ザ・グレート・展開予測ショー

Farewell,My Lovely


投稿者名:赤蛇
投稿日時:(03/12/14)

23世紀になってもなお、旧市街には魑魅魍魎だけが住んでいるわけではなかった。人間もまだ住んでいた。
確かに清潔で快適な環境とは言い難いが、そこで生きていけないほど柔でもなかったし、ほかで生きていけるほど強くもなかった。
この街の魔力に取り憑かれ、魂を貪られる愚かな人間のなんと多いことか。そして、私もその一人であった。
ちょっとしたわけがあってICPOを退職した私が、この街で始められる商売といえば、どこぞのしがない用心棒かしがない探偵ぐらいしか思いつかなかった。
大佐は就職先を世話しようと言って気を使ってくれたが、それに甘えてばかりいるわけにもいかなかったし、退屈なデスクワークなど性に合うとも思えなかった。
さすがに表と裏をひっくり返すのも気が引けたので、探偵のほうを選んだというわけだ。もっとも、その両面はほとんど同じようなものだ、ということも知ってはいたが。

大して面白くも、稼ぎにもならない仕事を済ませて戻ると、事務所の前に見知った女が立っていた。食人鬼女だ。
「おかえり」
彼女は寄りかかっていた壁から身を起こし、待ちくたびれたというふうに息を吐いた。
「あんたにお客が来ているよ。いなかったから中で待ってもらってる」
「どんな?」
「干からびてて美味くもなさそうな男さ。身なりはよさそうだけどね」
ドアの向こうを指差しながら角の生えた額を揺らして、くくっと笑った。笑みの後ろにある、軽い嘲りが私を微かに苛立たせる。
「あんたにとっちゃ、おいしいかもしれないね」
そんなことはない、と言いかけて止めた。所詮、彼女は肉を、私は金を要求する。ただそれだけの違いだ。
彼女はアラビア伝承における精霊の一種で、艶やかに焼けた褐色の肌と、幼い頃に住んでいたイエメンの砂漠が思い出されるような髪をした美しい姿をしている。
両肩から乳房にかけて蛇のような文様が走り、ベリーダンサーのような下衣を履いただけの、情欲を掻き立てるような格好をしていた。
かつては砂漠を旅する商人などを幻惑し、生きたまま食べてしまう魔神として恐れられていた、と子供の頃に現地の語り部によく聞かされたものだ。
一族はアラビアン・ナイトに出てくる由緒正しい種族なんだと、いつも彼女は誇らしげに話すが、その度に私は「ふうん」と気のない返事をして怒らせるのが常だった。
事の真偽など今となっては確かめようもないし、確かめたところで今の私には何の意味もなかったからだ。
「ねえ、話が終わったらあたしのところへ来なよ」
彼女は私の短い髪を玩びながら言った。
「依頼を受けたら、まだ明日は生きていなきゃならんのだがね」
「大丈夫。たぶん殺しはしないよ」
「そう願いたいね」
今夜は長くなりそうだ。

