ザ・グレート・展開予測ショー

泣き女の笑う日


投稿者名:777
投稿日時:(03/12/23)

暗い部屋の中で、男は天井からつるされたロープを眺めていた。
ロープは小さな輪を作って、宙にゆれている。
男のそばで、少女が泣いていた。
男は少女を見て、ふ、と笑う。
椅子に登る。
輪の中に首を通し、男は椅子を蹴った。
首が絞まる。呼吸が出来ない。苦しい。
涙の浮いた目で、男は泣き続ける少女を見ている。
少女は泣いている。
男の視界がだんだん暗くなる。それでも男は少女を見ている。
そして、男が意識を手放す瞬間。

少女は顔をあげ、微笑んだ。

それが、泣き女の笑った日だった。













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ママはいつも病院にいる。
ベッドで横になって、本を読んでる。
私が行くと笑ってくれる。
ママ。早く元気になってね。




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白い壁に囲まれた病室の中で、女が一人ベッドに横になっている。
女の顔はひどくやつれていたが、それでも健康だったころはさぞかし美しかったであろうと思わせる面影を残していた。
その女に付き添い、私は一人ベッドの脇の丸いすに腰掛けている。
私が無言で見守る中、女の薄い唇が開く。

「あなた。私はもう、長くないわ」

妻は自分の生を諦める言葉を発した。
どう答えて言いか思い浮かばず、私は表情を動かすことなく頷いた。
妻はかすかに微笑する。

「私がいなくなったら、あの子のこと、頼みますね」

「分かっている。お前と私の娘だ」

妻はさらに嬉しそうに笑い、上体を起こして私に口づけた。
かさかさに乾いた唇。かつて何度も重ねあった唇だが、今はあの頃のみずみずしさが感じられない。

「愛してるわ、あなた」

「私もだ」

私は立ち上がり、病室を出た。
扉を閉める寸前、妻が小さく呟いたのが聞こえた。

「ごめんね…」




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ママが動かなくなった。
しんだんだ、ってパパは言う。
もう、ママは笑ってくれないんだって。
悲しくて、悲しくて、涙が止まらない。
どうしてしんじゃったの、ママ。




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白い壁に囲まれた病室の中で、私と娘が見守る中、妻は静かに息を引き取った。
娘はまだ死が理解できないほどに幼く、私は死を素直に泣けないほどに老いていた。
もはや返事をしない母親に縋り、娘は泣きながら何度も呼びかけている。

「ママは死んだんだ」

娘は首を振って泣き続けている。幼い娘に死を理解させるのは酷なことなのだろうか。
私は娘を抱き上げる。娘は私の胸の中で未だ泣き続けている。

いっそ娘のように泣き叫んでしまおうか。

一瞬、馬鹿な考えが浮かんだ。
何ら益ももたらさないであろう、意味のない考え。だが、何故だかそれが非常に魅力的に思えた。
娘を抱いたまま、私は病室を出る。
妻がいなくなった今、娘を守れるのは私しかいないのだ。





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今日はママのおそうしき。
きれいにお化粧して、ママは箱の中で眠っている。
今日は、ママとお別れしなくちゃダメなんだって。
どうして? 何でママとお別れしなくちゃダメなの?
泣きながら、パパを叩いた。
ママとお別れするなんて、ぜったいいやだ。




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棺の中で妻は静かに眠っている。
死化粧を施されたその顔は美しかった。
けれどそれは死の美しさなのだ。

「やだ! ママとお別れなんてしたくない!」

葬式の説明をすると、娘は泣きながら私を叩いた。
幼い娘の精一杯の抵抗。痛みも何もありはしない。そのことがなお辛かった。

「ママは死んだんだ。死んでしまったら、お別れをしなきゃいけない」

娘の手は止まらない。わかっていた。幼い娘にとって、死はとても理不尽なことだ。
私とて、覚悟は出来ていたにもかかわらず、理不尽だと思うのだから。
娘が疲れて手を止めるまで、私は何もいえなかった。





