ザ・グレート・展開予測ショー

僕は君だけを傷つけない!/(5)


投稿者名:ロックハウンド
投稿日時:(03/10/ 6)


 揺れたのはグラスの中身だけではなかった。

 ドアの向こうの面々も、微かに、だが確かに心が揺れていた。
 シロと寝ているひのめを除いて、一様に表情がうっすらと硬い。
 美智恵までもが、眉目の辺りにほんの少し見える程度の皺を寄せている。

 それは角度にして一度、長さにして小数点以下のミリ程度の変化だったかもしれない。
 だが雰囲気の微妙な変化を、シロは瞬時に察知した。


 「な、何事でござるか・・・・・・どうしたでござるか? 美神どの、おキヌどの?」

 「ご、ごめんなさい、シロちゃん。ちょっと静かにしてて・・・・・・お願い」


 おキヌの声は少し硬い。
 先程までの恥じらいは消えうせ、桃色に染まっていた頬も、今では逆に血の気が引きつつある。
 シロが訝しく思うのも無理のないところだが、おキヌ以上にパピリオもまた憂いを見せたことは衝撃だった。


 「パ、パピリオ・・・・・・?」

 「静かにするでちゅ」


 有無を言わせぬ口調に一瞬機嫌を損ねたものの、パピリオの硬くなった表情は、シロの心を押しとどめた。
 ふと周りを見渡し、美智恵の表情を見やる。
 眠る赤子を優しげに抱く彼女にも、翳りの色が薄く滲んでいた。

 シロは悟らざるを得なかった。
 自分の知らない世界が、出来事が、この事務所に存在していることを。
 彼女たちの、そして、敬愛する師匠の身に起きた事を。

 我知らず、シロは胸に手をやっていた。
 Tシャツを右手で強く握り締める。
 皺が寄り、おキヌの勧めで着け始めたばかりの白いブラジャーの線が浮き出ている。
 針の痛みにも似たものが、胸の奥で疼く。
 我知らず、言葉が漏れる。


 「せんせぇ・・・・・・」


 一同の空気は、懸念と心配、そして不安へと転じつつあった。
 ただ、今のところは深刻なものではなく、うっすらとした霧状のものであったことがせめてものか。
 美神令子は、一息を軽くはくと、視線を横島たちへと転じた。


 「・・・・・・・・・・・・まったく」


 ぶつけていた額の痛みなどとうに忘れ、美神は、自分の悪態が口から漏れていたことにも気付かなかった。




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        僕は君だけを傷つけない!/その5


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 部屋の中も外も、誰も声を発するものはいなかった。

 タマモはほんの少し節目がちになるが、それでも横島を見やる視線を緩めない。
 横島は手の中のグラスを緩やかに動かしながら、ぼんやりと天井を眺めていた。
 いつまでそうしていたのだろうか、何秒何分を数えていたのかはわからない。
 規則正しい時計の音は、突然に、横島の溜め息で衆目の耳から遠ざかった。


 「タマモも気づいていたのか・・・・・・これは迂闊だったな」


 そう言ってタマモへ投げかけた視線は、決して彼女を咎めるようなものではなかった。
 むしろ柔らかさと慈愛に満ちており、そのくせどこか儚げな空気が漂っている。


 「横島・・・・・・」


 何か言おうとするタマモを、横島は手を軽く上げて制した。
 一息で残りのウィスキーを喉に流し込むと、タマモの横に置いてあった瓶を取り上げ、再びグラスに注ぐ。
 と、タマモにも瓶を向け、付き合いを促した。


 「さっきまでは私の飲み方に文句があったのではなくて?」

 「飲んだら口が軽くなる、というわけじゃないが、酒の勢いで口が滑ったと思われるのも癪だからな」


 その口調は決して強くはない。
 が、横島は自分の問いに答えたくない、という意思表示だと彼女には感じられた。
 目の前では横島が淡々と、グラスにウィスキーを注いでいる。
 表情はいつものまま、むしろ穏やかな笑顔が絶えないままに浮かんでいる。
 目元の柔らかさも変わらない。酒のせいか多少潤んでいる。

 ボトルの中身も半分を過ぎ、そのせいか、二人の表情からは現実感が読み取れなくなりつつある。
 ふわふわと、身も心も浮世へのしがらみが薄れ行く中で、空気までもが淡く揺らめいているようだ。
 が、二人ともそのまま睡魔の世界に身をゆだねる事はしなかった。
 タマモにはどうしても、目の前の男が理解できないでいる。
 酒精が回った頭だからというわけではない。

 横島のその眼も、心も、まるで夜の静寂の中に広がる湖面のようにタマモには思えた。
 不意に風が吹いても、湖面は一瞬揺らぐだけだ。
 すぐにまた元の穏やかな水面に戻る。
 雨滴が静寂を破っても、湖面は一瞬穿たれるだけである。
 雨が止むまで、湖面はただ打たれるのみ。
 ただ、光景を移すだけで、決して自分からは動くことはない。
 風にゆれる木々も、夜の闇色も、太陽も、月も、星も、どんな光が輝こうとも、水面は映し返すのみだ。
 絶対に水面が光に手を伸ばすことはない。


