ザ・グレート・展開予測ショー

今昔首切草子  四の首


投稿者名:777
投稿日時:(04/ 3/14)

 屋敷から出ると、雨はまだ止んでいなかった。雪乃丞はそのまままっすぐに歩き出す。

 霊との戦闘経験などない素人が、もし逃げるとするならどう逃げるだろう? 七篠の思考をトレースしながら、雪乃丞は歩き続ける。曲がり角を曲がって撒こうとするだろうか。そこまで冷静な判断を下す理性が残っているだろうか。おそらくは無理だろう。だから多分、七篠はまっすぐに逃げて行ったに違いない。

 本音を言えば、雪乃丞は七篠に出会える可能性は低いと思っていた。村から逃げることはできず、亡者の蠢くこの村は素人が生き残れるほど甘い状況ではない。廃屋に逃げ込めばそこには首が待っているし、物陰に隠れたところでいずれは見つかるだろう。休みなく逃げ続けられるほど体力のある年齢でもない。おそらくはどこかで殺されているはずだ。

 では何故、雪乃丞は七篠を探そうなどと思ったか。実を言うなら、雪乃丞自身もその理由がわからない。ただ歩きながら思考をまとめたいと思ったのか、七篠を探すことが有益だと勘で思ったのか。

 あるいは、と雪乃丞は思う。あるいは、瑠璃のためだろうか。死んでも陽気な幽霊、水天宮瑠璃。彼女を見捨てた七篠に対して怒りを感じているのだろうか。

 見捨てられたとは思っていないと、瑠璃はそう言ったが、雪乃丞は七篠が瑠璃を見捨てたと思っている。素人が二人、悪霊に襲われて一人でも生き残ったのだからそれはよくやったというべきかも知れない。男なら女を庇わなければならないなどと、そんな青臭いことを言おうとは思わない。だが、それでも。七篠は瑠璃を見捨てた。

 逃走という行為は、本来そういうものだ。逃げるということは捨てるということ。勝負を捨て、仲間を捨て、プライドを捨てる。再戦を誓った戦略的撤退ならともかく――ただの逃走は、無様だ。敗北よりもなお悪い。

 それでも、生き残れるというのならまだ僥倖だが、この状況ではそれも無理だろう。どうせ死ぬ。ならば、戦って死ぬべきだ。七篠は瑠璃の隣で死ぬべきだったのだ。

 だが、もし七篠に出会えても、雪乃丞は彼を責めるつもりはなかった。瑠璃に対して義理などないし、素人である七篠が逃げたことを責める権利を、自分が持っているはずもない。

 七篠に会いたいわけでなく、会う可能性も低いと思いながら、それでも雪乃丞は七篠を探す。それはだから、希望でもなければ可能性でもない、言うなれば運命の導きによって――

 雪乃丞は村のはずれ、断崖絶壁の下で七篠と出会ったのだった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 男は雨の中、項垂れてぶつぶつと何かをつぶやいていた。その足元には死体が転がっている。寄らずともわかる、それは彼自身の死体だった。

