ザ・グレート・展開予測ショー

ゼラニウムは咲いている


投稿者名:マサ
投稿日時:(03/12/26)

網膜に映る淡いひかりが深いまどろみの中からゆっくりと意識を引き上げる。
清涼感のある空気をいっぱいに吸って起き上がり、一つ伸びをした。
軽く上半身を左右に逸らし、体をほぐす。
両手で水を包み込み、顔を洗う。
ひんやりとした感覚が目のあたりに残った眠気を覚ましてくれる。
「今日も、一日頑張りましょう」
鏡に映った自分ににっこりと彼女は言った。





















「いてててて…」
「動かないでください。すぐに治しますから」
事務所の食卓椅子に座らされた横島のあちこちの傷にヒーリングを掛けていくおキヌ。
横島は傷のふさがった腕を確認し、ぽりぽりと頭をかく。
「まったく、力の加減を知らんのかお前は」
「かたじけないでござる。つい力が…」
「何時もそう言ってるな」
そうは言っても、怒る気もせず横島は苦笑する。
何だかんだ言いつつ、弟子を持つのは気分が良い。
いつも見慣れた風景だ。
おキヌも毎朝見ている。
それなのに、顔は笑っているのに―――心が、ちゃんと笑ってない。
二人を見ていると微笑ましいと思う。
けれど、そこにはどうしても別の感情も起こっていて…。
「(私、なに考えてるんだろう…)」
「おキヌ殿、拙者も手伝うでござる」
「え?」
シロの声で一気に現実へと戻るおキヌ。
視線を向けると、シロが横島の首筋に舌を触れさせようとしていた。
「だ、だめっ!」
叫んでいた。
喉に力が入り、強く耳に響く高い声音だった。
悲鳴に近い。
「は、はいでござる…」
驚き気味にシロが舌を引っ込めた。
その様子を見て慌てて口を抑えるおキヌ。
「ご、ごめんなさい。…えーと、シロちゃんには朝ごはんの用意をお願いしたいの。もう出来てるから、後は並べるだけなんだけど」
「りょーかいしたでござる。あ、そー言えば、あの女狐はまだ起きないでござるか?」
「うん、起してあげて」
「それもりょーかいしたでござる♪」
そう言うと、たたたた、と足音を立ててシロはドアの向こうへ消えていった。

「ふぅ…」
胸の奥から重い溜め息が漏れた。
顔が少し火照っている。
胸の鼓動が早い。
実際、シロに言いつけたことはとっさに思いついただけで、仕事をさせたかったわけではない。
ただ、そうしないと悲鳴を上げていたものが消えない気がしたから。
「…あのさ」
「はい?」
「どしたの?」
疑問そうに横島が問う。
「何が…ですか?」
そう聞き返す声は微かに震えていた。
何を聞きたいのかは分かっている。
だからこそ、聞かれるのが怖い。
何と答えたら良いのかわからないから。
「今の」
「な、何でもないです。何でも」
そう答えるしかなかった。一番正しいようで一番違う答え。
「そう…かな?」
「……はい」
そのままおキヌはゆっくりと横島の両頬に手を当てヒーリングを続ける。
自然と正面から見詰め合う形になった。
「……………」
「あのさ、俺ってこんなに甘えてて良いのかな?」
暫しの沈黙のあと、横島が切り出す。
この状況で沈黙は居心地が悪い。
ただ、話をしたかった。それだけの気持ちだった。
「え?」
「ほら、俺って怪我が絶えないし。すぐに治るし、わざわざ治してもらうのもなんとゆーか」
「いいんですよ。私が勝手にやってるんですから」
いいの、と聞きなおす横島に、はいっ、と満面の笑顔でおキヌが返した。