 「・・・・・・言いたくないの?」


 ぽつりと、だが決して寂しげではない口調のタマモ。
 グラスに満たした琥珀色は、先ほどからずっと彼の手の中で揺らめいている。
 揺りかごにも似たその動きは、波紋を交え、不規則にグラスの内側を漂い、時折持ち上げられ、横島の喉の奥へと消えていく。
 更なる一杯を干した横島は、深々と息を吐き出した。
 ゆったりとした動作で、タマモを見やる。
 ほんの少しだけの微笑みを返した。


 「何故よ」


 横島の両目を見たタマモは、不意に熱を感じ取った。
 胸のうちで、熱く煮え滾った物が蠢くのを。
 身の内へと滑り落ちていくウィスキーの熱さではない。
 芳醇な香りと温もりを運ぶそれと違って、胸の中で感じたのは、不快な感触のみだった。
 感触は瞬時に脳へと伝わり、歯止めをかける間もなく、グラスを握る手へ駆け抜けた。


 「ふん」


 目の前の男を突き放すように鼻息を漏らし、グラスを勢い良く傾け、一息で中身を干す。
 変わらぬ微笑を見せながら、横島は付き合うように、同じくグラスを傾ける。

 何故だろう。
 何故、こんな気持ちが生まれるのか。
 何故、自分はこうまで、不快な気分にさせられるのか。
 考えれば考えるほど、その訳のわからなさにタマモは益々気分を損なっていく。

 落胆? 何故落ち込む必要がある。人には言いたくないことがあったって当然だ。
 嫉妬? そんなはずはない。こんな鈍感な馬鹿に恋しているわけでもないのに。
 秘密? 駄目だ。無理やり聞き出そうとする自分こそが、馬鹿げているのに。
 相手? 何を言っているんだ。横島の事なんだから、別に何かあったか聞いたところで、私には関わりないはずだ。
 茶番? だから、聞いたって、私は、なんとも、ない、はず・・・・・・。
 悲劇? そんなのが似合うヤツじゃない。だから、アイツの、ヨコシマの、関わった、こと、じゃない・・・・・・。
 遠慮? 彼が? 私が? 何に? 美神に? おキヌちゃんに? シロに? それとも・・・・・・パピリオに?

 タマモは勢いよく頭を振った。
 思考が鈍ってきた頭の中身を、はっきりさせようとしたようだ。
 金色の九房に分けられた頭髪が、左右に小刻みに揺れる。
 酒に易々と飲まれるような九尾の狐ではない。
 が、大妖怪の矜持と言うよりは、少女の意地っ張りな様子に、横島は含み笑いを漏らした。
 じろりと、睨み付けるタマモ。
 また一つ、気に入らないことが生まれた。


 「迷惑なのよ」


 言葉は、不意に、まったく突然に口から漏れた。
 横島は薄く潤んだ眼を軽く見開き、睨みつけて来るタマモを見つめている。


 「居心地、悪いのよ・・・・・・」


 なんとなく理不尽な事も口にしているようだ。
 タマモは半ば霞んできた思考を、自分にも向けてみる。
 ふと、事務所の面々の顔が浮かんだ。パピリオの顔も。

 
 「なんで・・・・・・あんたが」


 先程まで、横島を『貴方』と呼んでいたはずなのに。
 何故、そう呼びたくなったのかは、わからない。
 が、今のタマモにはどうでもよかった。


 「あんたみたいな男が・・・・・・」


 もう、いい。
 『貴方』だろうが『あんた』だろうが、どうでもいい。
 酔っていようが、素面だろうが、それがどうした。
 今は、眼の前の男だ。
 この男が、気に食わないのだ。

 なぜか?
 今、わかった。
 さっきの眼差しで、気付いた。
 その眼だ。
 その眼に、イラつかされていたのだ。
 普段、事務所の面々にも、誰にも、絶対に見せることのない、澄み切った眼差しに。


 「・・・・・・そんな、顔するのよ」


 部屋の中が明るいことはとっくに知っている。
 が、今の横島の瞳ときたら、一体何なのだろう。
 自分の眼が、酔いで普通じゃないにしてもだ。

 ゆらゆらと、闇の中に揺らめく、蝋燭の炎のようで。
 きらきらと、月夜の湖面に光る、もう一つの月のようで。
 ふわふわと、焦点の定まらない、風の中の羽のようで。

 彼女はただ横島を睨み付けている。
 その眼光に怯みも躊躇いもない。
 だが、彼女は心のどこかで、締め付けられるような違和感を自覚していた。

 タマモは、耐えられそうになかった。
 これ以上、あんな眼を見ていることに。
 だが、その思いは、突然かなえられた。
 目の前の少年によって。


 「・・・・・・・・・おまえと出会う、少し前のことさ」


 軽く俯いた少年がようやく言葉を発したのだ。
 突然のことにタマモは驚いた。
 グラスから、彼女の身じろぎのせいで、ウィスキーが僅かにこぼれ落ちる。
 絨毯を濡らしたことなど気にも留めずに、タマモは横島を見つめていた。
 前髪に少し隠れた、瞳の持ち主を。


 「かなり、でかい仕事があってな」


 まただ。
 また、あの色だ。
 タマモは気付き、そして、思い出した。
 ようやく、思い出したのだ。


 「俺は、そこで、ドジを踏んだ。・・・・・・・・・それだけ」


 あの日、あの時、初めて見たのだ。
 横島の眼にたゆたう、限りなく夜の海色に近いミッドナイト・ブルーを。






                「その6に続きます。・・・って、待ちなさい、令子っ!」

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