香港前奏曲(後編)
投稿者名:dry
投稿日時:(03/ 6/29)
事務所に辿り着いた雪之丞は、応接用の椅子に腰掛け、一人今後の対策を練っていた。
「小竜姫は、針を死守しろっつってたが…」
目の前のテーブルには針と角、そして風水関連の書籍があった。
「やっぱ、壊す訳にもいかないんだろうな」
改めて調べてみたところ、やはり原始風水盤は針が無ければ動かせないらしい。
アジトの位置を掴むチャンスを自分から潰してしまったが、咄嗟の判断で針を強奪したのは悪くなかったようだ。
しかし、針自体は唯一無二の物でもなく、手間さえかければ作る事が可能だと記されていた。
確かにメドーサ達にとって針は重要な物だが、破壊された事を知ればもう一度作り直そうとするだろう。
その時にはまた、風水師達が犠牲になる。そういう事態は避けたかった。
「となると、小竜姫が元に戻るまで待つか?」
取り敢えず、原始風水盤のありそうな所を検討する事にした。
その場所がそのままメドーサ達のアジトとは限らないが、調べてみる価値はある。
「確か、前に風水絡みの依頼を受けた時の資料があったな」
意外と綺麗に片付けられている本棚から、目当てのファイルを手に取る。
「整理しといて良かったぜ」
ファイルから一枚の折り畳まれた紙を取り出し、テーブルの上に広げる。
そこには香港周辺の地図と、それに重ねて地脈の流れや、流れを制御する為の霊的装置の位置が、詳細に書き込まれていた。
香港の風水協会が保管している資料だが、裏のルートで手に入れたコピーである。
「原始風水盤が地脈の流れを操るなら、流れが最も集中している場所に設置した方が、効率的だし威力も期待できるだろうな。…ここか」
ある一点を指で押さえる。香港島と九龍をつなぐ海底トンネル。
「そういや別件の除霊でこの辺りを霊視した時、見鬼くんが反応したな」
ここと見て、間違い無いだろう。
地上にそれらしい物は無かったから地下にあるのだろうが、どこに地下への入口があるかまでは地図では判らなかった。
詳しく調べるには実際に行ってみるしかないが、今は迂闊に近づくのは危険だ。
そして、仮に入口が判ったとしても、一人で殴り込む訳にはいかなかった。雪之丞とてそこまで無謀ではない。
「くそっ!結局、逃げ回るしか手が無いのか」
打ち合わせた拳と掌が、小気味好い音を立てる
いたずらに仲間を増やしても、勘九郎やメドーサ相手では犠牲が出るだけだ。
ここ香港で、戦闘力で雪之丞の上を行く者はそう多くないし、そもそもコネが無かった。
渋い顔で決断を下す。
「そうと決まれば、一度日本に身を隠した方が良さそうだな。時間稼ぎにもなる」
戦術的撤退だと自分に言い聞かせる。
原始風水盤が真価を発揮する満月までは、メドーサ達も針を取り戻そうとするだろう。
新たな針を作っていては、次の満月には間に合わない。そこが狙い目だ。
当然、針も日本へ持っていく事になるが、念の為に別ルートで運ぶ事にする。
「日本で、針を預けるのに丁度いい奴は…」
アドレス帳をめくる。
預けるだけで、本格的に事件に巻き込ませるつもりは無いが、いざという時の為に実力のある奴が望ましい。
『白龍会』
会長の石化も治り、GS業も再建したらしいが、自分は裏切り者なので受け入れてくれないだろう。駄目だ。
『陰念』
小竜姫によると、未だ魔装術の後遺症が残っているらしい。問題外。
『美神令子』
日本トップクラスのGSだが、何を請求されるか分からない。守銭奴の悪名は香港にまで届いていた。当然、没。
『横島忠夫』
実力的には申し分無いのだが、美神令子の助手という点がネック。彼女も巻き込む可能性が高い。諦めよう。
「となると、残りはあのヴァンパイア・ハーフか」
『ピエトロ・ド・ブラドー』
試験ではあんな事になったが結局は誤解だったのだし、正義感に訴えれば何とかなりそうだ。こいつに決定。
「もうすぐ夜明けか。いつまでもここに居るのもヤバイな」
外はまだ暗いが、奴らがここを突き止めるのも時間の問題だろう。早速、日本へ発つ事にした。
手持ちの香港ドルを日本円に替えたいが、そんな暇は無い。向こうに着いてからにしよう。