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ママがいなくなった。
部屋にもいない。悲しくて、涙が出た。
台所にもいない。悲しくて、涙が出た。
寝室にもいない。悲しくて、涙が出た。
どこにもいない。悲しくて、悲しくて、涙が止まらない。
会いたいよ、ママ。





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娘の泣き声が聞こえる。
妻の葬式が終わって二日。娘は毎日のように泣き続けている。
それも当たり前のことだろう。私ですら、まだ吹っ切ることが出来ないのだから。
ただ心配なのは、娘がほとんど食事をとっていないことだ。
四六時中泣き続け、食事もとっていない。あれではいずれ体を壊す。

あの子のこと、頼みますね。

妻との約束だ。
必ず守らなければならない。あの子は、私と妻との大切な娘なのだから。
押さえつけてでも食事をとらせようか。
それとも医者に連れて行くべきか。
娘は泣き続けている。






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悲しいよ。
悲しいよ。
悲しいよ。
悲しいよ。
悲しいよ。
涙が止まらないよ。






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娘の泣き声が聞こえる。
妻の葬式が終わって四日。娘はまだ泣き続けている。
今日も娘は食事を取っていない。これでは本当に体を壊してしまう。
嫌われても良い。押さえつけてでも食事をとらせなければ。
いきなりの食事では胃が驚くだろうと思い、かゆを作った。
程よい温度までさめるのを待ち、泣き声を頼りに娘を探す。
娘は寝室にいた。
妻のベッドにうつぶせになり、娘は泣き続けている。
娘に歩み寄り、娘の体を抱き起こす。

冷たい。

娘の体はひやりとしていた。
それはまるで、まるで妻の遺体と同じような。
死んだ体の冷たさだった。

「馬鹿な」

そんな、そんな馬鹿な。
娘がもう死んでいるなどと。
そんなことはありえない。
娘はまだ泣いているではないか。泣き声が聞こえるではないか。

けれどその体は、とても冷たいのだ。
けれどその体は、鼓動をしていないのだ。
娘の体は、死んでいるのだ。

娘が顔をあげる。
その目は泣き腫れて赤い。
真っ赤な目で、私を見つめながら、泣いている。
泣いている。
娘が泣いている。





いや――――






死人が泣いている。





私は逃げ出した。







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パパまでいなくなっちゃうの?
悲しいよ。
涙が止まらないよ。
悲しい、悲しい、悲しい、悲しい・・・






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美神令子除霊事務所。
何故、私はここに来てしまったのだろう。
娘は確かに死人に見えた。だが、あれは体の異常だ。本来ならば医者に行くべきなのに。
病院には、妻を殺された恨みがあるからか。
除霊事務所。ゴーストスイーパー。美神令子。
世間的にも認知されだした、除霊と言う商売。狐狸妖怪を相手取る専門職、ゴーストスイーパー。
そしてその中で、世界でもトップクラスと呼ばれる美神令子。
認めたくないが、私は理解してしまったのかもしれない。
あれは医者に治せるものではないと。
私は美神令子除霊事務所の扉を開けた。




「それはバンシーですね」

私の話を聞いた美神令子は、一言そう言った。
名前の付いた現象なのか。私はほんの少し安心する。
世界トップクラスのこの女が分からない事態だったら、娘は治らなかったかもしれないのだから。

「では、治るのですね」

私の言葉に、美神は首を振る。

「いえ、治りません。
 バンシーというのは、アイルランド神話に登場する妖怪なのです。日本では泣き女と呼ばれています。
 つまり、お嬢さんはすでに妖怪となっているのですよ。
 おそらく、毎日泣き続け食事もろくにとらなかったため、衰弱が早かったのでしょう。
 お嬢さんはすでに死んでいます。
 そして自分が死んでいるということにすら気づいていないのでしょう」

