ザ・グレート・展開予測ショー

#まりあん一周年記念『feeling(前編)』


投稿者名:矢塚
投稿日時:(03/ 6/20)

 その年、ヨーロッパは地獄と呼ぶにふさわしい状況にあった。
 山々から森林を大量に伐採した為、住処を失った小動物らが都市部に逃げ込み、それらの運んでくる病原菌と都市部の不衛生な生活環境が重なり、悪夢のような疫病が拡大していた。
 人々は次々と病に倒れ、死の床に就いた。健康な人間の方が少ないものだから、死者の埋葬など追いつくはずもなく、そのままま腐敗してゆく死体からさらに病が広がるといった悪循環。
 懸命に病床の者の手当てを行う者は多くいたが、病の伝播は止まる事を知らず、地獄はまだまだ終わる気配さえ見せてはいない。
 そして、その地獄の中を、老人と少女が疫病などに臆する素振さえ見せずに闊歩していた。
 二人組みが歩く大通りの端々には、看病に、闘病に、果ては世界そのものに疲れきった表情を浮かべた老若男女がうずくまっている。
 その人々の姿に、老人は僅かばかり顔をしかめ、少女は何一つ変わったことなど起きていないように無表情だった。
 二人は大通りから小さな路地に入り込み、入り組んだ家屋の迷路を右に左にしばらく歩くと、荒れ果てたあばら家の前にたどり着く。
 老人は少女に向かい、しばらく外で待つように言いつけると、一人そのあばら家に踏み込んでいった。
 長いようでいて、短くも感じる時が流れていくものの、微動だにしない少女を見る限りでは、このあばら家の前だけが時間から切り離されたようにも見える。
 人形のように佇む少女の前に、いつしか一人の痩せこけた子供が立っていた。
 10歳前後と思しきその子供は薄汚く、男の子か女の子かも分りはしない栄養の少ないあばらの浮いた体に、ぼろをまきつけている。
 少女は哀れみを浮かべるでも、嫌悪感を示すでもなくただじっとその子供を見つめた。
 子供は立っているのもやっとなほどにふらふらしながらも、にっと汚い歯を見せて笑い、両手を少女に差し出した。
 その行動に、普通の人間ならばこの物乞いの子供を早く追っ払う為に、コインの一枚でも投げ捨てているところではあるのだが、この少女の行動は違っていた。
 少女は表情を変える事無く、少しだけ首をかしげる。どことなく、そのかしげた首も誰かから教えられたのを意味を理解せずに真似ているようにも見えた。
「マリアには・その行為の意味が・理解不能です」
 マリアと名乗った無機質な少女は、物欲しそうな子供に問いかける。
 自分に対して、嫌そうな顔をしてコインか小石を投げてくる大人しか知らない子供は、予想外の質問を投げかけられて困惑する。
「何って、見れば分るじゃんよ?」
 歳のわりに、小生意気な物言いに、動じる事無く少女は答えた。
「出来れば説明を・願います。それと・あなたの名前は? 私は・マリアです」
 いかにも場違いな会話を気にする事無く続けるマリアに対し、子供が少しだけ沈黙する。
 もしかして、おいらは頭の可愛そうなお姉ちゃんに声をかけっちゃたのかな? 服も顔もきれーなお姉ちゃんだったから、もしかしたら、たくさんのお金か食べ物を分けてくれるかもと思ったのに。だから、とびきりの笑顔をしたのにな。
 そんなことを思いつつ、それでもまだ心のどこかで今日の食い扶持にありつけるかもしれないと、子供は出来る限り愛想よく答えたのだった。
「へー、すてきな名前だね。おいらはステンっていうんだ。お姉ちゃん、ここの人じゃないでしょう? こんなきれいな服を着てる人なんて、このあたりにはいないもの。もしかしてどこかのお姫さま? だから物乞いなんて見たことないの?」
 子供にしては精一杯のお世辞を言い、抜け目なく最後に一言付け加えたステンはにっと笑い、その後少しだけ咳き込んだ。
 栄養状態がよくない為か、それとも疫病に感染している兆しなのかどちらともいえないが、ぼろからのぞくあばらが咳の度にかわいそうなくらいに上下する。
 もしかすれば、同情を引こうとする演技かもしれないステンの咳に対し、心動いた様子を見せる事無くマリアは答えた。
「ステンは・物乞いを行っていた。マリア・了解しました」
 そのマリアの言葉を最後に、またしばらくの沈黙が二人に流れる。
 マリアをにこにこと見つめているステンは、内心でどきどきしていた。
 この姉ちゃんは物乞いくらいは知っていたけれど、おいらに何かめぐんでくれるかな? しゃべり方はなんか変だけど、悪い人じゃなさそうだし。それにしても、お人形さんのようなきれーな顔だなあ。
「今・ステンの行為が・理解できました。残念ながら・マリアは・持ち合わせがありません。ソーリー・ステン」
 ステンの自分に対する行為が物乞いであり、何か恵んでくれる事を期待していたことを今やっと理解できたといったマリアの言葉は、ステンをひどくがっかりさせた。
「はああ、なんだあ。そんなら、とびっきりの笑顔をするんじゃなかった。これじゃあ、今日のごはんはおあずけかなあ……」
 くたくたとステンはその場にしゃがみこんでしまう。
 やはり、ここしばらくはろくなものを口にしていないのだろう。疲れ果てたように、その場から動こうとしない。
