#挿絵企画SS『それぞれの未来へ』
投稿者名:蜥蜴
投稿日時:(04/ 2/23)
新しい年が明け、数日が経ったある日の午後。
一組の男女の姿が、凍えるような北風の吹く海岸の側に在った。
そこは二人にとって、とても大切な場所。
女が何よりも好きだった散歩の際には、必ず立ち寄っていた砂浜。
この砂浜で過ごした時間を、二人はまるで昨日の事のように思い出す事が出来る。
そこで見つけた見晴らしの良い場所が彼女のお気に入りで、いつも二人でそこに座って海を眺めていた。
夏の間の泳げる時期には、水着を持参して、彼女は飽きる事無くはしゃいでいたものだった。
突然小さく笑い声を漏らした男に、訝しむような視線を向けて来る女。
物問いたげな表情に気付いたのか、彼は笑いを収めて、おどけたように彼女に言葉をかける。
「ああ、すまんな。初めてここに来た時、俺しかいないからって、おまえが裸で泳ごうとしたのを思い出してな」
それを聞いて、凍えていた頬を瞬時に上気させた女は、しどろもどろに言い訳の言葉を紡いだ。
「あの時は、ほら、まだ子供だったから……」
「そうだな。あの時は必死で止めたけど……もったいなかったかな?」
ニヤニヤと微笑む男を見て、女の方は何も言わず、少しだけ頬を膨らませてそっぽを向いた。
そんな彼女の頭を右手で撫でながら、彼は軽い調子で謝罪の言葉を口にする。
「わるい悪い。そう拗ねるなって」
「子供扱いしないで欲しい……」
男の方を見ないまま、ぽつりと呟いた女の言葉に、彼は苦笑して撫でるのをやめ、再び謝った。
「悪い。つい、癖でな……」
男の言葉通り、二人の関係は単なる師弟だった時期の方が長かったため、彼は女を子供扱いする事が多かった。
その頃の彼女は、彼が傍に居る時には必ず、何かしら理由を見付けてはまとわりついていた。
ある理由により身体的には急激な成長を遂げた彼女であったが、その精神は未だ幼かったからである。
彼女にとっての彼は、師と言うよりも兄であり、唐突に喪われてしまった父の代わりでもあったのだ。
女の心の動きはひどく単純明快に見えて、男は彼女の事なら何でもわかっているつもりになっていた。
男女の関係になった後でも、そう思い込んだままでいたのだ。
だが、それはとても傲慢な錯覚だったのかもしれない。
彼女も、いつまでも子供ではいられなかった。
その事に気付けなかった彼との間に溝が出来てしまうのは、至極当然の成り行きだったのだろう。
「先生と一緒にいられるのなら、何をしていても楽しかった。
先生のことを思うだけで、安らいだ気持ちになれた。
でも、思い出したの。父上が生きていた頃の気持ちを。
父上を喪った時、自分自身に立てた誓いを。
私は安穏とした日々の中で、忘れてしまったものを見つけたいの……
だから、先生もわた……拙者が居なくなっても、幸せになって下され」
女はそれまで、男に相応しい存在になれるように、言葉遣いを自ら進んで普通のものに矯正していた。
そんな彼女が、昔の言葉遣いに戻してまで伝えたかった心。
微笑みを浮かべ、そう言った彼女の心は、どれだけの悲しみを含んでいたのか。
嫌いになった訳じゃない。傍にいるのに倦んだ訳でもない。
でも、それでも、譲る事の出来ない思いのために、別れる事を、違う道を歩む事を選んだ。
いつのまに、彼女はこんなにも大人になってしまっていたのだろう――
――今ならまだ、やり直す事が出来るのかもしれない。
波を打つ水面に視線を戻していた男の心に、そんな考えが浮かぶ。
だが、その考えが言葉に載せられる事はなかった。
寂しそうに黙って俯いている彼女もまた、それを望んでいるように見えたとしても。
それは、何度も考えた上で答えを出したであろう彼女の思いを、否定する事になるのだから。
二人で眺めている打ち寄せる波の飛沫が、流れる砂の音が、彼の心の弱さを優しく打ち消していく。
そんな男の脳裏に、女と過ごしてきた月日が鮮やかに蘇る。
初めて出会ったのは、奮発して購入した特盛り牛丼を彼女が奪い取ろうとした時だった。