針は適当に包んでコートに隠し、小竜姫の角は懐に入れる。
帽子を被り鞄を手にして、雪之丞は事務所を出た。
一時間後。
「裳抜けの殻か…」
雪之丞の事務所を、ゾンビを四体引き連れた勘九郎が襲撃したが、既に雪之丞が去った後だった。
白昼に行動するのは避けたかったが、そうも言ってられない。
「念の為よ。針が無いか探しなさい!」
モグリの雪之丞は看板を出している訳ではない。勘九郎がこの場所を知ったのは、やはり情報屋からだった。
日本ではGS協会から指名手配されているが、香港にまでは顔は知れ渡っていない。
ゾンビ達の格好は目立つので一人で接触し、除霊依頼のふりをして事務所の場所を聞き出した。
それでもかなりの時間をロスしたが。
手下達がデスクの引き出しや本棚の奥、さらに壁紙の裏まで調べる中、勘九郎は雪之丞の行方の手掛かりを探した。
床に乱暴に放り出される品々の中から、目に付いた物を手に取る。
「風水の資料に地脈の地図…。こっちの計画が知られたと見て、間違い無さそうね」
多分、原始風水盤の位置もばれただろう。迎撃の用意をしておかなければなるまい。
「やはり、針は持って行ったようね」
狭い部屋だ。捜索はすぐに終わったが針は見つからなかった。元々期待していなかったが。
依頼主が誰か気にならないでもないが、とにかく針の行方、ひいては雪之丞の行方を突き止めるほうが先決だ。
ふと、一冊の大判の手帳が目に止まった。一応調べてみる。
「アドレス帳?ページが一つ破られてるわね」
前後の内容から判断して、日本のGSについての部分が抜けているようである。
「日本から助っ人を呼んだ?」
しかし、あれから香港で活動していたなら、自分ほどではないが日本のGSとのコネは少ない筈である。考えにくい。
「となると、自分から頼みに行ったのかしら。態勢を整える時間稼ぎにもなるし」
同じ白龍GSで修行した仲だ。思考パターンは大体読める。
アドレス帳の残りのページに載っていなくて、且つ、雪之丞が頼りそうなGS。
「白龍会は無理だし、陰念はまだ駄目。美神令子はリスクが大きいし、当然横島も没。となると、あのヴァンパイア・ハーフ?」
あの人の良さそうな神父も居る。一番、可能性が高い。
勘九郎はほぼ正確に雪之丞の思考の軌跡を辿ってみせたが、針だけ国際郵便で送られている事まではさすがに分からなかった。
「お前達、行くわよ!」
雪之丞は今ごろ、啓徳空港から日本へ向けて飛び立っているだろう。先回りするには、アジトに戻る必要があった。
日本へ向かう航空機の中では、雪之丞が仮眠をとっている。小竜姫は未だ目覚める様子が無い。
「…ぐー………すー……」
自分が残した手掛かりから敵に行動を見破られた事に、彼が気付ける筈もなかった。
それがどの様な結果をもたらすかは、すぐに身を以って知る事となる。
メドーサのアジトである香港郊外の屋敷の地下、二メートル四方はある鏡の前で、勘九郎とゾンビ達、そしてメドーサが集まっていた。
「ゾンビ軍団の皆さん。私について来るのよ」
この鏡は他の物と違って、長距離を移動できる特別製だった。
東京の某所に設置してあるもう一つの鏡と繋がっている。
しかも、術者の任意で術を使えない者でも利用する事が出来た。
自爆装置として仕掛けてある火角結界の内側にある為、万一の時の脱出に使えないのが難点だが、そんな事態にはなるまい。
「雪之丞、針は必ず奪い返して見せるわ」
こちらには土角結界もある。その上、二度目の失敗が許されるほどメドーサは甘くない。
彼女の冷ややかな視線を感じながら、勘九郎は決意を胸に鏡の向こうへ足を踏み出した。
勘九郎達が鏡の中へ消えていくのを見送ったメドーサは、罠を仕掛ける為に原始風水盤の元へと向かった。
「勘九郎のおかげで、歓迎の準備をしないといけないわね」
部下への苛立ちは、人間への侮蔑へと変わっていく。
結構使えると思っていたが、所詮は奴も元は人間という事か。
地下に張り巡らした結界を、探知用から侵入者撃退用に作り替え、風水盤そのものにも仕掛けを施した彼女は、気を取り直した。
