ザ・グレート・展開予測ショー

壬生浪狼伝 三


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(04/ 4/ 7)

秋の陽はつるべ落とし、という。
本堂の阿弥陀如来を、ゆっくりと撫でていった夕日はとうに落ち、蝋燭がひとつ灯された。
庭越しに見える藤堂屋敷の向こうには、宵の明星が煌びやかに輝いていた。
さして広くもない室内を照らす弱い光の中、静かに佇む山南と犬塚の姿があった。
壬生寺より八町ほど離れたところにある光縁寺の住職、良誉禅師とは日頃より昵懇で、山南は何かと世話になっていた。
不意に尋ねて来た珍客を見ても禅師は何も言わず、静かに茶を立てるのみであった。
江戸生まれの永倉新八あたりなら、そのまま島原へでも連れて繰り出すところであるが、山南はどうもそのほうは不調法であり、落ち着いて話せる場所はここしか思い浮かばなかった。

「犬塚どの、これほどお頼み申し上げても聞き届けてはもらえませんか」
山南は膝を詰め寄らんばかりに懇願する。
「申し訳ござらぬが、我が剣をお教えするわけには参りませぬ。いえ、無理なのでござる」
「私の技量が劣っているのは承知しています。なれど―――――」
「そういうわけではござらぬ」
神技とも思える犬塚の剣技を伝授して欲しい、そして出来るなら自分と一緒に勤皇に尽くしてはもらえないかと、もう一刻あまりも説得を続けているのだった。
しかし、犬塚は頑なにその申し出を拒み続けていた。
「なれば何故」
合点が行かぬ、とばかりに問い質す。
その訳を知るまでは梃子でも動かぬ、そんな決意が見て取れた。
しばし無言で見つめ返していた犬塚であったが、やがてあきらめたように視線を落とし、冷たくなった茶を一口飲んだ。
「なれば、その訳を御覧入れる」
そう言いながら、脇の燭台を手元に引き寄せた。犬塚の影が一際大きく壁に写った。
「山南どの、拙者の影を御覧なされ」
「影がいったいどうしたと―――――」
何の意味があるのかと訝しんでいたが、言われるままに目を向けて山南は絶句した。
そこに映し出されていたのは人ではなく、覆い被さんばかりに伸びる獣のような姿をした影であった。
「こ、これは―――――」
山南は驚愕のあまり両の眼を大きく見開きながら、ようやくにして搾り出すように声を発したきり、息を呑んだ。
夜の帳とともに沈黙が降り、ちりちりと燃える蝋燭の音が、いっそ響くようであった。どこかで犬の遠吠えが聞こえた。

永遠に続くかと思えるような静けさの後、消え入るような声で犬塚が口を開いた。
「拙者は人狼にござる」
目を伏せて、独り言つように話す。
「父は家中で犬塚に並ぶ者なし、と言われた武辺者でござるが、普通の人間でござった。母は拙者が物心つく前に亡くなり、父が男手一つで育ててくれ申した。幼少の頃より拙者は父に武芸を仕込まれ、鍛錬の甲斐あって父と仕合って勝てるようになり申した。それは父の指南の賜物と思うておりましたが、そうではなかったのでござる」
「―――――」
「ある日、怪我により身体を壊し、床に臥せっていた父に呼ばれ、初めて拙者は自分が人狼であることを告げられ申した。亡くなった母も人狼であった事、今際の際まで拙者の行く末を案じて下された事、人並み外れた力を抑えられるよう鍛錬を続けさせてきた事などを明かされたのでござる」
「お父上は今―――――」
「その後すぐに身罷り申した。そして、臨終の際に父より渡されたのが、この竹光なのでござる」
鞘から半分ほど出した偽りの刀身を眺め、しばし思いに耽っていた。
「己が力を抑える術を持つまでは、刀を持つことは罷り成らぬ、いかなる苦難があろうともこの竹光をもって己が道を歩め―――――そう申されたのでござる」
微かに震える手で鞘を収め、小さくひとつ息をついた。
「それ故、我が剣をお教えするわけにも、合力するわけにも参らぬのでござる。拙者は未熟者ゆえ強くなりたいのではござらぬ。強過ぎるが故に未熟なのでござる」
犬塚は姿勢を正し、目を見据えてそう言った。
そこにいるのは最早、ただの少年ではなく、覚悟を決めた一人の武士であった。

風がそよと吹き、影が揺れた。
山南もしばらくの間黙していたが、やがて、
「犬塚どの」
と、声を掛けた。
「ひとつお聞かせ願いたい。犬塚どのは、人狼として生まれたことをどう思われますか」
「拙者は」
不意をついた質問に、少し戸惑う。
「人狼である我が身を悔いた事はござる。なれど、人狼として生まれたことを恨んだ事はござらぬ」
「それだけ聞けば結構です」
その手が傍らに置いた刀に伸びるのを見て、犬塚は僅かに身を硬くしたが、何も言わなかった。
親指で軽く押し上げ、ぱちりと鍔を鳴らした。
「金打」
けして話を漏らさぬ、という意味である。
「今の話を聞いてどうするべきか、私にはわかりませぬ。もしかすれば貴殿を斬るべきか、いや、斬るべきであるようにも思える。だが、私はそうはしたくない」
「山南どの―――――」
「我等は人斬りです。人が人を斬る、だからこそ、そこに理由がなくてはならないと考えています。そうでなくては斬れないのです。確かに、貴殿の影を見て、私は恐ろしかった。なれど、それだけで斬ることができるのか、私にはわからないのです」
「―――――」
「それに、貴殿は御両親を恨んだ事はない、と言われた。そして、お父上は人狼であられたお母上を愛し、我が子を愛し、御立派に育てられた。それを誰が非難できましょう」
犬塚は、次第に胸の奥から込み上げて来るものを、抑えることができなかった。
無理もない。
十五にも満たぬうちに両親を無くし、己の素性を隠すようにして生きてきたのである。
心を開くこともかなわず、独り彷徨う日々を過ごしてきたのである。
せめて今だけは、涙を流す安らぎを許されよう。
嗚咽を漏らし、亡き父を乞う犬塚を、山南は静かに見つめるのみであった。

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