そして、腹を空かせた彼女に牛丼を譲った後、霊波刀の師として弟子入りを乞われた。
彼女は父の敵に重傷を負わされ、何とか命を取りとめると同時に急激に成長した。
彼女の成長にとまどいながらも、その修行に付き合った数日間。
そして、古の女神と美神令子の力を借り、彼女は敵討ちを果たした。
二度目の邂逅を果たした時の、予防注射をめぐるドタバタ劇。
GS犬マーロウとの出逢いと死霊使いのネズミとの戦い。
三度目の邂逅を果たした時、彼女がかなりのやきもちやきであるのを知った。
同居人となった九尾の妖狐である少女と、何かに付けて競り合う彼女。
心に傷を負っってしまった自分が、悲しみに浸る暇も無い程振り回され続けた日々。
いつしか、お互いがお互いの事を、異性として意識している事に気付き、思いを通じ合った事。
喧嘩めいた事もしたりもしたが、微笑みが絶える事が無かったあの日々。
いつまでも、この穏やかな幸せが続くものだと、二人である事が永遠のものだと信じて。
長い間無言のまま身を寄せ合っていた二人だったが、やがて男の方が、意を決したかのように言葉を紡いだ。
「なあ……一つだけ、聞かせてくれないか?」
その言葉に、俯いていた女の方は、ゆっくりと顔を上げて彼の方に視線を向けて、尋ね返して来る。
「……何でござるか?」
そして彼はもう一度尋ねた。今一番不安に思っている事を。
「おまえは、俺と出逢えて幸せだったか?」
けれど、彼女の方は、彼の不安など杞憂でしかないと、態度で示した。
透き通るような微笑みを浮かべた彼女は、嬉しそうに、そして、誇らしそうにこう言ったのだ。
「先生はどうだったでござる?……それが答えでござるよ」
「……そうか。そうだな」
強張っていた表情を微かに綻ばせた彼は、小さく呟いた後、視線を穏やかに波打つ海面へと戻した。
彼女も再び沈黙すると、彼と同じように視線を戻す。
それからしばらくの間、二人の姿はその場所から動く事はなかった。
二人が最後の逢瀬に身を浸してから数日が過ぎ――
二人は今、最後の別れの時を迎えようとしていた。
駅の入り口の脇の方に立つ男と女。
その二人の表情にもはや悲壮なものは無く、心情的な整理をつけた事を感じさせていた。
彼は大きなトランクに入った荷物を彼女に渡し、今一度向かい合う。
彼女はゆっくりと彼の肩口に軽く額をぶつけ、彼もその背中にそっと手を回す。
しばらくそうしてから身体を離した二人は、最後の言葉を交わし合った。
「それでは、不肖、犬塚シロ、行ってくるでござる!」
「ああ、行ってこい!」
昔のように、気心の知れた笑みを向け合う二人。
そして、女は駅の改札口の方へ向かって歩いて行き、二人の間をガラスのドアが遮った。
そして、遠ざかっていく女の背中を、しばらくの間見続ける男。
その瞳には光るものが浮かび、じわじわと視界に映る全てをにじませていった。
彼女が完全に見えなくなった後も、彼はその場に佇み続けていた。
やがて振り返り、歩き出していく男。
そう、二人は歩き出したのだ、お互いの決めた道を。
交差する事はあったとしても、もはや二度と同じ方向を見る事は無い、それぞれの未来へ――
fin.
今までの
コメント:
- シロ企画SS第二弾です。来栖川のえるさんが同名のSSを過去に投稿なさってますが、
内容は関係ありませんので、ご容赦下さい。
いや、題名より先に内容に関して謝るべきなのかもしれませんけど(笑)
機会が有れば、またいつか投稿してみたいと思います。
それでは失礼いたします。 (蜥蜴)
- うあ・・切ない・・なんというか切ないという言葉を結晶化したような作品ですね〜(笑)演出も文章もお上手でうらやましいです〜
別れの場面なのに前向きで・・しかもそれが逆にせつないという・・(連呼してしまってすいません)
賛成です〜投稿お疲れ様でした〜
機会があれば、ぜひぜひまたお願いします〜 (かぜあめ)
- どうも〜ヒロです〜
せ、せつな!!
