ザ・グレート・展開予測ショー

#まりあん一周年記念『魂の行き場所』


投稿者名:志狗
投稿日時:(03/ 6/30)

夕刻

燻る炎のような夕日は次第にその勢いを衰えさせ、漆黒の暖炉の灯火は今日の役目を終えた。
月は壁のような雲の向こう。
星も出ぬままに夕刻という時間は過ぎていった。

無明の闇が降りてくる、雨のように。
日の当たる舞台は幕を閉じ、時間はしばしの幕間へ興じていった。

美しく冷たく広がる海のように深遠な空と、その己を模した姿を鏡のように映す深く暗い真なる海。
その空と海の僅かな逢瀬の時を彼女は静かに眺めていた。


闇に溶け込む黒衣。

浮かぶ白い肌。

揺らめく炎のような髪。

深い知性と、秘められた感性と、強い意志を備えた紅き双眸。


一言で言う所の美女。
この場に不釣合いとも言えるその姿は、それでも風景の中に緩やかに溶け込もうとしていった。

潮風がふわりと彼女の髪を撫でる。
湿り気の中のはっきりと判る潮の匂い。
僅かにべたつく感じを残すその空気も、夜という空気に次第に支配されていくようだった。

巨大な倉庫の立ち並ぶ波止場。

船たちの終りの場所。
そして彼女の妹の終りの場所。

倉庫の合間を抜けた波止場の尖端から見える光景は、記憶の中にあるものとは大きく違っていた。
ここでの記憶、彼女にとっての記録にある事件の終幕の場が、大きな廃船が丸々消失している。

あの日の事実など無かったように舞台が消え、あらゆる痕跡が消えかけている。
その事を当然の帰結として冷静に受け止める中、どこかに感情のぶれでも生まれたのか、彼女は視線を上げ空を仰いだ。

空の港はその役目を再び果たせる日を待ち、しばしの休息に息を潜めている。
ただ時の過ぎゆくままに立ち尽くす彼女にどんな感情が渦巻くのか、また感情に駆られているのかどうかさえも窺い知る事は出来ない。

塞ぎこんだ風景の中、彼女は少しの揺れも無い姿勢を保ち、その赤き瞳に互いにその姿を鑑みるような黒き空と海を映していた。


「やはりここにおったか。マリア」

不意に聞こえてきた声と、生まれた気配、暗闇の中で更に暗さを増させた大きな影に彼女は……マリアはゆっくりと振り返った。
この場に現れる者は一人だけだろうという事がマリアには分かっていた。
それでもはっきりとその名を呼ぶ。
自らその事実を確認するかのように。

「ドクター・カオス」

呼ばれた声と気配と影の主、カオスはマリアの返事に満足げに、にっと笑みを浮かべ、軽く手を上げた。

「どうして・わかりましたか?」

隣に並んで立った、彼女よりも優に頭一つ分は背の高いカオスを顔だけで見上げながら、マリアは彼女にしては少し単純な問いかけを発した。

「今日はあれの・・・・・まあ命日じゃからな。お前が居るとしたら、ここじゃろうと踏んでな」

そう言うとカオスはマリアを一瞥し、それまでの彼女と同じように漆黒の海と空に視線を戻した。
マリアもそれに追従するように視線を戻し、二人の動きはそこで一度止まる。

ゆっくりと過ぎ去る時。
それを覆い尽くす沈黙。

永劫の時を共に生きてきた二人には、それも苦痛ではなく、黒衣の二人は夜の闇へと消えてしまいそうなほど溶け込む。

「悲しいか?」

カオスの上げた声は闇との同化を拒む様に力強く、だがその奥底にある確かな優しさ、慈しみが込められていた。

「マリアは・わかりません」

視線を合わせることも無くポツリと問いかけたカオスに、マリアも視線を動かさず、頭を振ることも無く、ただそう述べる。

再び沈黙。

沈黙は己の心を掘り下げ、相手の心を想うのに当てられ、お互いの心を整理させた。
整理を付けられた心は自然と外を向き、思いは発せられる。

命導かれし処は如何なるものと思いを馳せる。
その思いが二人のどちらから発せられたものなのか、あるいは両方なのか。
傍目にも、二人からもはっきりとは分からなかった。

「テレサは・壊れました」

ポツリと言い出した彼女の瞳は港の虚空を眺めていた。
彼女の目にははっきりと、在りし日の風景が捉えられているのだろう。

『解体作業中につき 立ち入り禁止』の看板。
廃船。
クレーンから吊るされた鉄骨。
響く悲鳴のような声と、妹からの通信。

「テレサには・魂が・ありました。ドクター・カオスが・お創りになった・魂・です」

損傷する自分の体。
妹と共に飛び込みかけた黒い海。
妹の提案、そして裏切り。

「人の手で・創られた・魂は・何処へ・ゆくのでしょう?」

手を掴んだ時の妹の表情。
水音。水飛沫。


記憶が、記録が、走馬灯のように蘇り、その合間を縫う様にして繰り出される言葉。
無表情の中の表情を押さえたいのか、曝け出したいのか…
それは本人にも知れず、マリアは淡々と話した。