「まあ、風水師の血は十分吸わせたようだし、あとは針を取り返し、満月を待つだけね」
勘九郎は、単に魔族の世界を作るのが目的だと思っているようだが、メドーサの思惑はそれだけではない。
デタントが神魔族の間で成立すれば、神族の上位を覆す事ができなくなる。その事に不満を持つ魔族は多い。
ところが、アジア全域が魔界化すればパワーバランスが崩れる。
当然、和平は成らず、魔族はここぞとばかりに人界での勢力を広げようとし、一方神族はそれを阻止すべく戦いを仕掛けるだろう。
聖書級大崩壊(ハルマゲドン)までいかなくとも三界は疲弊する。
そうなれば、「あの方」がその知と力で世界を支配する事も容易となる。
「それまでは精々役に立ってもらうわよ、鎌田勘九郎」
自信に満ちた笑声が、香港の地下に響き渡る。
彼女にとって、全ての人間は道具に過ぎない。
軽侮が慢心に、そして慢心が油断に繋がる事を、メドーサは忘れていた。
かくして前奏曲は終わり、日本のGS達を巻き込んだ狂想曲へと、物語はその様相を変えていくのであった。
『香港編』本編に続く
今までの
コメント:
- あとがき
香港前奏曲の完結編です。後始末編とも言います(笑)。
いかに自然に本編に繋げるかが主眼の為にヤマもオチもありませんが、楽しんでいただければ幸いです。
でも、全編通して読むと矛盾だらけだよう(ノД`)。 (dry)
- 美神って、守銭奴の悪名は香港にまで届いていたんですね。(嗚呼・・・)
海外にまでそんな称号(?)が広まってるとは、美神は香港で、又は香港人に何かしたんでしょうか?
まさか銃取引かなんかで・・・・・・・・・(汗)・・・まあ、それはさておき、
考えてみれば、雪之丞が主役の話も結構珍しいですよね。(そうでもない?)
流石dryさん、雪之丞が唐巣の教会に辿り着くまでの話をここまで上手く纏め上げることができるとは。
次回作はどんなお話なのでしょう? 楽しみです! (ヴァージニア)
- このまま、スッと本編につながりますね。流れが実にスムーズだったと思います。
ただdryさんが自分でいっているように、話の中に山がなかったので盛り上げきれないずに終わってしまい、不完全燃焼の気分が残ってしまいました。
まぁ、続きはコミックを読んで燃焼せいということですね(^^) (湖畔のスナフキン)
- いやぁ、本当に納得のいく展開でした!
もうオフィシャルでいいんじゃなかと思うくらいw
で、手助けを求め日本の知人を選考する雪之丞・・・
>試験ではあんな事になったが結局は誤解だったのだし、正義感に訴えれば何とかなりそうだ。
そんな彼に胸倉つかまれ殺してやる!と言われるなんて予想つかなかったでしょうね(笑) (ユタ)
- 前編、中編、後編と一日で読ませていただきました。
ここから先はみなさん結末がどうなるか知っているから、
上手く書かないと多分厳しい評価が来ると予想されます。
こういう本編の前の話って高度な文章力が要求されるんですよね。(笑)
私もいつかは書こうと思っています。
次回からが正念場です。がんばってください。 (横叉)
- すいません、初書き込みのくせに挨拶が抜けてしまいました。
はじめまして、dryさん 横叉といいます。
後、書いたことも無いくせに要求されるんですよねなどと書いてしまいました。
本当に申しわけございません。 (横叉)
- 渋いぜ雪之丞…。
でも原作本編でみじめを晒すのね(涙)
原作での続き自体がオチになってるなんて…なんて不幸なゆっきー(滝涙) (WEED)
- dryさん、はじめまして♪
雪乃丞君、みんなの知らないところで、苦労してたんですね。てっきり、香港で美味しいものを食べて暮らしてたんだと…(涙)
でも、カッコいい雪乃丞君のお話が読めて、ねこ的には満足、満足です♪
ああ、また原作の香港編が、読みたくなっちゃいました〜♪ (猫姫)
- 陰念・・・・社会復帰は遠いのでしょうか(遠い目)
初めまして、dryさん(^^)
香港編で雪之丞は見所ですよね。
原作で省略気味だった事件の序章を、雰囲気一杯に書かれるdryさんの腕前に脱帽です。
