ザ・グレート・展開予測ショー

A Reason for lie(後編)


投稿者名:tea
投稿日時:(03/ 9/18)


 糸が切れたように、夫はゆっくりとくず折れた。
 両手に持った花瓶が、じっとりと重く感じる。獣のように荒い息を吐く私の目に、部屋の隅でがたがたと震えている珠美が映った。現実を忌憚するかのような、歪んだ瞳が痛々しかった。
 その後の事は、よく覚えていない。夫の死体を梁からぶら下げ、隣近所まで響く悲鳴を上げた。警察での取り調べなどは、名演技どころでなく別の人格が宿ったかのようだった。
 形骸的な葬儀を済ませ、喪服を脱ぎ捨てる。香典を清算し終えると、私は溜息を付いた。
 何もかも、上手くいった。夫は実は会社との軋轢が激しく、最近は胃腸薬を常備していたらしい。それを警察で聞いた私は寝耳に水だったが、さも知ってましたとばかりに目元を覆った。結局警察は、私の証言を鵜呑みにした。まったくもっておめでたい連中だ。
 上手くいった、筈だ。
 

 なのに


 何故、こんなにも胸が乾くのだろう



 何故、こんなにも空っぽなんだろう







 
 

 帰宅した夫人が見たものは、呑気に茶を啜る二人のGSの姿だった。アップル・ティーの匂いが鼻をくすぐる光景は、三時間前のそれと全く同じである。夫人は軽い眩暈を覚えながら、ソファにつかつかと歩み寄った。

「あ、奥さん。お疲れ様で「どうゆうこと?私は貴方達を茶会に呼んだわけではないのよ?」

 立ち上がり一礼しようとした横島を思い切り締め上げ、青筋を浮かべた夫人が詰問する。それに答えたのは、タマモだった。

「今さっき終わったトコよ。一服入れてたのは失礼かもしれないけど、絞め殺される程悪いことかしら?」

 質問に質問を返しながら、目線を横島に向ける。気が付くと彼の顔色はナスの如く紫色に変色し、口からは泡を吹いていた。常世へご案内されかけた横島が意識を取り戻したのは、三十分後のことだった。


「すみません・・・大丈夫ですか?」
「ええ、まあ・・・一瞬綺麗な花畑が見えてたけど、もう大丈夫っす」

 力なくも笑う横島を見て、夫人が安堵の溜息を漏らした。まあ、あの程度でくたばっていたなら美神になど何度殺されたか分からないだろう。

「よかったじゃない。危うく人殺しになるところだったわよ、アンタ」

 相槌を打つようにしながら、さらりと壮絶な皮肉を言うタマモ。その言葉に、部屋の空気がぎしりと軋んだ。三白眼になった夫人が、鼻白んだ様子でタマモを睨む。

「・・・何が言いたいんです?」
「おかしいと思ったのよね。わざわざ偽装しておいて、私達に罪を暴露する。警察を呼べ、と言わんばかりに家を空ける。けど、ま、全部一つの線で繋がったけどね。彼女の協力の御陰で」

 余裕の笑みを浮かべるタマモとは対照的に、「彼女」と聞いた夫人の態度が豹変した。顔色は目に見えて青ざめ、唇が微かに震えている。重心を失った夫人の心は、さながら風に煽られる蝋燭の灯のようだった。
 ふてぶてしさで塗装した、元来脆いはずの夫人の心。それが瓦解した夫人の、空気に溶けそうな程の弱弱しさを見て、タマモは心中で確証を得た。

「彼女−−−珠美ちゃんが言ってたわよ。お父さんを死なせたのは、私なんです−−−ってね」









「・・・一体、どういうこと?」

 タマモに胡散臭そうな目付きで睨まれ、珠美は思わず顔を伏せた。横島が慌てて二人を取り成すが、どさくさで珠美の手を握ろうとした際タマモの肘鉄を水月に食らい音もなく床に蹲った。
 バカは放っといて、と付け加え、タマモが説明を促す。先程のどつき漫才でいささか固さがとれた珠美は、事の顛末を訥々と話し出した。



「つまり、父親は前々からアンタに目を付けていた。で、部屋に乱入してきた挙句乱暴しようとして、アンタと揉み合いになった。アンタは部屋にあった花瓶で思い切り殴りつけたけど、父親が動かなくなったのでどうしようと右往左往しているところに母親がきた、と」
「・・・はい。そして、お父さんの死を自殺に見せかけたんです」

 珠美の声は微かに震えていた。恐らく、かつての忌まわしい記憶を掘り起こしているのだろう。自身を抱き締めるように身を竦ませる珠美は、庇護欲を掻き立てるほどに健気で脆弱だった。





