ザ・グレート・展開予測ショー

狐の少女の後日談


投稿者名:tea
投稿日時:(03/ 9/20)


「げほっ、ごほ・・・く・・・そ、あんのクソ狐・・・」

 煎餅布団に包まった横島が、呪詛の様に忌々しげに毒づく。彼は九尾の狐と称される傾国の怪物・タマモにより、病床の床に伏していた。といっても、彼女の妖術によりトランクス一枚で寒空の下動き回っただけという、有り体に言えば化かされた挙句風邪を引いたというだけの話だ。
 まとめて化かされたおキヌ共々、炬燵で鼻をかんでいたところにタマモが風邪薬を置いていってくれた。どういう心境の変化だ、と横島は少々訝しんだが、おキヌは素直に喜んでいた。
 きっと私達の気持ちが通じたんですよ、というおキヌの笑みに、横島はあれこれと邪推するのが阿呆らしくなった。煎じ詰めた薬草を飲み、おキヌを返した後、それまでの疲労と気だるさから深い水の底のようなまどろみに落ちていった。


 三日後、風邪は急速に悪化した。


 それまで洟と軽い咳に悩んでいた横島は、その日から三十九度の熱と吐き気及び頭痛を頂いていた。津波の如き猛烈な寒気に、学校は無論のこと事務所も暫く休んでいる。電話した際の美神の怒声が、寺の鐘のように耳に響いた。
 そもそも風邪というのは布団で安静にしていれば勝手に治るもので、悪化するのは外因的な要素が強い。そして、横島がここ数日やったことといえば、タマモの風邪薬を飲み蜜柑を食って寝ただけだ。

「・・・・・・」

 横島は、うろんな目で天井を眺めていた。どう考えても、原因はあの薬だ。だが、横島には、タマモを恨む気にはなれなかった。
 確かに陰湿極まりない報復だが、元々悪いのはこちらである。自分らが彼女を殺そうとしていた以上、トリカブトを混ぜられなかっただけ良しとすべきなのかもしれない。横島は、酒が回ったような酩酊した頭で、タマモのことをぼんやりと考えていた。

「アイツ、無事に逃げれたかな・・・」

 幼くも麗しいその肢体を思い出し、涙を滲ませた顔を思い出す。許してくれ、なんて虫のいいことはいわない。せめて、どこかで幸せになって欲しい。
 横島がそう思った時、遠慮がちにドアがノックされた。体を起こすのも億劫なので、声だけで「開いてるよ」と返す。不精な性格と家財の少なさから、横島はアパートに鍵をかけてはいない。
 ノブが回る音がして、誰かが室内へと入ってくる。障子の陰から顔を覗かせたのは−−−タマモだった。

「!タマモ・・・お前どうして」
「やっぱりこうなってたか。ま、予想はしてたけどね」

 汗だくの顔で寝込む横島を見て、タマモが軽く嘆息する。その手には、以前玄関先に置いてあったのとは違う薬草が副えられていた。






トントントン・・・


 台所から、軽快な音が聞こえてくる。持って来た薬草を細々と刻み、ご飯と一緒に鍋に放り込む。蓋をして中火にしてから、タマモはタオルを冷やし始めた。
 タマモが以前渡した薬草は、特効薬とでもいうべき効果の高いものだった。だが、余りに効き過ぎるが故に、人間である横島は抗体や大事な細胞にまで甚大なダメージを負っていたのである。要するに、過ぎたるは及ばざるが如しという事だ。それに気が付いたタマモが杞憂であることを願いつつ横島の下へと向かったが、まあ悪い予感ほどよく当たるものである。
 固く絞ったタオルで、タマモが横島の背中を拭いてやる。以外に広い背中はサウナ上がり宜しく汗に濡れ、拭いている方が汗が出そうだった。暫くの間、沈黙の帳が下りる。くつくつと煮える鍋が、静かな時を刻んでいた。

「なあ・・・」

 口を開いたのは、横島だった。タマモは無言で、女中の様に丹念に汗を拭っている。構わずに、横島は続けた。

「なんで・・・俺のトコに来たんだ?俺は、お前にとっては敵の筈だろ?俺が風邪引こうがどうなろうが、お前には関係ないことだと思うんだが・・・」

 汗を拭く手が止まる。横島は、ひやりとしたものを感じた。ひょっとして、地雷を踏んでしまったのだろうか。発熱とは違う汗を流しながら、横島が身を固くする。

「・・・別に。単なる、気まぐれよ」

 至極簡潔な答えを言い、再び手を動かし始めるタマモ。その声からは、感情の機微は読み取れない。横島は何か釈然としなかったが、黙ってタマモに身を委ねた。
 タマモは、自分の中の何かが外れた様な感じがした。それは美神親子と出会ってから、ずっと挟まっていた心の楔だった。