「これで良いと思うんですけど、他に痛いところとかあります?」
「だいじょーぶだって」
そう言って立ち上がる。
痛いところは…やはりない。
すると、正面に正座していたおキヌが少し顔を固くして、
「ズボン脱いでください」
「はっ?!」
一瞬、横島は石化した。おキヌも、意味が正しく通じていないことに気付き、顔を赤くする。
「あ、あうぅ〜、ち、違うんです。横島さんのズボン、もう穴だらけじゃないですか。前から繕おうと思ってたんですけど、これはもう私もどこまで直せるか…」
「あ…そう、かな?」
よく見ると、ところどころに穴が空き、ずたずたの半歩手前という感じだった。風が吹いただけで落ちてしまいそうだ。
無理も無い。連日酷使どころか、地獄の観光旅行につき合わされた悲しき相棒だ。形が残っているだけでも奇跡的に思えてくる。
「…確かにむごい」
横島も素直な感想を洩らす。
そんな姿を見つつ、おずおずとおキヌが切り出した。
「横島さん、……今日、一緒に買い物に行ってください」
「え?買い物なら何時も…」
唐突な申し出に、横島は間抜けな顔で返す。いや、元々そんな顔だとか、そんな突っ込みはご遠慮いただきたいが。
その横島の台詞に、おキヌは顔に赤みの残したまま少し呆れを含んだ様子でやや語気を強めて、
「そ、そうじゃなくてっ、わ、私、新しいのを買ってあげます!」
言い終わった彼女の顔は耳まで真っ赤だった。
彼女にとっての精一杯でもあった。
「え、何の?」
これ以上は流石に少々憚られたが、それでも釈然としないのか、横島は更に聞き返した。
この時点で、今回の“買い物”の文字に含まれるニュアンスの違いに気付いても良さそうなものだが…。
「よ、横島さんのズボンです!」
もう、好い加減湯気まで上がっておキヌの方が再起不能になってきた。目が鳴門海峡よろしく渦になっている。体力的にも限界のようだ。
普通の人なら、ここまで来る前に怒り出して提案を引っ込めてしまうのだろうが、その辺りは流石おキヌと言えるかもしれない。
横島は状況が理解しきれないまま、熱意(?)に押されてただ黙って頷くしかなかった。




















「これどうですか?」
「うん」
「これは?」
「うん」
「…ちゃんと答えてください」
「ごめん」
おキヌが学校から帰ってすぐに店に入ってかれこれ小一時間、おキヌが掛かっている品物を横島に見せては彼がそれに相槌を打つ、といったやり取りが続いていた。
そのため、おキヌも表情も笑みが崩れかかっている。
「どうして全部頷いてるんですか?」
怪訝そうにおキヌが聞く。
それに対して返って来た答えは、全く予想外だったが。
「……いや、おキヌちゃんの選ぶのなら俺はどれでもいいと思うから…」
「え…」
おキヌは一瞬自分は何を聞いたのか理解できずに硬直した。
横島に限って、こんな気の利きすぎた台詞が出るなどとは思わなかった。
けれど、その台詞を頭の中で何度か反芻した所でおキヌの顔は、ぼっ、と火がついたように赤くなった。
それを悟られるのもどうにも恥ずかしく、俯いた状態で持ったままだったジーンズを横島に押し付ける。
「じゃ、じゃあ、これ、試着してみてください」
早口でそう告げる。
横島もその姿に微かな当惑をしつつ試着室へと入っていった。

「(とは言ってもなー…)」
横島は渡されたジーンズを持って内心思う。
このジーンズ、いや、おキヌが見せたジーンズは全て良く似たものなのだ。
耐久性のためとしても横島の嗜好としても穴などというおしゃれなものは最初から論外として、かすれ気味の色調の薄い青、サイズ、ポケットの位置、全体的なライン、長さ…。どれを見ても代わりの無いものばかりである。
更に言えば、横島の記憶が確かなら、元々持っているものと全く変わりない。つまり、文句のつけようが無いのである。
さっきの台詞は、意味合いが違ったのだ。ただ素で言っただけ。
それでも、意味は理解できなかったが、おキヌが喜んでいたようだったので、少し気分はよかった。
「ま、いっか♪」

その後、いいのかなぁ、などと言う払えるはずも無い貧乏人の言葉を押しのけ、
「プレゼントです♪」
と暖かな財布の中からお札を抜き出しながら彼女はのたまわった。



結局戴いてしまった数枚のジーパンの入った袋を持った右手を横島は苦笑しつつ見た。左手には買い物袋を持っている。
2キロ弱で取っ手が少々食い込むが、大したことは無い(勿論、おキヌの買った物)。
夕飯の買い物は、ジーンズ選びで時間を食うことを想定してその後に回った。
後はもう帰るだけとなり、事務所への帰り道を歩いていると、ふとおキヌが立ち止まった。
見ると、花屋の店先に置いてある鉢に入った一株の花を見ている。
「その花がどうかした?」
「あ、その…、もし良かったら、横島さんに育ててもらいたいなぁ…って」
「へ?別に、良いけど…」
「本当ですか?」
一瞬で彼女の顔がぱぁっと明るくなる。
その様子に、やはり悪い気もしないようで、横島はこくりと頷く。
おキヌは嬉しそうに店員に代金を払って白い花の株を取るとまたしても、
「プレゼントです♪」
とのたもうた。
絶対に枯らさないで下さいよ、との強い念を押されて横島はそれを受け取った。



そして、今もその一株の花――ゼラニウム――は横島の部屋の窓辺で綺麗な花を咲かせているそうだ。

しかし、横島にはこの花に篭められたものの意味は分からなかった。










ゼラニウムの花言葉:君ありて幸福

                 <おわり>

今までの コメント:
[ 戻る ]
管理運営:GTY+管理人
Original GTY System Copyright(c)T.Fukazawa