「・・・一つだけ分からないのは、どうしてアンタだけが罪を被るような言動をしたか、ってこと。娘を庇うためなら、最初から蒸し返さないのが一番だしね。それだけが、どうしても・・・」

 ぬるくなった紅茶を喉に流し込んだタマモが、横目で夫人を見る。夫人はタマモの声が半分でも聞こえているのかさえ疑問だったが、やがて静かに口を開いた。

「愛して、いたからです」

 片言で、ぽつりと言う。思いのたけを凝縮し、零れ落ちた一片の言葉。だが、夫人の心の防波堤を崩すには、十分だった。

「一つだけ言っておきます。夫を殺したのは、本当に私です。珠美が殴った時、夫は気絶してただけなんです」

 タマモと横島は目を丸くしたが、横島が目配せするとタマモは首を振った。どうやら、口から出鱈目を言っているわけではないらしい。母の代わりに出頭する、と喚いていた珠美を文殊で眠らせておいてよかった、と横島は思った。

「最初は、隠し通すつもりでした。家に帰っては喧嘩ばかり、あまつさえ大事な一人娘に手を出そうとした駄目亭主。こんな奴のために残りの人生棒に振りたくない、そう思って当然でしょう?」

「けど−−−いざ葬式が終わってみると、何故か寂しさが込み上げてくるんです。深い森に、独り取り残されたような・・・どれだけ叫んでも、声を上げて泣いても、虚しさだけが残る・・・そんな感じでした」

「理由も分からず、泣き続けました。ベッドの中で、目を腫らしながら。その時、あの人が還って来たんです・・・亡霊となって」

 どことなく虚ろな目で夫人が言葉を紡ぐ。瞼の裏にその時の情景を思い描いているのか、目尻には涙が浮かんでいた。

「変わり果てた姿で還って来ても、私は・・・ただ、嬉しかった。その時・・・分かったんです。私は、この人を愛していたんだと。だからこそ、私は償わなければならないんです。妻として、愛する夫を手に掛けた事を。そして、守らなければならなかった。母として、愛する娘を」

 そう言って、夫人は顔を覆って泣き崩れた。化粧が剥がれるのも厭わずに、心の膿を搾り出すように泣き続けた。

「・・・・・・」

 タマモも横島も、何も言えなかった。夫人は、亡き夫のため愛する娘のために毒婦である自分を演じ、全てをただ一人で抱え込むつもりだった。それが単なるエゴであろうと、彼女は対外的に、自分自身に嘘をつき続けた。
 なんと不器用で、哀しい生き方だろうか。
 夫人から目を背けるように、横島は紅茶を乱暴に飲み干した。
 横島には、その紅茶の味はよく分からなかった。ただ、既に温もりを失った冷たさだけは、胸の奥底にいつまでも残り続けていた。





 夕日が空を淡く染め上げる頃、横島とタマモは事務所への帰路についていた。仕事帰りである筈の彼らは本来もう少し砕けた感じなのだが、今は黙々とアスファルトの道路を歩いている。

「・・・なあ、タマモ。さっきから、何考えてんだよ?」

 耐えかねたのように、横島がタマモに声を掛けた。それでも暫くは何事か考えていたが、不意に横島の方を向くとその顔を無遠慮に覗き込んだ。

「な・・・なんだよ」

 急な接近に戸惑う横島だが、やがてタマモは興味を無くしたかのように顔を離した。無精髭を剃ってなかった横島としては、内心冷や汗ものだったが。
 タマモは、なんとなく面白そうな−−−というより、含み笑いでもしていそうな捉え所のない顔をした。鼻毛でも伸びてたか、などと愚にもつかないことを考える横島。タマモは、再び横島に向き直った。

「アンタ達−−−人間って、不思議な生き物ね」
「あん?」

 横島が変な表情をする。彼の認識では、不思議な生物とはおしなべて一つ目ナスビとか爆弾トマトのことを言うので、その辺のカテゴリーと同一視されるのは寧ろ不愉快である。

「自分に嘘をつき、他人に嘘をつく。窮屈なペルソナに心は摩滅し、それでも尚茨の道を歩きつづける。しかも−−−自分以外の誰かの為に、ね」

 そう言ってタマモは薄く笑った。険の取れた、自然な笑顔だった。
 横島は、一瞬ルシオラの事を言おうかどうか迷ったが、結局言わないことにした。彼には、分かっているから。本当に愛する人、大切な人のためなら、誰だって嘘つきになれるということを。そして、タマモにもいずれ分かる日が来るだろう。

「きつねうどんでも、食ってくか?」
「ホント?勿論驕りよね?」

 素直なまでの現金さである。しょうがねえな、と横島は苦笑した。
 嬉しそうに横島の手を取るタマモ。長く伸びた二つの影が、少し遠くで交わっていた。

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