 人間は、笑顔の裏側に醜悪な獣を飼っている。独善的な暴論を吐き散らし、相対するものを容赦なく屠り去る。それが、私の持っていた人間観だった。
 美神親子は、私を捕まえなかった。殺さなかった。私と、「忌むべき獣」である私と手を取り合える関係になりたいと、そう言っていた。私は、人間が分からなくなった。
 確かめたい、と思った。私を匿い、油揚げをくれた人間。本当は、お見舞いは口実に近かった。彼にとって、私は如何なる存在なのだろうか。

「俺は、お前にとっては敵の筈だろ?」

 私の内側で、亀裂が走った。罅割れた隙間から、言いようのない爛れたものが溢れ出した。

「別に・・・単なる、気まぐれよ」

 敵。それが彼の結論だった。つまり、彼にとって私はここに居てはならない存在という事だ。どことなく解放されたような、それでいて苦々しいものが胸中を満たしていた。
 答えは、分かった。この上なく簡単に。彼が眠りにつき、再び目覚める時。私は、姿を消しているだろう。そして、二度と会う事もないだろう。彼にとって−−−人間にとって、私はその程度の存在だった。それだけのことだ。




「・・・そっか」

 一言だけ、横島が言った。タマモからは、横島の表情は窺えない。だが、横島が嬉しそうに笑っているであろうことは容易に分かった。言葉の端ですら喜怒哀楽が分かる横島の単純さに、タマモは苦笑した。
 
「・・・なあ、タマモ」

 相変わらず、返事はない。鼻の頭を掻きながら、独り言のように横島は言った。

「今更・・・許してくれ、なんて言わない。けど、もし・・・もし、今度みたいに人間に追いかけられたら・・・俺は、お前を守るよ。何があっても・・・お前には、生きて欲しいと思う。憎しみと悲しみだけを覚えたまま死ぬなんて、悲しすぎるから・・・さ」

 タマモの瞳が、驚愕に彩られた。横島は気負いも打算もなく、ただ感情のあるがままに−−−清流に小船が流れる様に、自然に言葉を紡いだ。つまりは、横島は本心からそう思っているという事だ。

「なんで?・・・だって、私はアンタ達の敵じゃあ・・・」
「?そりゃお前サイドの話だろ。俺から見りゃ、お前はただの可愛い女の子だよ。なにが悲しゅうて美少女と敵対せにゃいかんのだ」

 呆気に取られたように、タマモが目を瞬かせる。要するに、横島はタマモが自分達を憎んでいると勝手に解釈し、二回も酷い目に遭わされ、それでも尚守ってやると言っているのだ。なんというお人よしで、素直で、優しい人間なのだろうか。タマモは、言葉よりも先に自然と笑みが零れた。

「・・・クス」

 背中を拭くのも忘れ、体を丸めて笑い続けるタマモ。横島は何となく馬鹿にされた感じがしたが、楽しそうな笑い声に言い返す気も失せてしまった。代わりに出てきたのは、溜息混じりの−−−それでも楽しそうな笑い声だった。
 


本当に−−−人間って、分からないわ



 心から、そう思う。だが、タマモの心に先刻までの乾いた感情はなく、梅雨晴れの空の様に透き通った思いが、淡く胸中を満たしていた。







おまけ



「はい、出来たわよ横島」

 そう言って、タマモが薬草入りの雑炊を横島に渡そうとする。だが、横島の手元は間断なく震えており、箸もロクに持てなかった。

「・・・溢すのが目に見えてるわね」

 呆れたようにタマモが言う。横島は暫く何か考えていたが、じゃあと言ってあんぐりと口を開いた。

「・・・カバの真似でもしてるの?」
「違うよ。食べさせてくれってこと」

 約五秒、時が止まった。
 横島に手料理を食べさせる、自分の姿を思い浮かべる。よくて恋人、もう少し年を重ねていればおしどり夫婦である。タマモの顔が、一瞬で朱に染まった。

「絶っっっ対にイヤ!!そんなのはあのおキヌって娘にでもして貰えば!?」
「・・・おキヌちゃんも俺と同じ様に寝込んでるよ」

 半眼になって睨む横島。タマモは自分が墓穴を掘ったことを実感した。暫しの逡巡の後、タマモは諦めたように匙を掬った。芳醇な香りが、横島の食欲を掻き立てる。
 だが、やはりいざとなると躊躇いというか恥じらいが生じる。タマモはなるだけ横島の顔を見ないように、真っ赤な顔をして俯きぎみに手を伸ばした。

「・・・ホラ、食べなさい!」

 しかし、タマモはいくつかのミスを犯した。一つ目は、恥ずかしさの余りスプーンを剣道の「突き」の如く思い切り横島の口中に突っ込んだ事。もう一つは、鉄製のスプーンに掬ったそれを、全く冷まさなかった事だ。

「ぐえええぇぇっっ!!」

 結果として横島は、喉の奥への損傷及び火傷を被る羽目に陥った。横島の風邪はその後三日で治ったが、彼は一月近く流動食の摂取を余儀なくされたという。


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