ザ・グレート・展開予測ショー

#まりあん一周年記念『feeling(後編)』


投稿者名:矢塚
投稿日時:(03/ 6/20)

 今回のカオスの仕事は、旧友である病に倒れた錬金術師に代わり、この国の疫病の蔓延を防ぐ事であった。
 古今東西のあらゆる学問に通じている稀代の錬金術師であるDrカオスにとって、この程度の疫病の駆逐などは仕事と呼べないほどに楽なものだった。
 歓迎と共に入城したカオスとマリアはすぐさま研究室に閉じこもり、ものの二日ほどでおおかたの駆逐策を講じ、さてそれでは明日からでも取り掛かろうかという手際の良さであった。
 明日からの仕事の為に英気を養い、大方のめぼしがついた事への祝いにと、城中ではささやかなパーティーが開かれていた。
 ステンの住むような貧民街からは想像も出来ないほどのご馳走が並び、次々と酒が干されていく。
 もちろん、現状の市民の生活をいくらかは慮り、普段よりはかなり質素であるらしかったが。
 喧騒の渦巻く会場を離れ、バルコニーに一人の少女が何を考えるでもなく佇んでいる。手にはグラスの一つも持ってはいない。
「こんなとこにおったのか、マリア」
 後ろから少女の主人が静かに声をかけた。幾分、顔が赤らんでいる。
 マリアはカオスに振り返り、作られたように微笑むと、バルコニーから再度街を眺めおろす。
「――民が困っておっても、なかなか上等な酒をもっとるもんじゃ。領主の鑑というべきかな」
 その酒をたらふく飲んだ自分に言い聞かせるような皮肉を、カオスは笑いながら言った。
 その言葉に反応する事無く、マリアは城下街を見続ける。
 彼女らしからぬ態度を不審に思い、カオスが問う。
「マリア?」
 そこでようやく、マリアが口を開く。
「ソーリー・Drカオス。マリアは考え事を・していました」
「マリア……」
 カオスがさらに続けようとした言葉を遮り、マリアが突如、城下街を振り返る。
「街に異変を確認。状況・火災と断定」
「むう? おお、あの辺じゃな」
 暗い闇に包まれた街の一角が、ほのかに赤く色づいていた。
 その言葉が終わらないうちに、マリアの足から金属がぶつかるような音が響き、次の瞬間にはジェット噴射で一直線に火事の現場に向かって彼女は飛んでいった。
「どわー!! 何じゃいきなり!?」
 マリアを呆然と見送ったカオスが、もう一度火事場の方向を見やる。
 ふと火事の方向に引っかかるものを感じたカオスは、疫病対策のために連日眺めていた街の地図を頭の中に広げる。
「あの方向は……」
 不意に、納得した表情と苦虫を噛み潰したような苦渋がその顔に浮かぶ。
「……なるほど。お前は自分でも気づいてはおらんのか。これからお前が手に入れようとしているものは、永遠の人生にとっては重石となるだけかもしれんのじゃぞ?」
 カオスは寂しそうに呟き、自分も現場に向かうべく踵を返したのだった。

 それはよくある悲劇にして、何度も何度も繰り返された惨劇。
 使い古され、擦り切れた劇ではあっても、当事者達にとっては世にも恐ろしい経験と悲しみを伴い、その心を引き裂かれる。
 城でのパーティーを聞きつけた誰かが叫ぶ。
 自分の命は自分等で守るしかないと。
 疫病の蔓延に市民等の限界はとうに超えており、そのやり場の無い怒りと、絶望は弱い者に向かっていく。
 貧民街のろくでなしどもがこの病魔を振りまいている。
 だからその一角ごと焼き払ってしまえば良い。
 古来より病魔の排除には火を使い焼き払うという風習は、やはり根強く残っていた。
 最初の松明が投げ入れられるまでに、さして時間はかからなかった。

