ザ・グレート・展開予測ショー

壬生浪狼伝 六


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(04/ 5/ 3)

明け六つの頃―――――
雪の降りしきる暗い道を、山南と犬塚はひたひたと歩いていた。
夜はまだ明けていないが、それでも次第に辺りが白々と映え、先の山々の稜線が黒く縁取られていった。
粟田口へと続く街道筋はしんとして、およそ人の気配はない。
今時分をかわたれ時ともいうが、山南にはすれ違う人を、
「彼(か)は誰(たれ)ぞ」
などと、悠長に呼んでいるような余裕はなかった。
昨日会った伊右衛門が、いつ何処で待ち構えているやもしれぬ、そう思うと知らず知らずのうちに気が急いてしまう。
「山南どの、そう急くと危ないでござるぞ」
深々と降る雪で狭い視界にも構わず、肩を怒らせて足早に進む山南を案じ、犬塚は声を掛けた。
「転んで怪我でもしては、元の木阿弥でござる。もう少し落ち着きなされ」
「どうして君は、そう悠長に構えていられるのです」
ほんの少し歩調を緩めながら、僅かに非難めいた口調で言った。
「無事京を抜けたとしても、どこかで罠を張っているのは間違いない、と申されたではござらぬか」
「だからこそ、一刻も早く先へ行かねば―――――」
「避けられぬのであれば、慌てて死地に赴くこともござらぬ」
「しかし―――――」
そう言いかけて、止めた。
昨夜、氷室にいる犬塚の元へ駆けつけて、急ぎ離れるよう促して以来、ずっとこのような調子なのである。
人外改めの話を聞いた犬塚は、かような仕儀に至っては是非もなし、と諦観の色さえ見せていた。
もはや自分の事は捨てておかれよ、そう言う犬塚を叱咤し、ようやく京を出る事に同意させたのである。
まもなく夜が明ける。
乳白色の世界に色が戻ってくる中を、暫し無言で歩いていた。

「山南どの」
犬塚が聞いた。
「何故、ここまで親身になってくれるのでござるか」
「難儀している友を助けるのは当然のことです」
「拙者が聞きたいのは、そう言うことではござらぬ」
「ふむ」
山南は答えに窮した。
始めは、天涯孤独である犬塚の境遇に同情したのだと思っていた。
早くに父母を亡くし、人狼であるが故に人との関わりを捨てて流浪せざるを得なかったことに、憐れみを覚えたのかもしれない。
だが、人狼であるかはともかく、似たような境遇の者など、今の時勢にはさして珍しくもない。
犬塚が女であるから、というとそうでもないような気がした。
無論、女であれば守ってやらねば、という気概はあるが、それだけで己が命も危険に晒すほど初心ではない。
あるいは、予てより抱いていた新撰組や幕府に対する不満の発露として、幕命に抗う形で犬塚に加担しているだけなのかも知れぬ。
本当の理由は果たして何なのか。
山南は答えることができなかった。

一刻余も歩くうちに山科を過ぎ、二人は逢坂に差し掛かっていた。
この山道に設けられていたのが逢坂の関である。

    これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬも相坂の関

夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ

なとど謳われ、畿内の境とされてきた要衝である。
この山を越えれば東海道五十三番目の宿、大津であり、古くはそこからが東国とされていたと聞く。
「もうすぐ大津に着きます。そこより船で彦根へ―――――」
そういって振り向いた山南は、鳥の羽音に似たものを聞いた。
何、と思う間もなく、不意に右肩に痛みが走り、膝ががくりと落ちるのを感じた。
「山南どの―――――」
犬塚は慌てて山南の身体を抱き抱えながら、街道に立つ男の姿を見た。
「この関を越えさせるわけにはいかん」
伊右衛門である。
「貴様、何を―――――」
「邪魔をされたくない、ただそれだけだ」
「―――――」
犬塚は山南の身体を横たえ、羽矢を抜いた。
毒が塗ってあるのであろう、つんとする嫌な匂いが鼻をついた。
「い、犬塚君―――――」
震える声で、絞り上げるように山南が呟く。
裾をつかむ手にも力はなく、犬塚はそれをそっと振り解いて置いた。
両の目より、一筋の涙が流れて落ちた。
「どうやらここでお別れにござる。何卒御許しくだされ」
「に、逃げよ。あ、あ、あ奴は、そ、そなたが叶う相手では、ない」
「御免」
そう言って山南の肩をはだけた。右肩が赤黒く滲んでいた。
わずかに躊躇いながらも、傷口に口をつけ、毒を吸い出しては吐き出す。
幾度となく繰り返すうちに、患部は色を薄らいでいった。
「わ、私のことはかまわず、は、早く逃げよ」
痛みの和らぐ心地よさに陶然としながらも、山南は伊右衛門のことを思い巡らして言った。
今、斬り掛かられれば、二人とも命はない。
だが、伊右衛門は二人の様子を眺めたまま、その場を動こうとはしなかった。
傷口を舐め上げ、血止めの薬を塗ると、ようやくに顔をあげた。
血の付いた唇が紅を塗ったかのように赤く染まり、そぽ濡れる頬に映える様は、ぞくりとする色気があった。
今まで見たことのない、女の顔であった。

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