「そう、ですか…」

なんとなく、予想はしていた。
あの冷たさ。あれは死人の冷たさだ。
死を覆すことは出来ない。それが死と言うものだ。
死んでしまったらもう終わりなのだ。妻が死んだとき、私ははっきりと理解していた。
だから、娘の死も、覆ることはないのだろうと。

「では、教えてください。娘は、成仏できるのですか?」

せめて、成仏してほしかった。
母親に会いたいと泣いていた娘。その願いくらい、かなってほしかった。
けれど。

「いえ、無理です。
 お嬢さんは、普通に死んだわけではありません。妖怪化したのです。
 私が行って祓ったとしても、それは成仏ではなく、消滅させただけです。
 完全に消すか、妖怪として存在し続けるか。お嬢さんに残された道は、その二つだけです」

美神は、きっぱりとした口調で言った。
何が、何が残された道だ。
娘の道は、もう閉ざされてしまったではないか!
それもこれも、全て私のせいだ!
もう少し早く、気づいていれば。無理やりにでも食事させて置けば。叱りつけてでも、泣くのをやめさせていれば。
こんなことには、ならなかった!
妻との約束も、もう守れない…。

私は礼を言って、美神令子所霊事務所を後にした。



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パパが怖い顔をして帰ってきた。
私は泣いている。
悲しいから、ずっと泣いている。
もう、何が悲しいのかもわからない。
ただ、悲しいから泣いている。





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私は文献を読み漁った。
妻と約束したのだ。娘は、私が幸せにしなければならない。
消えるなど、妖怪として存在するなど、そんなことあってたまるものか!
何かあるはずだ。娘が幸せになる方法が、どこかにあるはずなのだ。
私は娘の泣き声が響く中、毎日毎日本を読み漁った。
そもそもバンシーとはどんな妖怪なのか。私はまず、文献でそれを調べた。
バンシーとは家に住み着く火のように真っ赤な目をした妖怪で、住み着いた家の者が死ぬとき、泣いて知らせてくれるという。
決して死を呼ぶわけでなく、死を悲しんでくれる優しい妖怪だと言うことだ。
若い女が死ぬとバンシーになるとされていて、死んだ女はそのまま家に住み着くと言う。
つまり、バンシーとは住み着いた家の先祖と言うわけだ。
スコットランドでは家にバンシーが住み着くことは、誇りとまでされているそうだ。

ここまで調べたところで、私はふと気づいた。
娘はバンシーだ。それは、すでに納得した。
だが、娘は一体誰の『死』を悲しんでいる?
妻の死か。最初はそうだっただろう。だが、すでに妻は死んだのだ。
バンシーは死者を悼んで泣く妖怪ではない。あくまで死を予知してなく妖怪だ。
一体、誰の死を予知していると言うのだ?
今、この家の者は娘以外には1人しかいない。

そう、私だ。

娘は、私の死を予知して泣いているのだ。

私は焦った。
バンシーの死の予知が、いつのことかはわからない。だが、いずれ近いうちに私は死ぬのだろう。
死んでしまっては私の娘はどうなると言うのだ。
バンシーとは家に憑く妖怪だ。だが、私に親類縁者はもういない。
私が死ねば、娘のいる場所はなくなってしまうのだ。
否、否、そんなことは問題ではない!
何より、私が死んでしまっては誰が娘を幸せにすると言うのだ!
誰が妻との約束を守ると言うのだ!
わたしはまだ死ねない。死ぬわけにはいかんのだ!

