ザ・グレート・展開予測ショー

壬生浪狼伝


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(04/ 4/ 2)

陽は愛宕山の向こうに隠れていたが空はまだ明るく、都の夜はゆっくりと色を深めていった。
薄ぼんやりとした鴨川の両岸は、例年と同じく、四条河原夕涼に集う人々で溢れていた。
枡形に組まれた川床では賑やかな宴が催され、その灯りは四条橋の上からだと、満天の星のように見えた。
三方を山に囲まれた京の夏は暑い。
そこで一服の涼をとるために、川縁で茶を点てたのがそもそもの起こりなのだが、安藤広重が「京都名所十景」で描いたように、今では京の夏の風物として定着していた。
橋の上を吹き抜ける、ひんやりとした風に心地よさを覚えながらも、眼前に広がる光景に山南敬助は微かな失望感を抱いていた。
南北に流れる鴨川の一つ上に架かる、三条小橋西にある池田屋に新撰組が踏み込んだのは、つい先日のことである。
一刻におよぶ激闘の末、謀議中の尊攘派志士のうち七名が斬殺、二十三名が捕縛された事件は、京の街中を震撼させた。そうさせた、と思っていた。
だが、一段と濃くなる夜に浮かぶ灯りは数を増し、喧騒は衰える気配もない。
「何処ぞの田舎者たちがなんや騒いではるけど、無粋なこっちゃ」
そう囁いているような気がした。
近頃、纏わり付いたように抜けない気だるさが、また強く感じられた。
山南は無理に頭を起こすと、祇園のほうへ足を向けた。
すっかり暗くなった道の上を、幾多の提灯が流れていく。
(―――――おや)
不意に向けた視線の先が気にかかった。
宮川筋に逸れて行く提灯の後を、ゆらゆらといくつかの提灯が付いて行く。
次第に間を詰めていき、その一つが消えた。
先程までの気だるさも忘れ、山南は駆け出していた。

角を曲がるとようやくに追いついた。
祇園の灯りから少し外れた路上で、一人の若者をあまり人相の良くない男達が取り囲んでいる。
道行く人は足早に去っていき、人影は急速に絶えていった。
若者の足元にはまだ、落ちた提灯が燻っていた。
「おやめなさい」
山南が背後から声をかけると、八人の男達がジロリと睨んだ。
「去ね」
土佐風の髷を結った男が脅すように低い声で言うが、その声を山南は聞いていなかった。
その目は、人垣の向こうの人物に注がれている。
広大な建仁寺の白壁を背に、刀を抜いてはいないが身構えて立っていた。かなり使いそうな構えであった。
だが、山南の気を引いたのはそれではない。
どうみても年端も行かぬ少年にしか見えぬ顔立ちなのだが、総髪にしたその髪は透き通るように白く、月の光に照らされて輝いていた。
そして前髪だけは燃えるように赤く、あたかも雪山に映える紅葉のごとく、在るべからざる美しさがあった。
震い付かせるような若衆には見えなかったが、なるほど、要らぬちょっかいを出したくなるのも判るような気がした。
「去ね」
もう一度土佐髷に言われて、山南は彼等の事を失念していることに気が付いた。
まるで初めて見たかのような表情が、彼等をさらに苛立たせた。
「何者じゃ、貴様」
一味の頭らしい、ずんぐりとした猪首の浪士が言った。
山南は一瞬迷った。
見たところ志士のようだが、見覚えのある顔はいない。
尊攘派の志士といっても、その全てが確固たる思想や信念があって加わっているわけではない。
むしろ、その多くが単なる食詰者や無頼の徒であり、世情の混迷という時流に乗り、中身を知らぬ題目を唱えているだけに過ぎない。もっとも、それは新撰組においても大差はなかった。
事実、新撰組に応募してきた浪士のうち、入隊を断られるや否や、その足で長州や土佐の藩邸のある木屋町に向かう者が少なくないことを山南は知っていた。彼等は暴れる大義名分があればよかったのである。
なれば彼等は、自分達にとって意味のない争いなどする由もない。
そう見て取った山南は、名乗ればこの場を納められるだろうと思った。なにしろ、池田屋事件から半月も経っていないのである。
が、またしても彼は自分の考えが甘かった事を思い知らされる。
「会津中将御預新撰組総長、山南敬助」
「なに」
男達は一斉に刀の柄に手を掛け、一歩退いた。
そして、他の隊士がいるのではないかと疑い、互いに辺りを見渡した。
悪名高い新撰組に囲まれているかと思うと、とても生きた心地はしなかった。
「心配いらぬ。私一人だ」
「―――――」
「このことは不問に致すゆえ、お引取り願えませんか。私としても、できれば無益な殺生は避けたい」
猪首の頭は、山南を値踏みするように眺め回した。
新撰組の総長といえば、この京で知らぬ者などいない。大物である。
だが、目の前にいるのは中背で色白く、講武所よりも昌平黌にでも通っていそうな優男で、とても北辰一刀流の免許皆伝を受けているようには見えなかった。
なにより、相手は一人なのである。
このような好機を逃す馬鹿はいない。
「あいわかった―――――」
言うや否や、端にいた男が斬りかかって来た。
山南はすばやく抜き打ちに払い上げ、剣先を弾く。
「囲め」
頭が片手を挙げて仲間に指示を出す。
「新撰組の山南といえば千両首だ。押し包んで斬ってしまえ」
八人の男達が一斉に抜刀して取り囲むのを見て、山南は己の浅慮を悔やみ、歯噛みする思いであった。
だが、事ここに至っては是非も無い。
素早く覚悟を決めて、二尺五寸の赤心沖光を正眼に構える。
そのときである。
「暫く」
今まで沈黙を守り続けてきた少年が声を掛けた。けして大きくはないが、人の気を引く、涼やかで通る声だった。
「御心遣い嬉しゅうござるが、ここはお任せ願えませぬか。若輩者とはいえ拙者も武士の子、一太刀も合わせずして助けられたとあっては、面目が立ち申さぬ」
「しかし」
「お願いにござる。このままでは拙者は腹を切らねばなりませぬ」
「わかりました」
静かではあるが、真剣な訴えに動かされ、構えを解いて刀を鞘に納めた。
だが、いつでも加勢に向かえるよう、鯉口は切ったままにしておいた。
「かたじけのうござる」
少年は赤毛の頭をぺこりと下げた。まだ、あどけなさを感じる所作だった。
そして、徐に男達の方へ向き直って言った。
「お主達は拙者に用があるのでござろう。存分にお相手いたすゆえ、かかって参られよ」
全員で掛かって来い、という意味である。
男達は斬りつけるのも忘れて呆気に取られていたが、思いもよらぬ相手からの言われように、顔が見る見るうちに真っ赤に染まっていった。
「ふ、ふざけやがって」
「餓鬼だと思っておとなしくしてりゃ、いい気になりやがって」
「かまうこたぁねぇ、切り捨ててしまえ」
切先を揺らして口々に罵るが、一向に仕掛けようとはしない。
一方、少年は膝を僅かに曲げ、腰を浮かせた姿勢で溜めている。居合いの構えである。
(できる)
山南はそう直感した。
こんな年端もいかぬ少年が、そう思うと背筋に冷たいものが走った。
得も言われぬ緊張が漂うままに時が過ぎてゆく。
四半時も経ったであろうか、いつのまにか雲が出ていた。
月を傘が覆い、辺りの暗さが増した。
未だ男達は刀を構えて罵るだけであったが、形勢が不利なのは、もはや誰の目にも明らかだった。
だが、ここで刀を引けるほど、彼等は強くなかった。
「は、は、は、どうした、臆したか」
「我等が恐ろしゅうて動けぬのであろう。所詮は餓鬼よ」
「大方、幕府の狗かなにかであろう。武士などとは片腹痛いわ」
今まで微動だにせず、悪口雑言を聞き流していた少年の耳が、ぴくりと動いた。
「違う」
「何が違うか。この犬侍めが」
「違う」
そう繰り返す。
やがて―――――
月が消えた。
その刹那、暗闇の中を鈍い光が走り、一陣の風が吹いた。
文字通り、目にも止まらぬ速さで抜打を食らわし、駆け抜けたのであった。
「拙者は、狼でござる」
少年がそう呟くのを合図に、男達は音を立てて崩れていった。