「よぉ、あんたが七篠教授かい?」

 雪乃丞の言葉に、男は顔をあげる。生気のない――死んでいるのだから当然だが――表情で雪乃丞を見据え、疲れたようにため息を漏らす。

「ああ、そうだ。私が七篠だ。君も迷い込んだ人間かね?」

 七篠の視線は思いがけず理知的なものだった。雨に打たれながら何かをつぶやいていたから、てっきり狂っていると思い込んでいた雪乃丞は少し拍子抜けする。

「俺は雪乃丞。伊達雪乃丞だ。あんたがここからの脱出法について知っていると聞いたんだがな」

「聞いた…? ああ、そうか。瑠璃君に会ったのか。そう、私はここからの脱出法を、ついに見つけ出した」

 瑠璃の名前を言ったとき、七篠はふと懐かしげな微笑を浮かべた。その微笑はすぐに消え、そう言えば、と不思議そうな顔になる。

「瑠璃君は、まだ来ないのかね? 私は彼女を待っているのだが。ここは危険だ、早く逃げなければ」

「瑠璃は来れない。あいつは死んだんだ」

 七篠の表情が凍りついた。雪乃丞は淡々と事実を述べる。

「俺は瑠璃の幽霊と会ったんだ。あいつは屋敷の書庫で死んでた。心臓が破壊されてたからたぶん即死だ。あんただってそれくらい分かってたんじゃないのか?」

 だからあんたは逃げたんだ、とは言わなかった。

「――そうか」

 七篠は自嘲するように笑い、悲しげに呟く。

「私は、瑠璃君を見捨てて逃げ出したのだったな。彼女は、死んでいたか」

「あいつからの伝言だ。あたしは教授を恨んでなんかいない、だとよ」

「それはまた、随分と――」

 随分と残酷な言葉じゃないか、と七篠は笑った。同感だったが、雪乃丞は笑わなかった。

「まぁ、あんたらの事情にゃ興味はないさ。村からの脱出法、分かってんなら教えてくれ」

 冷たい言葉だとは思わなかった。実際に興味はなかったし、七篠も無用な同情は無用だと言ったろう。七篠は頷いて語り始める。

「どんなに有能な術者でも、400年も保つ結界など張れはしない。ましてや術者はそれを意図していたわけじゃないんだ。村から逃げ出せないように結界を張り、そしておそらくは村中のものを皆殺しにしたらすぐに解くつもりだったはず。だから、結界はもともとそれほどの強度は持っていなかったはずだ」

 なるほど、と頷く雪乃丞を確認して、七篠はまた口を開く。

「そのため私は、術者が死ぬ直前に結界を強化したのではないかと考えた。だが、私はよく知らないが念ずるだけで結界は強化されるようなものではないだろう。聞きかじりの知識でしかないが、結界は何らかの媒体を持って強化するそうだ。例えば八方に展開された札であったり、あるいは星状に並べられた宝石であったり。この場合、それは何だろう。そう思って、ふと思いついたのだよ。術者の男は、自分の血筋に呪いをかけた。だが、本当にそうだったのか、とね」

 七篠は薄く笑った。そこに見える感情は憐憫。

「術者は、血筋に呪いをかけたわけではなく、自身の体に呪いをかけたのだ。自らの体を媒介に、結界を強化するために。ここから先は私の推測だが、術者は自分に子供ができたことなんて知らなかったのだろう。ましてや自身の呪いが彼の血筋にすら影響を及ぼすなどとは思ってもいなかった。彼は多分、死刑囚を外に出したくなかっただけなのだ。外にさえ出さなければ平和に暮らせるとでも思ったのかもしれない。彼は一年の暮らしで村人を殺すつもりなどなくなり、村を結界で覆うために自ら死を選んだのではないか、というのは少々ロマンチックに過ぎるかね」

「自分の体を媒体に、か…」

 なるほど、確かにそうだ。400年も保つ結界を張るには、何らかの生贄が必要だったはず。その生贄が術者自身であれば結界はより強化される。

 そう言えば、瑠璃は言っていた。術者は八つ裂きにされて村にばら撒かれたと。それが媒体なのか。

「術者の体は村の周囲を八角形に取り囲んでいるはずだ。村の地図によると、村の外れには祠が八つ建っているから、多分その中だ。術者の体すべてを集め、焼いてしまえばいい。そうすれば、呪いは解ける。結界はもちろん、おそらくはこの村にかけられたすべての呪いが」

 すべての呪い――村中を蠢く亡者。死んでも成仏できない侵入者。

「なるほどな。んじゃ、もう一働きするか。あんたも来るかい?」

 断られるだろうことを予期しての質問だった。七篠も瑠璃と同じく、地縛霊となっているはず。一緒に行くことなどできはしないのだ。

「いや、私は行けない」

 もちろん、七篠は断った。だが、その後に続く言葉は。

「瑠璃君を待たなければならないからね」

「――?」

 何らかの比喩かと思って、雪乃丞は七篠の目を覗き込む。七篠の目は、誰かを待っているような心細げな色があった。雪乃丞はようやく気づいた。

 ――やっぱり、狂ってるんじゃねぇか。

 七篠は現実を受け入れることを拒否していたのだった。瑠璃はまだ生きていると、そう思っている。

 雪乃丞は現実を受け入れない七篠に苛立ちを感じた。それでは、瑠璃の伝言は何だったと言うのだ。こいつは、また逃げやがった!