やはり横島と一緒にいて、例えその時が幸せであっても、だからと言って己に立てた誓いを覆すような彼女じゃないんですね。
さて、果たしてその誓いはなんだったのでしょうか?実は野性の感を―いえ、止めておきましょう。いい話でした、切なかったです。
であであ〜またいつか、投稿のほど首をなが〜くして待っておりますよ〜であ〜 (ヒロ)
- この作品は原作から数年後と言う設定のため、二人の性格を多少変更している上、
名前も最後の方まで出さない方向で書いていたので、
GTYで公開するかどうか最後まで迷ってたのです。
けれど、それほど違和感を感じずに読んで下さったのなら、嬉しいです。
と言う事で、コメント返しをば。 (蜥蜴)
- かぜあめさん、コメントありがとございます。
以前して下さったコメントにはレスを付けられず、申し訳有りませんでした。
この話は、二人は別れを選んだけれど、それは決して後ろ向きな理由を含んではいない、
という感じで書いていたので、そう感じて下さったのなら、公開して良かったと思えます。
ヒロさん、コメントありがとうございます。
シロの決意に付いては、わざとぼかして書いております。
話の中では蛇足に過ぎませんからね、やっぱり。
決して、書いた本人も考えてないという訳ではないです(笑)
それでは、失礼いたします。 (蜥蜴)
- 感動しました。マジで泣きそうになりました。
ここまでくるのに相当の葛藤があっただろうにお互いを想いつつも自分の進む道のために相手の幸せを願い別れた二人がとても素晴らしく思いました。
もはや二度と〜なんて言わずに何十年か後にお互いの誓いを果たし、また二人で・・・・てこともありますよね?ありますよね?
二人が別れたのは正直ショックですが前向きってことで賛成です。悲しいけどね。
お疲れさまでした。またの機会を楽しみにしてます。 (なかんだかり)
- なかんだかりさん、コメントありがとうございます。
二人が別れを決意するまでの間には、それはもう激しい葛藤があったりします。はい。
これまた蛇足になっちゃうので、ダイジェスト風にしか書けませんでしたが(笑)
もう二度と会わないというくらい強い思いを持たなければ、二人は別れられなかったのです。
最後に、公開に当たり、チャットで相談に乗って下さった方々、本当にありがとうございました。(遅過ぎるって)
それでは、失礼いたします。 (蜥蜴)
- 彼の為に言葉遣いも改め、凄く大人っぽく見える彼女。でも、彼女には彼と共に行くのと違う心に決めた
道があり、決別を選んだ二人が並んで見る海。とても淋しくて切ないけど、その風景はそれぞれの未来に
続いている。だからこそ彼女は彼女の言葉に戻り、二人は師弟として力強く意気揚々と別れるのでしょう。
彼女の心に応え見送る彼が逞しく思えます。 (フル・サークル)
- ふたりはなぜ別れることを選んだのでしょう?
それまでのふたりの関係はどうだったのか?
いろいろと読むうちに想像がかき立てられていきますね。
ちょっぴり切ないお話でした。 (林原悠)
- 最後のフレーズが重く心に突き刺さっております(ノД`)
お互いに望んだ関係の結末。きっと何もかもがあって、そこから導き出されてしまったのでしょうか。
決して沈みきらない別れを告げあう二人の姿が、とても二人らしく。
二人の気持ちの入り混じった今までを漠然とですが思う事ができ、自分では理解し得ない重さに感じ入れました。
願わくは。可能性でいいです。どんなに小さくてもいいです。
共にある二人の未来のビジョンがありますように。
きっとこの別れも、二人とも初めは想像もしてなかったでしょうし、希望を抱いても良いですよね?(←臆病者) (志狗)
- フル・サークルさん、林原悠さん、志狗さん、コメントありがとうございます。
幸せな生活に埋もれるより、自身への誓いを果たす事を選んだシロ。
そして、彼女の意思を尊重し、それを見送る横島。
今はまだお互いの決めた道を歩く事に必死の二人ですが、
いつか月日が流れて、二人が自らの辿って来た軌跡に誇りを持てた時、
もしかしたら、再びその未来が交わる日は来るのかもしれません。
それでは、失礼いたします。 (蜥蜴)
- どう言ういきさつで彼と彼女は別れたのかは知りませんが、別々の道を歩んだ彼女らに幸運を…。コメントは初めてですね蜥蜴さん。浪速のペガサスです。
己の道を歩もうとすることは凄く決心が必要なこ。だけどそれを知りつつ引き止めない男。男があえて引き止めない優しさを知って、それでも行く女。
切ないです。そしてどこか希望に満ちた話だった、そう思いました。
投稿お疲れ様でした (浪速のペガサス)
- 浪速のペガサスさん、こちらでは初めまして、ですね。コメントありがとうございます。
内容に関する自分なりの総括は、一つ前のヤツに書いた通りです。
別れの悲しみを胸に、未来への希望を抱く二人に、何かを感じてくれたのなら嬉しいです。
それでは失礼いたします。 (蜥蜴)
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