「おみごと」
山南は辛うじてそう言った。
「だが、少々むごい」
先程までさしたる理由もなく白刃の下に晒されていたのに、である。
そこが沖田の好く山南の短所であり、土方の嫌う長所であった。
少年は何も言わず、いたずらでも見つかったような、ばつの悪そうな表情を浮かべて刀を渡した。
その刀を手に取った山南は、今度こそ驚きを隠せなかった。
「これは―――――」
竹光である。
刀身に金貝張を施し、それらしく拵えてはあるが、その軽さはまぎれもなく竹光に他ならなかった。
これでは人を斬ることはおろか、叩くことすらままならぬはずである。
「拙者は」
少年は恥ずかしそうに俯きながら話す。とても、今し方八人の男を斬り倒したようには見えなかった。
「まだ未熟者ゆえ、刀を持つことは許されておりませぬ」
冗談ではない。
この少年が未熟者だとしたら、この自分はいったい何だ、山南はそう叫びたい衝動を必死に抑えた。
「少々気を削りましたゆえ、しばらくは剣を持てぬでしょうが、命に別状はござらぬ」
「―――――」
「新撰組の山南どの、でございましたな。御手数でござるが、この者達の処置をお願い致す」
「それは一向に構わぬが、それにしても貴殿はいったい―――――」
「いろいろと詮議したいことはあろうかと存ずるが、今は申すわけにはまいりませぬ。いずれ機会もござりますれば、この場は何卒御許しくだされ」
そう言ってまた頭を下げると、踵を返して立ち去っていった。
「待たれよ―――――」
山南は後を追いかけようとしたが、足が地に根を生やしたかのようで、一寸たりとも動けなかった。
「ならば、せめて名を御聞かせ願いたい」
少年は足を止めた。
漆黒の闇に溶け込む中、白銀の後ろ髪だけが人魂のように淡く浮かんで見えた。
「犬塚―――――」
振り返らぬままに、肩越しに答えが返ってくる。
「犬塚シロ、にござる」
そのまま、消えた。
月が晴れても、もはや何処にも気配はない。
山南は、犬塚と名乗った少年の去っていった闇を見つめていた。
この先は冥界と現世を繋ぐ、と謳われる六道の辻。
あるいは妖の類であったか、ぼんやりとそう思い始めていた。

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