 だから雪乃丞は、瑠璃はもう死んでいるとは言わず。

「よぉ、知ってるか? あんたもう死んでるんだぜ」

 そう言って、その場を立ち去った。

 七篠の悲鳴が聞こえたような気がしたが、一度も振り返らなかった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





 村を一周するのに、一時間もかからなかった。

 乾パンとチョコレートを腹に入れたおかげか、雪乃丞の体は軽かった。亡者も村外れまではやってこないのか、まったくの無警戒だ。村を一周して祠を巡り、中に収められていた萎れた黒いものを集める。

 集め終わって地面に並べると、それは小さな人型になった。積み重ねて火をつける。雨が降っているにも関わらず、音を立ててそれは燃え上がった。

「これで、呪いも解けるか」

 火の勢いにあわせるように、村を覆っていた霊気が徐々に薄れていく。完全に灰になるころには、村を覆っていたあの悪意が、嘘のように消えていた。

 雪乃丞はそれが完全に灰になったことを確認し、丁寧に踏み潰してから屋敷へと戻った。瑠璃がちゃんと成仏したかどうか、見届けたかったからだ。書庫の扉を開けると、中では瑠璃がニコニコしながら待っていた。

「おかえり、ゆっきー。さっき、あたしを締め付けてた鎖みたいなものが消えたよ。全部、終わったんだね」

「なんで、まだ残ってるんだ? まさか、成仏の仕方がわからないわけじゃあるまい?」

 知り合いの元幽霊が言っていたことを思い出す。成仏の仕方がわからない幽霊。なんとなく、瑠璃はそんなおとぼけをやらかしそうだ。

 だが、瑠璃は笑って首を振った。ツインテールがふるふると揺れる。

「ゆっきーを待ってたんだよ。最後にもう一度会っておきたくてね」

 お礼を言いたかったんだよ、と瑠璃は言って、そしてぴょこんと頭を下げた。

「ありがとう、ゆっきー。あなたのおかげで、あたしはようやく眠ることができる。だから、これはお礼」

 瑠璃はごそごそと自分のリュックを漁り、四角に畳まれた紙切れを取り出す。

「じゃじゃーんっ! この山の地図でしたー! これがないと帰れないよ、ゆっきー! すごいお礼だね、感謝感激雨あられだね、あたしのこと忘れないでねっ!」

 雪乃丞はおとなしく地図を受け取った。言われるまでもなく、こんなに濃いキャラクター、そうそう忘れられるものではないだろう。

「んでさ、ゆっきー。教授に会えた?」

 首を傾げて覗き込むように、瑠璃は雪乃丞に尋ねる。雪乃丞は七篠のことを思い出したくなかったが、しょうがなく答えた。

「ああ、会ったよ。死んでたが、お前と同じく幽霊になってた」

 そう、と呟いた瑠璃は、どこか寂しげだった。彼女は、本当に、教授に死んでいてほしくなかったのだ。

「伝言、伝えてくれた?」

「ああ、伝えたよ」

「ありがと。それで、教授、何か言ってた?」

 残酷な言葉だと言った、とは答えなかった。その代わりに雪乃丞は、何も言わなかった、と返す。瑠璃はふぅんと頷いて、楽しげに笑った。

「ゆっきーは、優しいねっ!」

 どういう意味なのかは聞かなかった。代わりに、雪乃丞は身支度を整える。そろそろ別れの時間だ。

「それじゃ、俺はそろそろ行くよ。地図があって助かった。礼を言うよ。じゃあな」

「うん、ばいばい」

 雪乃丞は瑠璃に背を向け、書庫を出て行った。瑠璃が後ろで消える気配がした。――成仏したのか。

 振り返ると、そこには死体が一つあるだけだった。安堵のため息をついて、それから瑠璃の前では恥ずかしくてできなかったことを――瑠璃の死体に黙祷をささげて、それから屋敷を出た。

 いつのまにか雨はやみ、日が昇っていた。待望の夜明けだ。

 地図を見ながら、雪乃丞は朝日に向かって歩き出した。

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