ザ・グレート・展開予測ショー

壬生浪狼伝 七(終)


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(04/ 5/ 4)

手当てを済ませ、襟を正すと、思い残すことはもう何もなかった。
幾分かまだ痺れが残るだろうが、おそらく命に別状はあるまい。
犬塚は名残惜しそうにゆっくりと立ち上がり、路上に立つ伊右衛門の方に向き直った。
涙の跡を拭うと、そこにはもう女の顔はなかった。
武士の顔である。
「かたじけのうござる」
微動だにせず待っていた伊右衛門に対し、心より礼を言う。
「心残りはないか」
伊右衛門の問いに対し、犬塚は無言で頷いた。
「ならば」
そう言って伊右衛門は大刀を抜き、足早に駆け寄ってくる。
「―――――死ねい」
犬塚は相手の懐に飛び込むように前へ出、寸でのところでその斬撃をかわした。
いくらか斬られた白髪が宙に舞い、雪の上に落ちた。
すぐさま体勢を直し、刀を抜いた。父譲りのあの竹光である。
実は、京を出る際に山南が脇差を持たせてもいた。
しかし、事ここに至ってもなお、父の遺命に従うことに決めた。
「犬塚シロ、参る」
構えを正眼よりやや下に置き、名乗りを挙げた。
それを見た伊右衛門は、右八双に構えて相対する。
たとえ竹光であろうと、犬塚を侮るつもりは毛頭ない。
その膂力で斬られれば骨が砕け、五臓六腑は潰れ、死に至るであろう。
人狼の恐ろしさは誰よりも、おそらく犬塚本人よりも身に染みて知っていた。
年端も行かぬ者であろうとも、たとえ女であろうとも斬り捨てねばならぬ。
情けを掛けるは己が死と思え、それが鉄則であった。

暫しの間、双方とも動かなかった。いや、動けなかったと言うべきか。
さして長い時でもなかったが、張り詰めた緊張は否が応にも体力を失わせる。
じりじりと間合いを狭め、犬塚は一気に事を決しようと決めた。
木の枝に積もる雪が重さに堪えかね、どさりと落ちた。
「鋭」
「応」
激しい気合とともに、刀を繰り出したのは、ほぼ同時であった。
伊右衛門が狙うのは、防備の薄い喉。
それを犬塚は下段より払うが、僅かに体勢が崩れた。
その隙を見逃さず、伊右衛門は渾身の力を込めて、刀を振り下ろした。
咄嗟に竹光で受け止めるが、刀身は乾いた音を立てて折れた。
「しまった」
これでは次の一撃を防ぐことはできぬ。
無残にも砕けた父の形見が、己が身に重なって見えた。
(もはやこれまで―――――)
充足感にも似た気持ちを抱きつつ、にじり寄る伊右衛門を見つめた。
迫り来る剛剣の音を聞き、静かに目を閉じた。
が、その剣は来ない。
「ぐふっ」
くぐもる声とともに鮮血を吐き、伊右衛門は剣を構えたまま倒れた。
その背中には脇差が深々と刺さっていた。
背後には、よろけながらも体を起こす山南の姿があった。
「山南どの―――――」
犬塚は伊右衛門の生死を確認するのも忘れ、急ぎ駆けつけて抱き起こした。
「ま、間に合ってよかった」
右肩に残る痛みに顔を顰めながらも、ほっとした顔を見せた。
「よくもまあ、刺さってくれたものよ」
雪の上に倒れ伏す伊右衛門を見やりながら、安堵の溜息を漏らす。
「山南どの、拙者は、拙者は―――――」
「何も、言わなくていい」
震える犬塚の身体を静かに抱き寄せ、泣きじゃくる頭をやさしく撫でた。
坂下より駆けて来る馬の蹄の音を聞きながら、なおもずっとそうしていた。


二日後、山南は壬生の前川屋敷に戻っていた。
隊規違反のかどで腹を切るためである。
無論、そんなことは山南は百も承知だった。
局中法度を草稿したのは、他ならぬ山南自身だからである。
それを知りながら何故、あのとき追手を務め、今また介錯を努めねばならぬ沖田は問うのだが、本人にも分からぬものを知りうる術もない。
作法どおりに白装束を着込み、その時を待つ山南の元へ、ふらりと土方が訪れた。
「ほう。君が来るとは意外だね」
山南にしては珍しく、皮肉交じりの口調でそう言った。
日頃より二人は意見が合わず、犬猿の仲と言ってもよい間柄で、此度の事の発端は、それこそ土方との対立が招いたようなものであった。
土方は、手にした先の折れた竹光の柄を見せながら、興味なさそうに言った。
「伊右衛門の野郎は、名も知らぬ化け物に斬られて死んだが、それをあんたが討った―――――そうだったな」
「ああ、そうだ」
「奴は所詮隠密よ。どこで死のうが俺達には関係ねぇ」
「―――――かたじけない」
「止してくれ。俺はあんたさえ斬れりゃ、それでいい。人狼だのなんだのってのは、俺の知ったこっちゃねぇさ」
「ふふ、君らしいな」
込み上げて来る笑いを堪えきれずに、ひとしきり山南は笑った。
あれだけ憎みきっていたこの男が、最期にこんな晴れ晴れとした気持ちにさせてくれたのが、可笑しくて可笑しくて堪らなかった。

その日の夕刻、山南敬助は切腹して果てた。享年三十三。
死の間際、今生の別れを告げた女がいた、とも聞くが、それが誰であったか伝えるものはなにもない。

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