とりあえず、依頼は引き受けることにした。
不意に出て行った妻の探索という、通俗的な内容のわりに魅力的な金額だったし、同業他社も多い中で選り好みを出来るほどゆとりがあるわけじゃない。
ただ、気に掛かったのは何故私に依頼してきたか、ということだ。
彼ならもっと大きな、専門的なスタッフや設備が揃っていて大掛かりな、あちこちに顔が利くような探偵社に依頼することだって難しくないはずだ。いや、そうするべきなのだ。
そう彼に聞いてみたのだが、「失礼ながら貴方の経歴や経験を参考にさせて頂き、依頼をお願いする事にしました」と答えるだけで一向に埒があかない。どうも厄介な事情には巻き込まれそうだ。
過去の経歴は営業上のウリのひとつだが、それを頼りにされる場合、得てして悪霊や妖怪絡みの内容であることが多い。そして、そのことを正直に言わない依頼主も、だ。
ICPO時代に大佐に叩き込まれた教訓と、僅かばかりの己の経験則に従えば、ほぼ間違いなく彼の妻は何らかの関わりがあるか、それ自身であるかのどちらかだった。その答えは彼自身が知らしめている。
いつの時代も人間は、特に上の人間ほど体面を気にする。もっとも、だからこそ自分のような人間がやっていけることを忘れるほど、私は愚かではないつもりだ。
「それにしても―――」私は数枚の写真の中から一枚を摘み上げながら聞いた。「本当にこれだけしかないのですか?」
「はい。もともと妻はあまり写真が好きではありませんでしたし―――」それはそうだろう。ある意味、写真に撮られるのは苦痛でもあったはずだ。「他のは全て妻が処分してしまったようです」
「では、何故これだけが?」
「おそらく、全てを捨てる事は出来なかったのでしょう」
そういって依頼人は悲しそうな目をして呟いた。あたかも自分がそうであるかのようにため息をついた。
写真の女は美人だった。色よく光る金色の長い髪が白く透き通るような肌に映え、体の曲線はこれ以上付け加えることが出来ないほど魅力に溢れていた。形の良い、すらりとした手は小さ過ぎず、爪を深紅に染めていた。
仕立ての良い優美な服と豪奢な宝石を身に纏っているが、どれ一つとして彼女の魅力に優るものはない。
こちらに向かって優雅に微笑んでいるが、それは慎重に選ばれた、そして使い慣れているような微笑だった。
だが、瞳の奥に映るのは空虚であり、悲しみの光を帯びているように私には思えた。目の前に座っている依頼人のように。


トーキョーには、もう海はない。
江戸時代から600年以上もかけて埋めたてた挙句、人間はようやくにしてこの海を征服したのだ。だが、それが意味のあることだったのかは私にはわからなかった。
「湾岸線」と呼ばれた高速道路の跡に車を停め、崩落している路面の端まで歩いて眼前に広がる目的の光景を眺めた。
数枚の写真の一つはここから―――正確には、もう少し先にあったS・Aから撮られていたが、今はもう存在しない。
そこには、華麗なイルミネーションに彩られたおとぎ話の城を模した遊園地を背景に写る彼女の姿があったが、私の目に写るのは広大な水溜りに浮かぶ、虚栄と幻想の廃墟だった。
かつては大勢の客で賑わっていただろうアトラクションも錆びて朽ち、夕日の中に赤い岩山のように鈍く光っていた。
この光景の意味をどう伝えるべきか考え、タバコを一本取り出して口に咥えた。が、火をつけようとしたとき、不覚にも手を滑らせてライターを落としてしまった。
わりと気に入っていた私のライターは虚空を落下し、二度三度跳ねたあとで水面下に消えていった。
その軌跡を所在なげに見つめ、咥えたまま意味もなくタバコを揺らしていると、突然背後に強い気配を感じた。
振り向くまでもなく、音を立てずに私の視界の両端に人影が近寄ってきた。右に立つのは例の写真の女、左に立つのは同じ色の髪をいくつかの房に束ねた、華奢な女の子のように思えた。
今なら特に何をする必要もなく、軽く押されただけで私は落ちて死ぬだろう。ほんの僅かな間だが、確実な死への期待に喜びにも似たものを感じた。
だが、彼女たちは何をするでも声を発するでもなく、私の視界ぎりぎりのところに静かに佇んでいた。
不意に右の女が軽く腕を上げると、私の前に小さな鬼火がひとつ灯った。その好意をありがたく受け、身を乗り出してタバコに火をつけた。足元の小石が何個か音を立てて落ちていくのが聞こえた。
深々と至福の煙を吸ったあとに彼女に礼を言うが、予想通り双方ともに何の反応もなかった。二人とも、ただ前を見つめていた。頭を少し動かせば二人の姿をもっと良く見ることが出来たのだが、そうすると彼女たちは消えてしまうような予感がしたので、そのままずっと眺めていた。
かなり長い時間が過ぎ、徐々に太陽が高度を失って辺りが赤みを帯び始めた頃、私はあることに気がついた。二人は同じものを同じように見ているわけではない、ということに。
右の女は水面下に沈む廃墟を悲しみを帯びた目で、左の少女はその奥にあるもの―――白亜の壁に彩られた巨大な人工都市―――新市街を、好奇心に溢れた目で見つめていた。そう、ドアの隙間から見る大人の階段に憧れる子供のように。
私の視線に気がついた二人は、現れたときと同じように静かに私の視界から去っていった。
辺りには、夜の帳が降り始めていた。