だが、娘の泣き声は容赦なく響く。

だめだだめだだめだ!
頭の中から娘の泣き声を追い出し、私は文献を読み漁る。
寝る間を惜しみ、食事すら忘れて私は文献を読み漁った。
それこそが私の命を縮めるのだと言うことに、気づきもせずに。

しばしのときが流れ、ついに私は発見した。

娘を幸せにする方法。
娘を妻と同じ場所に逝かせてやる方法を。
私の体は、すでにぼろぼろだった。
無理がたたって、たとえこれから養生したところでもう長くはないだろう。
それに――――



そちらの方が、好都合なのだ。










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「美神さ〜ん。郵便が来てますよ〜」

おキヌちゃんはそう言って、私の机に一通の封筒を置いてくれた。
差出人は見覚えのない名前。いや、どこかで聞いたことがあるような気もする。
少し考えて、記憶の隅から引っ張り出した。

「ああ、あの時の気の毒な人か」

娘がバンシーとなってしまった父親。
確かに気の毒な話だが、自業自得だと思わないでもなかった。
妻の死にショックを受け、どうせ娘の事をほったらかしにしていたのだろう。
そういうとき、本当に辛いのは死の意味を理解できない子供の方なのに。
親が子供を支えてやらなければならないのに。
あの男は、それを怠ったのだ。
娘が妖怪になってしまった責任は、彼自身にある。

「恨み言でも書いてあるかな?」

剃刀でも入っていてはかなわぬと、用心して封筒を開ける。
封筒には、便箋が一枚と鍵らしきものが入っていた。
妖しく思ったが、一応目を通してみることにする。









『美神令子様

 先日はお世話になりました。あなたのおかげで、娘がどうなったか知ることが出来ました。

 あなたは娘を、消滅させるか妖怪として存在するしか道はないと言いましたね。

 けれど、私はそれでは納得いかなかった。

 様々な文献を調べました。娘を生き返らせることは出来なくて良い、せめて妻のいる極楽へ逝かせる方法はないかと。

 そして先日、ようやく見つかったのです。その方法が。

 それは簡単なことでした。

 私の身を生贄に捧げればよいのです。

 生贄と言うには少し御幣がありますが、つまりはこういう事です。私が死ねばいい。

 その時、我が家に住み着いた泣き女である娘は開放される。

 開放された娘の魂は、私の魂とともに天国へ逝くことが出来るでしょう。

 さて、そこで美神さんにお願いがあるのです。

 私はこの手紙を投函してから、すぐに自殺します。

 食事もとらず、眠ることもせずに調べ物をした結果、私の体はもう長くないのです。

 何より、一刻も早く娘に妻と会わせてやりたい。
 
 あなたには、その確認作業をやってもらいたいのです。

 同封した鍵で我が家の扉は開きます。確認してほしいのです。

 私は自縛霊になっていても良い。ただ、娘が成仏していればそれでいいのです。

 そして、もしも成仏していなかったら、娘を成仏させる方法を見つけ出してほしいのです。

 報酬はすでに用意してあります。私の家に、全財産が置いてあります。

 なにとぞ、よろしくお願いします』





「あの、馬鹿!」

私は手紙を破り捨て、鍵を引っつかんで事務所を出た。
封筒に書かれた住所に急ぐ。消印は昨日。書かれた内容が本当なら、もう男は死んでいる。
けれど、急がずにはいられなかった。
1時間ほど車を走らせ、書かれた住所の屋敷に着く。
重厚な雰囲気の、それこそ泣き女がいてもおかしくない屋敷だった。
鍵穴に鍵を差し込み、回す。
カチャリ、と音がして、扉が開いた。
屋敷は静まり返っている。
足を踏み入れた。かすかに、異臭がする。

――――死の匂い――――

匂いをたどって、寝室を開く。
1人の男が、首を吊っていた。
脇にトランクが置いてある。これが、報酬か。

「馬鹿ね、本当に。父親って、みんなそうなの?」

私の呟きは、屋敷の静寂に吸い込まれた。
ここに死を感じさせるものは、一つしかない。
首を吊った男の死体、ただそれだけだ。
男の魂がどうなったか、バンシーとなった娘がどうなったか、私にはわからない。
何もないのだ、ここには。

「天国でもそうやって、笑えてると良いわね」

寝室に置かれたフォトスタンド。
その中で微笑む三人の姿に向けて、私はそう呟いた。

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