ザ・グレート・展開予測ショー

#まりあん一周年記念『Ave Maria』/第一幕


投稿者名:ロックハウンド
投稿日時:(03/ 7/12)


 部屋の薄暗さは、少女にとって、特に気にすることも無い程度の情報だった。
 定期的に掃除を行なっていた際にも、椅子、テーブル等の持込という、自分への提案は却下されている。
 居住性は無用、という主人の指示もあったが、部屋中の保管物に対して、主人が興味を持ちえなくなっていたのも理由の一つだった。
 だが少女は、部屋の事で主人への異議を、また提案を口の端に上らせたことは無い。
 主人の脳裏から部屋への興味が失われていたのは、意図的にではなく、老化による忘却が原因であったからだ。

 少女にとって、主人はどのような存在であったのか、時折、これまで蓄積され、構成された思考ロジックを辿ることがある。
 そんな過去への回想をするにあたって、この薄暗い部屋を時々利用していた。
 少女の脳内マップに存在する屋敷見取図には、今いる場所へ『物置』というワン・ワードのみを固定している。
 広大な屋敷の中で、さらに奥まった部屋ゆえ、日の光が差し込む窓など無い。

 少女は、主人の死後、部屋の中央へと持ち込んだ木製の椅子に腰掛けたまま、身じろぎ一つしない。
 唯一の照明である燭台は、少女の背丈より少し高めの棚に置かれてある。
 地球儀、天球儀、巻物や古びた世界地図、梱包された荷物が山のように、だが整理されて積み上げられている。
 時折、炎が揺らめき、部屋中の荷物の数々をスクリーンに、長く伸ばされた少女の影を映し出す。
 詩心あるものがその光景を見やれば、『偉大なる老賢者の遺跡』とでも言おうか。
 その部屋には歴史ある図書館や美術館、そして教会にも似た、一種荘厳とも呼べる重厚な雰囲気が湛えられていた。

 今夜もまた、少女は過去への旅路を辿ろうとしていた。
 少女の視界には、上下左右に羅列される数値化データが映し出されている。
 細分化されたデータの中から、少女は『記憶(Memory)』と命名されたファイルを選択する。


 《――――ファイル・ナンバー・000000000000000001。開示します》


 膨大な量のメモリーを少女は蓄積していたが、回想時は常に1番のデータを読み取ることから始めていた。
 ランダムにファイルへのアクセスを試みても、始まりは必ず1番からと決めている。
 さながら約束事のようにも思えるこの行動が、自分にとって何の為か、などと理由を考えたことは無い。
 理由なき行動、というものが存在するであろうことも、少女は永い年月から学び取っていたからである。
 主と旅した、果てしなく長い旅路の中で得たものの一つなのだ。
 だから、矛盾もまた真理の一つ、という見解が、今の彼女には存在していた。


 『M−666よ、今日からお前の名は・・・・・・そう、《マリア》じゃ!』


 幾度、再生したか知れないデータを、今日もまた繰り返す。
 微小なノイズが、画面に細かい傷を残すように主人の笑顔を削り、次の瞬間には消え去っていく。
 何度も直に目にしたはずの笑顔が、今はもう脳内での単なる記録と化している。
 今は無き主人『ドクター・カオス』のこの言葉から、自分『マリア』の全てが始まったのだ。


 「イエス・・・・・・ドクター・カオス・・・・・・」


 閉じられ、揺らめく黄昏色の部屋の中で、マリアは、か細げに呟いた。



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         『Ave Maria』/第一幕


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 ドクター・カオスが他界して、すでに半年ほどが経過していた。
 人類初の不老不死。錬金術の大家。ヨーロッパの魔王。
 カオスが得た称号は幾多にも及ぶが、不老不死という言葉の響きも、今となってはなんと稚拙に聞こえることだろう。
 事実彼は老い、他界した。皮肉なことに長寿ではあっても、不老でもなく不死でもなかったのだった。
 彼の最期への兆候に気付いたのは、寝たきりとなったカオスの身体全機能が停止しつつある、とGS医師から告げられた時だ。
 極度の老衰の為、二千年の歳月を生きてきたカオスの肉体が活動限界点に達しつつあったのである。

 葬儀の日を、今もはっきりとマリアは覚えている。
 数多くの追悼電報、花束等が屋敷に届けられ、幾人もの見舞いを淡々と受けた日々がしばらく続いた。
 そして、今はもうただ一人の生き残りとなった友人、ピエトロ・ド・ブラドーが本葬を取り仕切ってくれた。
 祭儀の場所は、ピートの地所である教会で行なわれた。
 かつて『唐巣神父の教会』と呼ばれ親しまれた、マリアにとっても懐かしい場所で。


 【一千年近くか・・・・・・よく頑張ってくれたと思うよ】


 マリアに向けて、そう呟いたピートは微かに潤んだ瞳で、今はもう鐘の音が響くことの無い鐘楼を見上げた。
 あちこちのタイルが剥げ落ち、無残な姿をさらしている教会の姿は、マリアのメモリーにしかと刻まれている。
 何度となく行なった補修工事で、唐巣亡き後の教会もどうにかここまで余命を永らえてきたが、限界がやって来たのだ。
 老朽化が著しいこの教会の、最後の勤めがカオスへの弔いであった。

