ザ・グレート・展開予測ショー

#挿絵企画SS『夕暮れの歩き方』


投稿者名:黒犬
投稿日時:(04/ 2/29)





 赤い光が、世界を斜めに焦がしている。
 銀色の雲が、夕暮れの空に映える。今日という一日を運んできた太陽は、なだらかな稜線の向こうに沈んでいく。
 斜めに傾いた陽射し。足元の地面が、紅く染まっている。世界の全てが茜色に塗りつぶされる。
 それは優しい色で。そして、同じ色に染め上げてしまわねば我慢できない傲慢な色。

 ――また、夕焼けの時間が来たのだ。












  “夕暮れの歩き方”












「せんせー!」

 ぱたぱたぱた、と尻尾を振りながら跳びついて来た小柄な躰を受け止める。触れるのに躊躇するほどのやわらかさを備えたその身は、今やすっぽりと彼の腕の中に収まってしまい、彼女の尻尾だけが、想い人の胸に顔を埋めて動かなくなってしまった主人に成り代わってせわしなく運動していた。ぱたぱたぱた。

「学校、ご苦労様だったでござるよー」
「えーから離れろって。嫌じゃないが、歩けん」

 せんせーのイケズ、などと戯けるシロをひっぺがし、校門を背中に肩を並べて歩き出す。歩いていく方向に、西日に照らされた影が、大地に打ち込まれた楔のように長く伸びていた。その影を踏みながら、家路を辿る。

 シロは自然な仕草で、横島の肘に自分の腕をからめてきた。
 蜂蜜酒を酌み交わす様な、二人だけの時間。

「うお、風が冷てぇ〜」
「先生は軟弱でござるなぁ」
「お前と一緒にすんなって」

 そよぐ風が頬をかすめると、肌寒さとともに、ほのかな甘い香りがした。
 隣を歩く少女の、長くなびく白銀の髪から流れてきているものだと気づくと、なんだか嬉しくなってくる。
 恥ずかしげもなく白状すれば、可愛いと思った。シロは可愛い。横島は素直にそう思う。

 無邪気な笑顔に安心している自分がいる。
 甘えてくれることに、感謝している自分がいる。
 いとおしいと思える自分がいる。

 いつの頃からだろう。
 日の傾くこの時間、横島の隣に必ずシロが居るようになったのは。
 学校があれば校門の所で待っていて。休日にはアパートに上がりこんで、一緒にごろごろして。事務所でも除霊の現場でも、夕焼けの眩しさから目を反らしたその先にシロがいて。

 やせ我慢をするな、と美神は言った。
 無理はしないでください、とおキヌが囁いた。

 シロは、何も言わなかった。何も言わず、横島の隣に居た。そして、それは今も。

「あのさ、シロ」
「なんでござるかー?」

 ぽつり、と言葉が零れる。思慮や思考を介するよりも早く、胸中に生まれた感情が舌先をすべり落ちた。

「……ありがと、な」

 きょとん。シロの目が真ん丸になる。いきなり何でござる? そう、瞳で問いかけている。

「はは、何言ってんだろな、俺。ごめん、気にしないでくれ」
「気にするでござるよ」

 そっ、と。
 シロの頭が横島の肩に預けられる。

「先生のことだから、気にするでござるよ……」

 密着した躰越しに、一定の間隔で聞こえてくる心音。今ここに生きているという証。命の刻むリズム。
 どうして、こんなに安心できるのだろう?








 大切なひとがいた。
 かけがえのないひとがいた。

 それなのに、失ってしまった。

 とり残されて。置いて行かれて。
 同じ痛みを知っていて。同じ傷をかかえていて。

 だからこそ、彼は彼女の救いになれた。
 だからこそ、彼女は彼の救いになれた。








 二人は同じ空を見上げる。滲むような紅に染め上げられた、天蓋。見ているものは違うかもしれない。映り方も違うかもしれない。それでも、今ここにいるということ。同じ空を見上げているということ。
 それが、いったいいかほどの奇跡の上になりたっているものか。
 出会い、寄り添い歩けることは、なんと幸運なことだろう。

「……いっかいさ」
「はい」
「シロと大喧嘩、したよな」
「したでござるね」
「シロに、すげえ怒られちまった」
「怒ったでござる」

 シロが目を細めて微笑った。とても壊れやすくて大切なものを、優しく抱き上げる時の、そんな笑い方で。

「先生、なんにも話してくれなかったでござるから」
「そうだな」
「……すごく、悲しかったでござるよ」
「わりい」

 その女性は、横島の心の一番深く大切な場所の住人だった。
 今も彼女は横島の思い出の一番暖かくやわらかいところに深く食い込み、離れない。
 背負ってしまった荷物は、だからとても重かった。どのくらいの重さなのかわからなかったけれど、きっととても重かったのだと思う。でも、本当にそれが重いものなのかは、もうわからない。わからないくらいに――自分の中に食い込んでしまっている。

 彼女は自分を連れて行ってしまった。ココロの大部分を、一緒に持って行ってしまった。そしてそれはもう失われてしまって、帰ってこない。もう、同じようにはいられない。

「いいんでござるよ、もう」

 だが、それでも――

「今は、拙者を必要としてくれる。先生が、拙者を必要としてくれる。……それが拙者にとって、一番嬉しいことでござるから」

 何かをなくした。何かを失った。けれど、それでも手のひらの中には、何も残らなかったわけではないのだ。








 吹っ切るだとか。思い出に変えるだとか。
 そんなかっこいい事を言うつもりはない。

 ただ、生きていく。一緒に生きていく。
 優しさに餓えた、こんなに優しい世界の中で。

 それで、いい。








 横島は首肩を捻ってシロに向きなおると、その頬にさりげなく手を沿えた。
 そのまま顔を近づけて、不意打ち気味に口唇を重ねる。シロは「んっ」と小さくうめいて、瞳を見開いて驚いたが、すぐに酔いしれるように目を閉じた。
 長いキスが終わり、顔が離れて、頬を紅潮させたシロは目を開ける。
 それを見ながら横島は笑った。悪ふざけが成功した子供のように。

「せ、先生! こ、こんなところで!? ……んもう!!」

 耳たぶまで真っ赤にして拳を振り上げてくる彼女から逃げ回りながら、横島は自分自身への言葉を胸に紡ぐ。

 ――なぁ、横島忠夫。

 ――大切にしろよ?
 ――大事にしろよ?
 ――泣かすなよ?

 ――お前の大事な女を、世界で一番幸せにしてやれ。
 ――間違っても、アイツの代わりになんかするな。

 ――じゃなきゃ、俺が許さないからな。

 己自身に誓う。硬く硬く、心に誓う。

 大切なものが、手を伸ばせば届く距離にあること。
 身を呈するだけで守る事が出来る、そんな場所に居てくれること。

 それは、とても幸運なことなのだと噛み締めながら。
     
 子供みたいな、君を。
 不意に大人に見える、君を。
 ちっぽけなこの両手で、力いっぱい抱きしめてあげることができるなら。

「ほら。行こうぜ、シロ」





 さぁ、歩いて行こう。手を繋いで。

 どこまでも、一緒に。




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