ザ・グレート・展開予測ショー

シロい犬とサンポを(2)〜前編〜


投稿者名:志狗
投稿日時:(03/ 6/17)

呼んでも返事がなかった。

俺の耳は遠くはないし、馴染んだお前の声を聞き落とした事など今までなかったような気がする。

翌朝、早々と事務所に足を向けた俺は、美神さん達へ挨拶も後回しにし、とりあえず屋根裏へお前を探しに向かう。
こんなに朝早く事務所に行く事は稀ではあったが初めての事ではなく、その点では何も特別というわけではなかった。

それでも気持ちは高ぶっていた。
昨夜は今日という日への期待と希望で、まるで翌日の遠足に興奮する小学生のような気持ちだった。
その気持ちは朝を迎えても静まるどころか、かえってその存在を主張するかのように高まっていった。

廊下や階段を進む間、松葉杖を突く音が廊下に響く。
しかし耳障りな松葉杖の音も高揚した心には届かず、息を切らせながらも屋根裏部屋に辿り着いた。

その先にあるであろうお前の姿に心躍らせ、緩む口元を自覚する事でさらに気持ちが弾む。
扉を開け放ち、倒れこむように階段を上っていった。



部屋には誰もいなかった。


きちんと整理された空のベッドが二つ、綺麗に等間隔で並んでいる。
屋根裏のひんやりした空気が醸し出す寂しげな雰囲気に、思わず身震いした。

「おーい、どこだー?」

落ち着かない心を振り切るように出した大きめの声が、しんとした屋根裏に響く。
返事はなかった。
帰ってきたのは呼びかけだった。

「横島さん」

聞きつけた声に振り返ると、階段の所にエプロン姿のおキヌちゃんが立っていた。
朝食の準備の途中だったのだろうか。
湿り気を帯び皺の立つエプロンが、おキヌちゃんの日常の姿を感じさせる。
そんなありふれた姿に安堵しつつ、呼びかけに問い返す。

「あいつは?」

あいつ。
そんな簡単な言葉でも、おキヌちゃんは即座に理解してくれたようだった。
表情から受け取れる理解と、なかなか帰ってこない返事に心がざわめく。

「・・・・・・・・・・・・・・シロちゃんは、いません」

やはりどこかへでかけているんだな。
何処か気まずそうなおキヌちゃんの表情を強く意識する事もなく、俺はそんな楽観的な考えを巡らしていた。

「これ・・・・」

そんな考えに一瞬気持ちを奪われていた、いや縋り付いていたのだろうか・・・・俺の前におキヌちゃんの手が、何かを握る手が差し出された。

その手の中にあったのは一枚の紙切れだった。

正体のつかめない紙切れを差し出したまま動かないおキヌちゃんに、少々の違和感を感じながらそれを受け取る。
松葉杖を両脇に挟み体を預けると、綺麗に折りたたまれたその紙をゆっくりと広げた。




小さな、丁寧な字。

シンプルな言葉。

お前の名前。



それらが示す意味と、現在突きつけられている事実。
あまりにも簡単に理解できる事実に、あまりにも期待を裏切る事実に・・・上手くそれを受け止められない。

「朝食をシロちゃんと一緒に作ろうと思って、誘いに行ったんです」

ゆっくりと。その短い手紙を何度も読み直す俺の耳に、おキヌちゃんの声がどこか遠く響いていた。

「シロちゃんって、結構お料理するの好きみたいだったし。横島さんのために料理を作ったりすれば、気も紛れるんじゃないかと思って・・・」

ゆっくりと言を進めるおキヌちゃんの言葉の中にはお前への優しさ、俺への気遣い、色々な気持ちが読み取れる。

「そうしたら、それが置いてあったんです」

おキヌちゃんの言葉を俺はただ聞き続け、それに込められた感情をただただ汲み取るだけだった。




先ほどまでの意気込んだ心が行き場を失い、体の中を彷徨うのを感じる。

心にぽっかり穴が開いた感じがした。
虚脱感を埋めるようにしてごくりと喉を鳴らす。
もちろんそんなことで開いてしまった穴が満たされる訳もなく、その行為はさらに空虚な孤独感を引き立たせる事となった。






「―――さん、――島さん、横島さん?」

はっとする。
彷徨う意識を眼前の光景へと戻すと、覗き込むようなおキヌちゃんの顔があった。

「大丈夫ですか?」
「あ・・ああ、なんともないよ」

間近にあったおキヌちゃんの顔に少しどぎまぎしながらも、声を絞り出す。

「あ、そういえば・・・・ちょっと朝食作るのが遅れちゃってこれからなんですけど、一緒に食べませんか?」
「え?そんなわざわざ・・・悪いって」

言いながら、朝食もろくに食べずにここへ来た事を、頭と、そして空腹に唸る腹とで自覚した。
反射的に口から漏れ出したのは否定の言葉だったが、正直に反応する腹を咄嗟に手で押さえる。
そんな俺の動作に口元に手をやり、おキヌちゃんは普段どおりの笑みを零した。