 時折漏れる咳が、演技ではなく本当にどこか病んでいる事を教えてくれる。
 マリアはそのステンをじっと見つめる。
 表情は変化しておらずマリア自身も自覚してはいないだろうが、その瞳には僅かばかりの憐憫が確かに浮かんでいた。
 突如、マリアもステンの横に座り込む。
 彼女の着る漆黒のコートが、恐ろしく不衛生な路上に触れて汚れるのだが、それにかまう様子はない。
 マリアの行動を不思議がりながらも、ステンの頭の中はこれからどこいら辺をうろついて物乞いをしようかという思案に明け暮れていた。
「マリア・お金はありませんが・食べ物ならあります。お金の代わりに・なりますか?」
 言うと、コートのポケットから紙に包まれた固焼きのパンを差し出した。
 マリアの白い手袋のうえにちょこんと乗っている小さなパンを見ると、ステンの目と口はあらん限りに開かれた。
「えっ!? いいの?」
 先ほどまで自ら催促していたにもかかわらず、いざ実物を目にしたステンは恐る恐る尋ねた。
「イエス。マリアに・食事は必要ありません。どうぞ」
 その言葉使いに少々の違和感を覚えながらも、ステンはその固く小さなパンにかぶりつく。
 水気はなく、ぼそぼそとした食感の美味くもないパンだが、ステンはそれを必死になって喉に流し込む。
 唾液もあまり出ないのか口内が乾燥しているようで、噛み砕いたパンを喉から胃に落とし込むのに悪戦苦闘する。
「はあ、おいしかった」
 十分に腹を満たすほど食べたわけではないが、それでも久しぶりにまともな食事をしたことに満足し、薄汚れた顔に笑顔がこぼれた。
 とりあえず当座の死活問題が解消されると、ステンの興味はマリアに移っていった。
 隣に座るマリアが動く気配を見せないので、ステンはあれやこれやとマリアに話しかける。
 どこから来たのか? ここで何をしているのか? どこの生まれの人か? 歳はいくつなのか? 恋人はいるのか?
 多くの質問は、捗々しい答えをえられなかったが、それでも自分の話を真面目に聞いてくれる大人に初めて出会ったという嬉しさに、ステンの話はいつ果てるとも無く続いた。
 自分の生い立ちのこと。きのう食べた野菜クズの晩ご飯のこと。この裏通りの奥に住む大きな野良犬のこと。その野良犬と喧嘩したこと。最後には自分が泣かされてしまったこと。この街で一番怖いおじさんのこと。
 ステンの目をしっかりと受け止めて、マリアはその子のお話を一生懸命に聞いて、頷いている。
 子供のたわいもない話だというような感情は無く、マリアに語りかけられるステンの言葉は全て、彼女にとって重要なものばかりだといわんばかりの真摯さだった。
 きれーなお姉さんが自分のお話を真面目に聞いてくれるという態度に、楽しそうに、嬉しそうにステンの話は弾み、気がつけば日も暮れかけようとしていた。
 微々たる食事だったが、それでも少しだけ力が沸いてきたのかステンは勢い良く立ち上がり、喉がかれるのではないかと思うほどよくしゃべった口から、最後の言葉が名残惜しそうに漏れた。
「――さてと、それじゃおいら行くね。あしたの食べ物も『かくほ』しなくちゃいけないし。物乞いだってこう見えても、忙しいんだ。お姉ちゃん、パンをありがとね! どっかでまた会おうね」
 その言葉に、マリアにも残念そうな雰囲気が漂う。
 こんなにも長時間他人と話したのは、ほとんどはじめての体験だったからだろうか。
 そして、ステンは楽しそうに手を振って、狭苦しい路地の向こうへと消えていった。
「シー・ユー・アゲイン。ステン」
 ステンの痩せこけた背中に、乏しい感情を全てかき集めたようにマリアは言った。
「……ヨーロッパ第二の腕を持つ錬金術師も、病だけには勝てんかのう……」
 マリアがステンを見送った直後、あばら家から出てきたDrカオスがぼやいたのだった。
 マリアは、主人であるDrカオスの呟きに疑問を差し挟む事も無い。
「さて、一つ仕事が増えたわい。おい、マリア。これからここの領主に会いに行くぞ。マップを準備してくれ」
「イエス・Drカオス」
 普段と全く変わることないマリアの様子ではあったのだが、カオスは彼女の異変にいち早く気がついた。
「どうした? 何ぞあったか? マリア」
 その言葉に対し、マリアはこくりと頷くと、先ほどあった奇妙な少年との出会いを余す事無く正確無比に伝えた。
「……そうか」
 マリアの言葉に一言だけカオスは答え、沈黙した。その厳格な顔にはいくらかの苦渋が浮かぶ。
 通常の人間関係ならば気にすることも無く、良いことをしたと彼女を褒めて終わりだったかもしれない。
 しかし、カオスは見逃さない。
 自らが作り上げた人造人間であるマリアに生まれた、ほんの小さな兆しを。
 造物主とその僕を超えた、不可視にして絶対の絆が二人の間には存在していた。
「……そうか、それはなかなか良いことをしたのう」
 一人、何かを思い出すように呟くカオスを、マリアはただじっと静かに見つめているだけだった。

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