ザ・グレート・展開予測ショー

嵐の中のマリア


投稿者名:紫
投稿日時:(04/ 4/23)


 その日は嵐だった。轟々と風が鳴り、雨水がありとあらゆるものを平等に叩いている。道行く人々はそれらに耐えようと、首をすくめ大して役に立っていない雨具にしがみついている。早く目的地に着くことだけを考え、回りの風景に気を配る様子もない。もっとも、嵐の風景を好む人間も少ないだろうが。
 そんな中に、ぽつんと異彩を放つものがあった。マリアである。漆黒のレザースーツを着込み、真紅の髪と純白の肌を持った二十台ぐらいの女性。それだけでもかなり目立つ風体だが、すべての人間が足早に通り過ぎていく道で、雨に晒されることに何の躊躇も感じていない様子で立ち尽くしている。傍目には何をしているのか判断できない。そこだけが、何かに切り取られたかのようであった。
 マリアがいるのは十字路だった。車道では轟音を立てて車が行き来している。周囲を見回すと高層ビルとデパートが建っている。こんな嵐の日でも人で込み合うような、物の多い場所。いや、嵐の日だからこそ他に出かける場所もなく、こういう所に人々は来ると言えるかもしれない。
 一組の親子連れがいた。どうという特徴があるわけでもない、普通の母親と娘である。娘は小学校低学年ぐらいだろうか、黄色の綺麗な雨合羽を着ている。これぐらいの子供らしく、水溜りを踏んでは楽しそうに笑っている。母親はそれを見て落ち着くようにたしなめつつも、怒っている様子ではなかった。微笑んでいる。嵐には困っているのだろうが、良い買い物でもできたのか明るい雰囲気があった。
 その親子はマリアの傍を通っていった。子供は無邪気に、母親はマリアの様子を見ていぶかしみつつも、足を緩めずに通り過ぎていく。なにか嫌なことでもあったのだろうか、あんな風に雨に打たれていて大丈夫だろうか、などと考えていたが、声をかけるのはためらわれたのだ。マリアの無表情を見たからである。悲しそうにしているならまだしも、何を考えているか分からないのに話しかけるのは勇気がいる。結果、そのまま通り過ぎるしかないのだ。そして、普通なら何事もなくその姿の記憶も日常に埋もれていく。
 親子連れ二人は十字路に差し掛かった。運悪く、信号が赤になった直後だった。二人並んで立ち止まり、数十秒を過ごす。そして信号が青になった瞬間、子供がぱっと飛び出した。跳ねるように横断歩道の白線を踏みながら、大人の集団から抜け出る。黄色い姿が残像に残った。そこへ、あってはならないことが起こった。信号を無視して乗用車が突っ込んできたのである。雨で視界が悪かった上に、おそらく、普通に歩いた速さなら、まだその横断歩道の中央には人はいないと思っていたのだろう。スピードも遠慮している様子がなく、むしろ早く通ってしまうつもりだったのか、かなり早い。悲鳴が上がった。その場にいた誰もが、凄惨な光景を脳裏に描き、目を背けた。
 しかし聞こえてきたのは肉の潰れる音ではなくて、金属と金属がぶつかり合い、ひしゃげる音だった。恐る恐るその現場を見やると、子供は道路に座り込んでいた。何が起こったのかわからないのか、泣き出すわけでもなくぽかんとしている。そして乗用車のボンネットは前から見事にへこんでいた。運転手は突然の衝撃に咳き込んでいる。誰も怪我一つしていない。そう見えた。だれもがそんなはずはないと考えていたが、確かに誰も怪我はしていなかった。ありえない光景を目にしていた。
 乗用車のへこみに、人が食い込んでいた。漆黒のレザースーツ、真紅の髪、純白の肌。どうやってそこまで一瞬で飛び込んだのか、腕を交差させ、足を踏ん張り、人間を簡単にひき潰す鋼鉄の塊をその身で食い止めていた。周りがあっけにとられて見つめる中で、マリアは車が完全に止まっていることを確認するかのように、ゆっくりと体をそこから引き剥がした。圧倒的な力で、車体がべきべきと軋んだ音を立てた。
 ざわめきだした周囲を無視して、マリアは座り込んだままの子供に手を差し伸べ、立つようにうながした。しかし子供はその手を掴むことなく立ち上がり、母親の元へ逃げるように走っていった。先ほどのマリアの凄まじい力と無表情に、恐怖していた。母親と抱き合い、目を伏せた。事故そのものよりも、別のことに恐怖と衝撃を受けていた。誰かが、化け物だと言った。
 波紋が広がっていった。誰もが何も言っていないようで、そこには化け物という単語が充満していた。その中心にはマリアがいた。誰もが目を合わせないようにして、マリアを見ていた。その場には、何かの弾みで爆発しそうな、得体の知れない雰囲気が溜まっていた。マリアは、やはり無表情に立ち尽くしていた。いや、その場から離れようと群集に背を向けた。
 しかしその中で、一人だけ動いた人間がいた。子供の母親である。必死でしがみつく自分の子供を体から引き剥がし、肩を掴み後ろを、つまりマリアのいる方向を向かせ、背中を押した。突然のことに子供は振り返り、泣き出しそうな顔で母親を見上げた。母親はゆっくりした動作で目線を子供に合わせ、何をするべきかしっかりと言い聞かせた。その子供が今まで聞いたことのないような、断固とした声だった。
 ますますその場の雰囲気が険悪になっていった。あと数秒もすれば、爆発していただろう。しかしその中で、マリアに助けられた子供は、まだおっかなびっくりの足取りではあったが、それでもマリアに近づいて、大きな声で一言だけ言った。ありがとう、と。
 それを聞いたマリアは、やはり無表情のままだったが、一つうなづくと、今度こそ群集に背を向けて、歩き出した。後には、ひどく気まずそうな様子の大勢の人間が残された。心に何かを抱えて、彼らはこれから生きていくことになった。
 数週間後、また雨の振った日に、マリアは別の交差点に立っていた。彼女は、人間を助けていたのだ。

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