 永い年月の間に教会が少しづつ朽ちていく様は、まるで建物自体が旧友たちとの別れを惜しんでいるかのように思えたものだ。
 20世紀末から21世紀後半にかけて生きた時代。幾人もの友人達と知り合い、別れ、死別を重ねてきた。
 黄金時代と呼べるなら、まさしくあの時代がそうであった。
 カオスとともに歩んできた歳月の中、カオス以外の友人達が、人造人間の自分にも出来た時代だ。
 そんな友達を、一人、また一人と見送ってきたのだ。この教会で。
 そして今、主たるカオスが旅立ち、教会もまた魂というものがあるなら、ともに旅立とうとしている。

 参列者はピートの判断により、ピートとマリアの二人のみとした。
 社会的には、確かにカオスは偉人と称えられたが、ピートにとっては永い時を共に越えてきた大切な友人の一人である。
 ゆえにこの場では友として見送りたかった。そう考えた末の事である。マリアも賛同してくれた。

 埃とカビの匂いがうっすらと鼻を突く中に、マリアとピートの姿があった。
 祭壇にはカオスが眠る棺が置かれ、その褥には数え切れぬほどの薔薇が敷き詰められていた。
 数百本にも及ぶ蝋燭が炎を抱き、時刻10時を数えた夜の帳を遮っている。
 教会の天井越しに雨音が響き渡り、弔いの鐘代わりに空気を震わせ窓を叩いていた。風は無い。

 ピートがロザリオを片手に祈りを唱える。
 恩師・唐巣和宏神父から譲り受けたもの。神父が他界する少し前の日に、遺品として直に手渡されたものだった。



 ≪いと高き所に居られる主よ。今日、我らの友が御許に参ります。
  我ら、主の恩寵にて、この世に生を授かりし日より、共に歩みし兄弟を御手に委ねます。
  願わくば、いと小さき者たる我等の兄弟。御許へと旅立つ兄弟を、許し、導き給え。
  幾度も道を違え、幾度も眼を背け、幾度も御父の御心に沿わぬ行ないに生きる我らを許し給え。
  父と、子と、聖霊との御名において、かく在らせたまえ≫



 雨音に混じり、寂れた教会の中に響き渡るラテン語の祈りを、マリアは今日に至るまで忘れたことは無かった。
 全身の回路が凍結しはしないかと思うほどの虚無感と、それでいて胸部の原因不明の痛みと共に。


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 《ファイルを開示します》


 少女は不意に、目尻を微かに動かした。
 見ようによっては、痛みを耐えているようだ。
 いつも、そうだった。
 過去の情報を開くたびに、人間で言えば冬場の静電気にも似た、原因不明のノイズが発生するのである。
 だが、今ではもう慣れていた。
 確かにノイズは不快だが、ファイルへのアクセスが妨げられるよりは良い、と、少女は思う。


 《――――ファイル・ナンバー・411255634863268231。開示します》


 【どうじゃ、マリア! これこそ画期的にして躍進的な傑作じゃ。うむ、我ながら自分の才能が怖いのぉ】

 【イエス、ドクター・カオス。でも・家賃・支払いの・リミット・明日です】

 【・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて、バイトの時間じゃな】


 21世紀初頭の東京。アパート住まいにおける記憶。
 一瞬の熱気が冷め、渋い顔をしつつもいそいそと作業服に身を通し始めるカオスの姿は、とても後世の偉人としての面影は無い。
 だが、マリアにとっては何も変わらない。
 見慣れた、いつもの主人の姿だった。他界した今となっても。


 《――――ファイル・ナンバー・386536688775890253。開示します》


 【マリアっ、無事か!?】

 【イエス、ドクター・カオス。損傷個所・皆無。マリア・無事】

 【うむ・・・・・・しかし、ナチのたわけ共め! 小国とはいえ、軍をもってその威を汚すとは、もはや大国としての矜持も失せおったか】

 【ドクター・カオス。一刻も・早く・この場・からの・撤退を】

 【わかっとる。行くぞ、マリア!】

 【イエス、ドクター・カオス!】


 第二次大戦中のポーランド。
 戦火を避け、ようやく古巣と呼べつつあった研究室を捨てて、他国への逃亡を図った時の記憶だった。
 カオスの表情に浮かんでいるのは、苦渋。そして失われた知識、芸術、人々への哀惜の念であった。
 幾人もの知己を得ていたカオスであったが、もはや、彼らの身を案じるより他になす術は無い。
 下品とは思いつつも舌打ちを一つ、一際高く、街角に高々と掲げられた鍵十字の旗へと向けて響かせると、マリアとともに駆け出した。


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 

 一際大きく鐘が鳴った。夕刻6時を告げる鐘の音である。
 カオスの遺産である広大な屋敷。その中心部の庭に鐘楼が存在している。
 その鐘はかつて、唐巣神父の教会に置かれていたものの模造品(レプリカ)であった。





                    続く

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