数日後、この奇妙な事件に幕を降ろすべく、私は最後の目的地へと車を走らせた。
旧市街の一角に建つ古い洋館―――以前は幽霊屋敷として巷で有名だったが、数年前にICPOが除霊に成功して以来、何故かそのままに放置されていた。大佐が買い取った、という噂も聞いたことがある。
創建当時の優雅さを偲ばせる赤レンガの外壁は所々剥げ落ち、窓という窓は無粋に打付けられた板で全て塞がれていた。
錆び付いて嫌な音を立てる重いドアを開け、私はゆっくりと中に入っていった。数年、いや数十年に及ぶ堆積した埃が足を進める毎に舞い上がり、むせ返るような不快感を覚えた。
部屋の中は真っ暗で手元のペンライトでは心許なかったが、それでも慎重に一階から二階、二階から上へと登ることができた。
最後の階段を上がった場所は屋根裏部屋だった。天井は予想外に高かったが、屋根の傾斜を利用した壁面がなんとも言えない圧迫感を形成していた。
部屋の中には古いベッドが二つと造り付けの本棚だけ。下の部屋もそうだったが、建物の年代のわりに装飾や家具の少ない、殺風景ともいえる部屋だった。
本棚に近づくと、この部屋に似つかわしくない飾りのついた、比較的真新しい写真立てが目に止まった。どうやら、これが探していた答えのようだ。
ライトの明かりに浮かぶ少し変色した写真には、この部屋の主とその仲間であろうか、何人かの姿が写っていた。意外にも皆若かった。
中心にはこの屋敷の主らしい、赤みが掛かった長い髪を持ち、我の強さを感じさせるややきつい目をしたグラマラスな女性。その隣には黒髪の和装が似合うやさしそうな高校生ぐらいの女の子と、同じ年頃の赤いバンダナを巻いて色褪せたジーンズを履いている男の子。銀色の髪に赤いメッシュが入った個性的な中学生ぐらいの女の子。
そして、あの時私の左に立っていた女の子だった。

静かに階段を下りていくと、明かりが灯いていた。応接室に入っていくと、そこに座っていたのは―――もちろん、あの女だった。
「ようやく、お会いできましたね」
彼女に薦められるのを待たず、無調法に対面の椅子に腰を掛けながら言った。彼女は何も言わなかった。
写真で見るよりも遥かに美しく、見た者全てを虜にしてしまいそうな魅力がそこにはあった。妖艶な、まさに「傾国の美女」という言葉が似合う女だった。そう、人間ならば。
私がタバコを取り出すと彼女は右手を上げ、手の平に乗せた小さな鬼火、いや狐火を差し出した。気のせいか、タバコの味まで違うように感じた。
「貴方、フィアレスね?」
始めて彼女の声を聞いた。魂が揺さ振られるような、甘い誘惑を加味した声だった。
私の目を覗きこむような視線を向けていた。無論、ただの質問などではない。私はゆっくりとタバコを楽しんだあと、その質問に答えた。あまり、楽しいものではないが。
「―――三年前、とある妖怪を封じ込めるために出動したチームのうち、三人は業火に焼かれ、四人は鋭利な爪で引き裂かれて死んだ。あとの一人は未だに自分が五歳児だと思っている。何故か、私だけが生き残った。
 恐怖を忘れた人間はチームに入れておく訳には行かない。必ず災いを招くからだ。そして私は退職した。つまりはそういうことだ」
「それでこんな仕事をしているのね。青ざめた馬が来るまで」
「他に何が出来る?」
彼女は大きな声を上げて笑った。そんなことをしても美しさを失わない女など私は見たことがなかった。