ヤマやオチに関しては、私は問題ないと思います。確かにこの中での盛り上がりには欠けるかもしれませんが、このお話には原作の香港編という続きがあるのですから(^^)
本編を盛り上げる為の序章として最高でした。
dryさんの次のお話にも期待させて頂きます♪ (志狗)
- いや〜、純粋に上手いです。
ひさしぶりに勘九郎の姿も見れてなによりです♪
GTYではあまり活躍の場がない彼(?)ですが
結構お気に入りだったりするんですよね♪ (ハルカ)
- ワイド版の7巻は『香港編』の途中で終わっているので、私も不完全燃焼です(笑)。
それでは、コメントして下さった皆さんに感謝を込めて。
>ヴァージニアさんへ
日本GS協会→香港GS協会→香港GS業界、の順で悪名が伝わったと想定していましたが、銃取引も捨て難いですね(笑)。
今回に限りませんが、原作に散りばめられた設定の隙間を自分なりの解釈で埋め、それを物語に仕立てるという手法を取っています。
創造力に乏しい私は、その方法しかできないんですよね(ノД`)。
>湖畔のスナフキンさんへ
スムーズに繋がっていると言っていただけて良かったです。
この作品の位置付けはあくまでプロローグなので、話の山場は原作に依存する形にしました。
ただ、そうすると一個の物語として見た場合に中途半端な物となってしまいましたね。 (dry)
- >ユタさんへ
オフィシャルにするには、雪之丞のマザコンネタが足りません(笑)。
ピートに頼った件ですが、試験の時の事をついでに詫びるつもりだったのかな、なんて想像してます。
読みが甘かった所為で、余計恨まれる事になりましたが。
>横叉さんへ
こちらこそ初めまして。
えーと、次回はありません(汗)。最後の一文は「続きは原作の香港編を読んでね」という意味でして。
素直に「了」と入れた方が誤解が無くて済みましたね。反省。
あと、コメントを入れる時の立場は投稿者である前に一読者ですから、そんなに気になさる必要は無いかと。(^^; (dry)
- >WEEDさんへ
渋い雪之丞、堪能していただけたでしょうか。
日本に着くとギャグキャラになってしまうので、その辺りは今回カットという事で(笑)。
まあ、某所ほど酷い扱いではないと思いますけどね。(^^;
>猫姫さんへ
こちらこそ初めまして。
仰る通り、苦労していたんです。決してここぞとばかりに食べまくっていた訳では…って中編で食べまくってますね。
他人と絡むと三枚目になる雪之丞も、一人の時は頭を使うだろうという事で、ハードボイルド風味にしました。
でも、本編では仲間が増えたせいか、彼、頭脳労働を放棄しちゃってますね(笑)。 (dry)
- >志狗さんへ
改めて初めまして。
雪之丞が自ら勘九郎を手にかける事で、香港編の決着がつくんですよね。一方、小竜姫は完全に噛ませ犬(ノД`)。
ヤマを作る為に香港脱出前に勘九郎と鉢合わせ、なんてパターンも用意してましたが、それだと日本に行けないので止めました。
陰念、今ごろ日本で何やってんでしょうね(遠い目)。
>ハルカさんへ
辻褄合わせに終始してしまった感が拭えないのですが、ハルカさんをはじめ、皆さんに受け入れてもらって一安心です。
私も勘九郎は、メドーサと並んで好きな悪役キャラの一人です。
香港編で退場したのが非常に惜しいですね。 (dry)
- おお、雪之丞のやらかしたヘマってこれだったのか。
妙に納得しました(笑)
というか、陰念・・・魔装術の後遺症は別としても、問題外っぽい(笑) (NAVA)
- >NAVAさんへ
もっとおバカな失敗にすると、本作での彼のイメージ(原作のイメージではない(笑))が崩れるのでこの程度のヘマにしました。
「ページを破らずに、アドレス帳をまるごと持ってくれば良かったじゃないか!」なんてピートから指摘されそうですが。
陰念、実力はありそうなんですけどね。伝次郎や鬼道みたいなエピソード後のフォローが無いのが、いと憐れ(ノД`)。 (dry)
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