「大丈夫ですよ。実は・・・・間違えて多めに作っちゃったんです」
「?」

いつも事務所四人の食事を作っている、家事のエキスパートのおキヌちゃんが犯した珍しいミスに疑問符を浮べる。
なんでまた・・・・・、そう問いかけようと唇を僅かに開いた時、おキヌちゃんの口から滑り出した言葉に先を取られた。

「シロちゃんの分。居ないって分かってたのに、何だか四人分作るのが癖になっちゃってて・・・・」
「あ・・・・」

乾いた笑いを浮べるおキヌちゃんの言葉に、半開きになった口から思わず声が漏れる。
この突然の出来事で、戸惑いを隠し切れないのが自分だけではない事に今更ながら気付いた。

勿論向けられた気持ちを無下にする事などもできず、俺は空腹感にもあっさり白旗を揚げる。

「じゃあ、ごちそうになるよ」
「ええ、どうぞ」

今できる最高の笑みを浮べて了承の意思を伝えると、おキヌちゃんはそれ以上の満面の笑みで返してくれた。

「シロちゃん・・・・きっとすぐに帰ってきますよ」

こちらを元気付けるような優しく明るい笑みを残し、おキヌちゃんは軽い足音と共に台所へと向かっていった。


その後姿に小さく「ありがとう」と告げる。

自然に口より滑り出たその言葉からふと感じた少しの安らぎと少しの切なさで、心の穴を少しだけ埋める。
心の底に堆積した気持ちを確認するように胸を撫で下ろすと、松葉杖を屋根裏の出口へと傾けた。







―――――――――――食堂―――――――――――


大きなテーブルを四人で囲んだ静かな朝食だった。

少しの談笑と、平凡な・・それでも十分に美味しい朝食に心が和む。
お前用の朝食は本当に肉ばかりで、思わず苦笑した。
普段はなかなか食べれない豪勢な食事だったが、そんな印象よりもお前の生活の一部を体験したほうの事が心に残った。


しばらくの後、珍しい食事の光景が幕を閉じ、食事に統一された皆の動きが各々の動きにまた分かれていく。
美神さんとタマモは腹ごなしに、おキヌちゃんは食事の片付けに。

そして俺はそんな皆の動きをぼうっと眺めていた。


静かだ。

決して音が無い訳じゃない、騒がしい声も大きな物音だってちゃんとある。
でもどこか静かだ。

生じる音達がどこか空回りをしている。
耳に届いても心に届かない。鼓膜を震わせても心が震えない。

まるで音だけが此処とは違うずれた世界に行ってしまっているような、そんな感覚。


「これから少し静かになっちゃうかもな」

俺の懸念の呟きに答える者はいなかった。

沈黙は肯定なのだろうか否定なのだろうか。
否定したい肯定。
そんな曖昧な気持ちが思い浮かぶ。
とても意味を持てない様な言葉ではあったが、どこか相応しい気がした。


タマモが不意に呟いた。まるで先ほどの言葉に対する返答のように。

「つまんない」







治療のためのおキヌちゃんのヒーリングも受けた俺は、腹ごなしの退屈な時間をまた居間で過ごす。

上着をソファーに掛け、松葉杖を揃えて立て掛ける。
昨日と同じ手順を踏み、同じように横になる。


昨日と違う事はたった一つ。


目の前にあの顔がない。
あの瞳がない。
感情を押し込めつつも、しっかりと気持ちの伝わる瞳。
俺を見つめる瞳が。


大きな大きな、たった一つの違い。


不意の後悔が胸を打つ。
昨日、どうして部屋に籠ったお前の所に行かなかったのだろう。

何もできないなんて思ったことが、ひどく悔しい。

お前を元気付ける。
意味のある行動をする事に縛られていた。

ただお前の頭を撫でてやればよかった。
意味のない行動だとしても、お前との時間を持てばよかった。



心に生まれた後悔が体までも蝕み始める。

軋む様な痺れが、背中の辺りからゆっくりと広がっていく。
首に、胸に、腹に・・・上半身を満ちた痺れは、ゆっくりと残りの半身へと進行を始めた。
腿に、膝に、そして折れた足に。


ずきり


窮屈なギプスの中に痛みが満ちる。
いや、実際に感じたのはきっと痛みではなかった。

もどかしい、痒みの様な感覚。
遅すぎる後悔と、早すぎる不安。

動かぬ足が、お前と共に歩ける足を、こんな事になってしまった原因を・・・多くは自分自身に対し悔恨の情を抱く。
昨日の事を、お前に何もしてやらなかった事を。今日の事を、お前がいない事を堪らなく不安に思う。


そんな気持ちが痺れに乗り、足へと送られていった。

耐え切れぬ感情の疼き、それに伴なう体のの痛みに小さく呻く。
耐える必要の無い痛みに耐える事で、どこか心を紛らわそうとしている事に気付く。

自虐的な気分を振り切ろうと、痺れる体に無理やり力を込め、持ち上がらせる。


どこか別の場所で休もう。

そう考え、昨日の名残を惜しみながらも居間を後にした。

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