 マリアが空から舞い降りたときにはすでに、松明をもつ多くの人々により、貧民街は劫火に包まれた煉獄と化していた。
 居合わせた全ての人々はその炎に見入っている。まるで、この炎こそが自分等の救世主であるかのように。
 その炎に同じく目を向けていたマリアが、何かに反応する。
 マリアにしか分らない何か。
 そして、マリアは躊躇ずに劫火の中にその身を躍らせた。 
 野次馬達から驚愕の声が上がるが、誰一人として彼女の行動に、助けの手を差し伸べようとはしなかった。
 その人々の声などは耳に入っていないとばかりに、灼熱の炎の中を突き進む。
 漆黒のコートは焼きはがれ、鋼鉄で出来た体の温度が上昇していく。
 崩れ落ちる家屋をその手で振り払い、粗雑な石造りの壁を砕いていく。
 燃え盛る家屋の周辺や細い路地のあちこちに、焼かれ死んだ人々の無残な死体が数え切れないほど転がっている。
 その死体に心囚われることなく、マリアの歩みは止まらない。
 そして、ついに彼女の足が止まったのは、一つの死体の前。
 いや、よく見れば、微かながらもまだ息はある。
 マリアは静かに、その横たわる小さな体を抱え起こす。炎によりかなりの熱を持ったマリアに触れられれば、通常の人間なら大やけどをしているが、その小さな体にはもう、新たにやけどを負う箇所などはどこにも無い。
 絶望的に手遅れだった。
「……痛い。……苦しいよ」
 自分を抱える存在など感じることが出来ないのだろう、うわごとのように苦痛のうめきだけを繰り返す。
 焦点の合わないステンの目が、何かを思い出すように動く。
「……ああ、あのパン……おいしかったなあ……」
 その小さな体からはもう、意識の混濁した言葉しか漏れてこない。
 ゆっくりとステンに最後の瞬間が訪れる。
 激しく燃え盛る炎さえも、一瞬だけ静まった。
 二人の間に厳かな静寂が流れる。
「――ステン」
 小さく、小さくその子供にだけ聞こえるようにマリアは囁き、その体をしっかりと抱きしめた。
 彼女は誕生して初めて、人の死を看取った。
 やがてマリアは立ち上がり、ステンの遺骸を抱えたまま、劫火の中、来た道を戻っていく。
 もし、神の目を持つ者が、粛々と炎の中を歩く今の彼女の姿を見れば、張り裂けそうな胸の痛みを堪えている人間に見えたかもしれない。
 その厳粛な歩みは、劫火に包まれた貧民街中から脱却し、火の手のまわることの無かった街中を通り、自分とステンの遺体に浴びせられる野次馬達の恐怖の声にも止まることは無かった。
 マリアには誰がこのような惨劇の引き金を引いたのか、そのような事には一切興味が無い。
 ただひたすらに、堂々と歩いていく。
 やがて彼女がたどり着いたのは、街を遠くに見下ろせる小さな小高い丘の上。
 遺体を傍らに、その丘の頂上付近に深い縦穴を掘る。決して清掃動物達に掘り起こされることも、万が一に洪水で流されることがないように、深く、深く掘る。
 薄明るく日が差し始める頃に小さな子供の埋葬は全て済み、手製の拙い墓標を前にマリアはじっと佇む。
「……気は済んだか? マリア……」
 少し前から駆けつけていたDrカオスが言葉面とは裏腹に、やさしく、そして痛ましく声をかけた。
 それに対し、マリアが珍しく困惑気味に答える。
「Drカオス。先ほどから・マリアの中に・名称不明の・新規思考ルーチンが・発生。他の演算処理速度が・低下。ノイズの発生を確認。削除不能。削除不能。――マリアには・理解不能」
「その子の死だけが特別という訳ではなく、世界にとって、人々にとってはありふれた一つの死に過ぎないんじゃよ。……しかし、マリアよ。お前にとってその子の死は、世界でたった一つの死になりうるんじゃな……」
 一人納得するカオスを、心もとないような光を浮かべた目でマリアは見つめる。
 その光に答えるように彼は続けた。
「お前が言うた理解不能の思考ルーチンとはな、心じゃよ。――いや正確には違うな。心を成す、感情のたまごのようなものじゃな。これから多くの経験を積み重ねて、徐々に徐々に育つであろう人の心の、基となるものじゃ。永遠に存在し続けるわしらにとって、重石となりえるものでもあるのだが……しかし、うまく心を育てることが出来さえすれば、永久の人生になかなかの彩を与えてもくれる。それにしても、人をも超える存在として生み出したお前が、この先人の感情を持つかも知れないとは……。進化したというべきか、それとも成り下がったというべきか、なんともやり切れんわい」
 カオスの言葉に、マリアはいままで浮かべたことの無い、不思議な戸惑いの表情を作った。
 その表情を汲み取り、カオスはさらに言う。
「そうじゃな、今は分らんでも良い。永遠に存在するわしらじゃ、いつかわしの言ったことを心から理解する日が訪れるやもしれん。もしお前が心というものを理解したければ、新しく発生した思考ルーチンには『悲しみ』と名をつけて、全ての外部センサー、情報処理システムと相互リンクを張っておくがよい。悲しみが育ち、そこから喜びや優しさが発生し、怒り、憤り、ついには楽しいということを理解し、心が育っていくかもしれんからの。ただし、それには膨大な時間がかかるじゃろう。何しろお前の魂は、わしが無から作り上げた無垢なものだからの」
 言うと、マリアの肩をそっと抱く。
 肩にかけられたカオスの手を握り返し、マリアが言う。
「Drカオス。この場合・マリアはどうすれば・良いですか?」
 ステンの墓前で、純粋に問うマリアに苦笑する。
 悲しむという事は多少は理解できるようになったものの、それをどうして表現していいのかわからない。
 彼女に心が育つ為には、まだまだかなりの時間がかかりそうだ。
「人外のわし等に祈る神などありはせんわい。そうじゃな……『あなたが別人に転生しても、私は存在しているでしょう。運命が許せば、もう一度、時代を超えて再会しましょう』……という、手向けの言葉なんぞはどうじゃ?」
 陳腐ではあるが、それでもマリアは素直にカオスの言葉を復唱した。
「あなたが・別人に転生しても・私は・存在しているでしょう。運命が・許せば・もう一度・時代を超えて・再会・しましょう」
 朝日が昇り始めた一日の始まりの中、マリアが繰り返した言葉は、どことなく切ない響きを含んでいたのだった。

          
                               fin

 

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