「命の行方は多くあるじゃろうよ」

答えを待つようなマリアの沈黙に、カオスが口を開いたのは、またしばしの沈黙の後だった。
そんな間にもマリアは焦れる事無く、静かに待っていた。

マリアの問いは確実な答えを求めたの物ではなかったかもしれない。
しかしカオスが答える事は分かっていたであろうし、そこには確かに期待があった。

恐らく…望む答えを見つけたい、望む答えが欲しい。
そんな期待が。

「創造主の元へと帰るもの。輪廻の輪の中に投じられるもの。完全なる無へと還るもの……」

マリアの気持ちを知ってか知らずか、カオスは無表情に続ける。
その言葉が辿り着く結論が次第に見え始めるが、それはどうも雲行きの怪しいものであった。

「どの道が選ばれるのか、また本当にその道があるのかも、わしには分からん。その道が見極められなかったら、今のこの命永らえる道を選んだのじゃしの」

下された結論は少なくともマリアを喜ばせる物ではなかった。


答えを知りたい。
そう想った時に生まれるのは二種類の感情。

一つは真実を求める心。

一つは望む答えを求める心。


マリアの問いかけは、恐らくは後者。
真実を求めるのならば、彼女の論理演算、データに基づく結論で事足りる。
それでも答えを求めるという事は何かしらの感情を含めての事であろう。


小さくだが少し重く、失望ともいえるような感情。
そんな気持ちが生まれている事も表面上には出さずに、マリアはその直立した姿勢を保っていた。

「じゃがな……」

カオスの呟きにピクリと反応してしまう。
そんな小さな反応でも彼女にしては大仰であり、そこからは薄れた期待の色が再び深まるのが見て取れる。

「お主らの命はわしと同じ場所へゆくよ。」
「人工的に・合成された・霊魂には・転生・成仏等の・前例が・ありません。推測も・不可能だと・思われます」

カオスの言葉にどこかで生まれる喜びがありつつも、正確な回答を即座にたたき出す。
滑らかに口を動かしたマリアの表情は、その口調とは対照的に自らの言葉を疎むような、そんな表情だった。

「少なくともわしは信じておる。それではお前が信じる根拠に足りんかの?」

おどけた様な、それでも真摯なカオスの珍しい雰囲気の言葉にマリアは少し目を見張るような仕草を見せ…だがそれもすぐに消える。

悩みこむように押し黙るマリアに小さく微笑を浮べると、カオスは再び海と空の境目に目をやり、諳んずる様に言葉を続けた。

「たとえ世の理がそうでなくとも、お前が望むならわしはその理を曲げる手段を見つけ出そう」

自分の生その物が捻じ曲げられた物である自覚と、己の力を信じる気持ち。
カオスの心に迷いは無かった。

「自らが創りし命には・・・・・・・お前の魂には責任を取ろう。あやつにその責を負えなかった分もな・・・・・」

カオスが見つめる先には静かな水面があった。
あの日、暗き海へ落ちていった者の静かな心と対照的な、断末魔のような水飛沫を上げた水面が。

感傷に浸りそうになるが、それを拒絶する。

「お前もわしも、いつかは朽ち果てる時が来るじゃろう」

見果てぬ未来の、だか確実に訪れる未来。
彼はそれを考えぬほど短い時を過ごしてきたわけではない。

「お前が先なら、わしはお前の待つ場所へと向かおう。わしが先なら、お前が来る場所で先に待っとるよ」

まるでちょっとした待ち合わせの約束でもあるように軽く言うカオスに、その気持ちの正確なところが掴めないのかマリアはただ聞き続けた。
次の言葉はマリアに言い聞かせるようでも、己に言い聞かせるようでもあった。

「今の段階でお前が不可能という判断を下そうとも構わん。必ず可能にしてみせる」

軽さに続いた言葉は、恐ろしいほどに強い意志の込められた言葉で、そのギャップからかマリアも押し黙る。
鋭い眼光は暗い海を向いていたが、実の所それは心の内へと向けられていたのかもしれない。
マリアの視線は既に海から離れ、カオスの視線に重ねられていた。


またしばしの沈黙を過ごした後、カオスは「そろそろ帰るかの」と呟くと、夜風にはためくマントを翻し海と空に背を向けた。
マリアはそれに続こうとしたところで、ふと足を止めた。

「ドクター・カオス」

呼び止める彼女に振り返ったカオスのマントが手を差し伸べるように伸びる。
柔らかな風が持ち上げるマントを視界の端に収めながら、マリアはゆっくり告げた。

「マリアも・信じます」

はっきりと述べられた言葉は、それでもどこかぎこちない感じがした。
カオスには僅かな不安も見えたのか、優しく笑いかけ彼の自信の全てを込めて言う。

「安心せい。わしは“ヨーロッパの魔王”。ドクター・カオスじゃからな」
「イエス、ドクター・カオス」

カオスの言葉にマリアは彼女における最大の信頼の言で返し、カオスもそれに満足そうに頷いた。
再び歩みを進めるカオスに、今度は何の言葉も挟まずにマリアは続く。

マリアの在ったかどうかも判らぬ不安。
少なくとも今はそれが無いという事だけは確かだった。
彼女の心に在るのは恐らく一つ。


データに拠らぬ、論理に拠らぬ、心からの信頼


星達の囁きを遮る緞帳のような漆黒のカーテンは上げられた。
幕間は終わった。
過去と未来に思う二人の短い時間は終わり、再び日常へと戻る。

空には星屑が無造作に散りばめられており、去り行く二つの影に優しく瞬く。


二人を送るのは、あの日と同じ満天の星空だった。

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