ザ・グレート・展開予測ショー

壬生浪狼伝 五


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(04/ 4/25)

「総長、近藤局長がお呼びです」
春の訪れを思わせる暖かな日和の中、隊付の小姓がそう告げた。
山南は書状を読む目を止め、文机の上に置いた。
このところ久しく話なぞしていなかったのだが、と訝げに思ったが、
「わかりました。すぐに伺います」
と、答えた。
よろしくお願いします、と言って歩み去る足音を聞きながら、もう一度書状に目を落とした。
折り目に沿って丁寧に畳み、端を揃えて並べられている文箱の中にしまった。
やおら立ち上がり、雑然とする邸内を歩きながら、眉をひそめた。
この春に屯所を西本願寺に移転することが決まり、小者や下女などが慌しく動いている。
一応、前川屋敷では手狭になったため、というのが表向きの理由だが、それを真に受ける者はいない。
西本願寺は、戦国乱世の頃より長州の毛利家とは並々ならぬつながりがあり、此度の動乱においても影に日向に便宜を図ってきたことは周知の事実であった。
禁門の変での攻勢は撃退したものの、以前にも増して朝廷への浸透を強める長州に対する助力は、最早放置しておくわけにはいかなかった。
そこで、西本願寺の集会堂が空いているのを口実に屯所を移し、幕府として無言の圧力をかける狙いがあった。
それが気に入らぬ。
山南にとって新撰組は草莽の志士であるべきで、いたずらに政事に足を踏み入れるべきではなかった。
事ある毎に何度も意見してきたが、近藤は笑って取り合おうとはしなかった。近頃は自分に合おうともしない。
(変わってしまった―――――)
山南は嘆息をもらした。
近藤だけではない。
かつての試衛館の面々も、新撰組も、そして山南自身も大きく変わってしまっていた。
はたしてこのままでいいのか、犬塚に漏らした思いが重く圧し掛かっていた。

その犬塚は、高台寺山門での襲撃を受けてから、氷室にて療養に努めている。
常人であれば助からぬやに思えた傷も順調に回復し、さすがに人狼であると山南を感心させたものだった。
だが、懸念が晴れたわけではない。
犬塚を襲った相手の正体はおろか、足取りさえも皆目わからないのである。
気心の知れた目明しや探索方などにも調べてもらってはいるが、いかんせん奉行所や隊の者に内密にしているため、遅々として一向に捗らないのが実情であった。
「わからないものは仕方がないでござる。先日は不覚を取り申したが、次は醜態を晒すことは致しませぬ」
「しかし」
「心配御無用、にござる」
犬塚はそう言って、殊更に構わぬような振る舞いをするが、山南の不安は募る一方であった。
いくら月の物にて体調が優れなかったとはいえ、一太刀であれだけの深手を負わせた手並みは尋常のものではない。
犬塚は「次こそは」というが、はたしてどうか。
降り始めた雪に足を取られ、踏み込みが甘くなったのが幸いし、命拾いをしたというのが本当のところであろう、山南はそう見ていた。
出来ることなら会いたくない、それが包み隠さぬ本心であった。

部屋に入ると、局長の近藤と副長の土方、そして男が一人座っていた。
年は四十を過ぎた辺り、撫で肩ではあるが首は太く、相当に鍛えてあるのが見て取れた。
着古した袷を纏っているが、一介の志士には見えなかった。
いささか痩けた頬と三白眼とが相まって、意志強固だが冷たい印象を醸し出していた。
あの刺客である。
何故ここに、そう言いたくなるのを堪え、平静を装って席についた。
「山南君、急に呼び立ててすまない」
近藤が言った。
「こちらに居られるのは御公儀の筋の方でな、我等に内々の話があるというので来てもらった」
そう言ってちらりと視線を向けると、男は目礼をして話を受けた。
「私は伊右衛門と申します」
穏やかだが張りのある声は、まぎれもなくあの声であった。

公儀隠密人外改め、と伊右衛門は言った。
人の世に紛れて潜む人ならざる者―――人狼を狩ることを家命とする一族である。
人間以上の力を持つ者を恐れる幕府は、常に彼等に命じて監視し、見つけ次第葬り去ってきたのだと言う。
そして、この京の地にも人狼の血を引く者、しかも女が潜んでいるので急ぎ上洛して討つべし、との密命が下されたとの事であった。
だが、今の京は世情混乱の極みにて探索も儘ならず、やむなく新撰組に助力をお願いしたい、と言った。
近藤も土方も山南も、思いがけない話にそれぞれに顔を顰めてはいたが、その思いは三者三様であった。
もともと信心深かった近藤は、人狼などという怪奇譚のような話に気を飲み込まれてはいるが、将軍直属とあれば断る道理などない。
土方は、何の意味もなさそうな事に新撰組を使うのは腹立たしかったが、近藤の性格や後々のことを考えて渋々同意した。
「山南殿はいかがでございましょうか」
伊右衛門は、奥底を見透かすような冷ややかな目で静かに問うた。
これが罠であることは、全く疑いようもなかった。
おそらく、山南を通じて動きを誘い、犬塚を斬ろうという算段に他ならなかった。
山南は退路を絶たれ、堀が埋められたことを悟った。
「わかりました」
そう答える自分の声が、どこか他人のように聞こえた。
最早、迷っている時間はなかった。

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