「それで、御用件は?」
ひとしきり笑った後、真面目な顔をして私に問い掛けてきた。
「どうするもなにも、私は依頼人の希望に添うことの他には何も出来ない」そう言いながら私は懐から一枚の書類を取り出し、彼女に渡した。
「それにサインしてもらえれば、彼の死後、全ての財産が貴女に譲渡される。何の関係もない貴女にね」彼女は黙って私を見つめていた。
「貴女は彼と結婚なんかしていない。彼が出会ったのは四十年も前、それも通りすがりの貴女を見掛けただけの話だ。もちろん、貴女が覚えているわけがない。その、ほんの僅かなすれ違いのために彼は自分の人生を費やしてしまった。貴女が自分の妻である、という虚構を信じるために」
彼は取り憑かれてしまったのだ。彼女の持つ強力な魔力に魂を食われてしまったのだ。そして、囚われた魂が作り出した虚構の日々は、彼にとって紛れもない現実だったのだ。
「私はどうすればいいのかしら」
「サインをするべきです。そうすれば彼は若い妻に捨てられた夫、として生きていくことが出来るでしょう。たとえそれが嘘だとしても、真実を知るよりはよほどマシだ」
彼女は表情を変えずにしばらく私を見つめ、やがて書類を手に取った。そして、滑らかな手の上で一片も残さずに焼き尽くした。
私は思わず感嘆の声をあげそうになった。これで私は彼に「彼女は書類を受け取った」と報告することが出来る。彼の財産は実際には誰の手に渡ることもないが、そのことを知らない人たちは彼女のことを口々に非難し、罵り、「悪女」と呼び続けるだろう。
だが、彼女は一切の弁明をすることはせず、さらに重なる迫害に立ち向かっていくつもりなのだ。たとえ争わねばならなくなったとしても。
そして、自らの誇りにかけても不本意な譲渡は拒否することを明確に示したのだ。私は畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
「貴女は可哀想なひとだ」私は言った。「もはや自分でも押さえられない能力のおかげで、ごくささやかな幸せも得ることが出来なくなっている。そして、貴女は人よりも遥かに長く生きなければならない」
彼女は私の問いかけには答えず、じっと天井の先を見つめながら呟いた。
「・・・本当に大切なものは、セピア色の写真の中にしか存在していないわ。あの頃の私は早く大人になって力を取り戻せば幸せになれると思っていた。前の時も同じ過ちをしていたというのに、私はすっかり忘れていた・・・」
遠い過去の、そして未来の自分に言い聞かせるように話す彼女を残して、私は部屋を後にした。彼女の涙を見てしまっては、自分も戻れなくなるとわかっていたからだ。
後ろ手に玄関のドアを閉めたとき、狐に似た動物の、悲しそうな鳴き声を聞いたような気がした。


事務所に戻ると、食人鬼女が待っていた。
「おかえり」
「ああ、ただいま。すまんが、珈琲を淹れてくれないか」
「ちょっと待ってな」
淹れてくれた珈琲は暖かく、香ばしい芳香が鼻腔の奥を刺激した。ネクタイを緩め、気持ちが落ち着いていくのを感じた。
「なあ」私は肩越しに彼女に話しかけた。「まだ私を殺すつもりはないのかい」
彼女はゆっくりと私の首筋に腕を回し、静かに囁いた。優しげな殺意が私の耳元に吹きかかった。
「ふふ。あんたへの恨みは、まだまだ晴れやしないさ。わかっているくせに」
「そうだな」
そのまま私と彼女は唇を重ねた。口の中にキリマンジャロと、微かに鉄の苦味が広がっていった。

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