
「嫌よ」
「な、何でっすか……」
 また何か、無茶な論理を言い出すんだろうな……。半ば呆れ顔で問い返す横島に対して、彼の師匠はカウンターを叩いて力説した。
「ハイリスクハイリターン!これが除霊の魅力じゃないの!そのどちらかでも欠ける仕事なんて、やってられないわ!」
 そんな彼女は、定額制でその代わり最先端のハイテク技術を税金でふんだんに使えるオカルトGメンを手伝って、精神異常に陥った経歴の持ち主だ。
 口だけでなく、そのゴーイングマイウェイ振りは筋金入りと言える。単に我が侭なだけとも言えるが。
 しかし、力のある子供ほど、恐いものは無かったりする。それは正に美神の事だと言えば、納得出来るだろう。
「スイーパーにとって、依頼金額は自分の腕と命の価値よ。安売りなんて、するべきじゃないわ」
「はあ……」
「どれだけ値段を引き上げられるか、そして、その中でどれだけ支出を抑え、且つ効果的な手法を成せるか。更に、一瞬でも気を抜けば、命を落として全てが水泡が帰すと言うスリル!そして、馬鹿な悪霊をしばいて大金を得る快感!これぞ、スイーパーの醍醐味よ」
 身を乗り出して演説する、美神の息は酒臭い。
 言っている事はこれ以上無く彼女らしいが、その様は酔っぱらい親父だ。

 実際、美神は神をも恐れぬ金の亡者だが、稼ぐ割には使わない。かと言ってどケチかと言うとそうでもなく、使うべきところには気前良く投資する。
 要するに、成金趣味でないと言うか小規模経営者の気楽さと言うか。
 彼女にとっては、金を稼ぐ事(或いは、仕事と言い換える事も出来るかも知れない)自体が唯一無二の目的なのだ。




続きます。

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