ザ・グレート・展開予測ショー

父の詫び状


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:(03/ 6/14)






『――まもなく、当機――成田発、ブラジリア、ブラジル・国際空港行き、第14便は、離陸いたします――安全の為、シートベルトを締めて、ご着席下さいませ――Attention please,attention please… This plane will soon leave from Tokyo NARITA,to BRAZEL――』














   ★   ☆   ★   ☆   ★



 シートは、酷く硬く感じられた。まるで、彼の心中をそのまま表したかのように。
 機内。それでも騒がしい。その中は情報の坩堝であった。――恋人達が愛を囁き交わし、家族が中睦まじく談笑する――その他、諸々の情報たち。騒々しくも、何処か楽しい。

 ひとつ、ため息をついた。脳裏にキリキリと走る痛みを頭を振る事で誤魔化し、他人からの奇異の視線は、顔を背ける事で誤魔化す。

(――慣れてないな……)

 漏れたのは、以外にも苦笑だった。人付き合いの悪さは別段今に始まった事ではない。
 そして、再びのため息。今度は先程よりも軽く。ともすれば外へと飛びそうになる意識を、懸命に自己の中へと繋ぎ止める。――それは、彼が長年の経験から培ってきた自己防御法であった。


 ――入ってくる事を押さえる事が出来ないのならば、意識を向けないようにするしかない。


 ……そんな、単純な発想から出た事であった。精神修養として『禅』などについて書かれた書物も数冊読んだし、実際、それなりの効果はあげている。――無論、以前に比べれば少しはマシ――といった程度の事ではあるが。
 窓の外には、空港の建物が見えた。
 思念はそこにもある。――むしろ、機内よりも強く。
 去り難い思い――それは、誰しもが持つものだ。それが、肉親であったり、恋人であったりすれば尚更の事――
 無論のこと、それは彼自身にも言える――

(……郷愁、か……)

 自分には無縁のものであると思ってはいた。
 既に日本を離れて数十年。南米の研究室――そこはそこでの自分の『家』がある。――むしろ、こちらの方が自分の本当の『家』に相応しいのかも知れない――そんな事を、ずっと思っていた。


 だが――郷愁は拭いがたい。哀別の思いは拭いがたい。

(老いたな……僕も老いた――)

 若い頃はそうではなかった…… 人を倦み、人を避け、妻と別れ、子と別れ――自分は独りを選んだ。独りを選べるだけの壮気があった……

 そして、今。
 自分はここを、去り難く思っている……
 久しぶりに、妻に会った所為なのかも知れない。ここ五年程は森に接した貧村で妻と共に暮らしていたのだが、数ヶ月前、妻は帰国した。――この国へ。自分の神経が孤独と郷愁に耐えられなくなっているのは、或いは妻が帰った事に原因があるのかも知れない。


 ――弱くなった――とは、思わない。


(むしろ……強くなったと言えるのかも知れないな――)

 慣れ。もしくは、狎れ。

 人を見る事に疲れ、聞く事に疲れ、知る事に疲れて、自分は逃げた。
 そして、人を見る事に慣れ、効く事に慣れ、知る事に慣れて、自分はここに戻ってこようとしている。――数多くの冒しがたい絆を冒し、過ちを犯した。最早戻ろうにも戻れない、ここに。

(――許しては……くれないだろうな……)

 苦笑。また苦笑。
 最早、これしか自分に出来る事はない。壊れてしまった――作りあげてゆく事が出来なかった絆を、今更作ろうと思ってもどうする事も出来ない。

 絆。あまりにも小さな、絆。
 欺いてきた娘に対する、後悔と慙愧。
 そして悔恨。自らに対する憤り。五年の永きに渡り彼は娘を欺き、娘もまた、彼に対しては最早親しみを見せる事はなくなっていた。一目会って謝りたくとも、既に娘は彼の為に時間を割くことすら出来なくなっていた……

 今も、まだ。
 妻と、初めて会う自らの次女と会ったときも。――娘――彼の初めての子供は、彼と会おうとはしなかった。
 気持ちは分かる。娘も既に大人になり、心はむしろ意固地になる。一生涯恨まれても当然な事を、自分はした。敢えて妻の『葬式』の真実を語らず、その後はすぐにここを発った。――母を失った、娘を残して。


 そのときは、自分は露見を恐れていた。娘に詰め寄られれば、隠しとおす自信はなかった。
 ――それが為に、自分は娘から逃げた。世話を旧知の神父に頼み、娘に対しては、全てを黙したまま。神父は自分を詰ったが、それでも自分は語らなかった。



 救いようのない、臆病者――



(つくづく……僕は臆病者だな……)




 鋼のメットに包まれた顔を僅かにあげ、美神公彦はしかし、表情を変えなかった。










   ★   ☆   ★   ☆   ★










 親子の姿が在る。

 仲睦まじい親子だ。三人家族だった。――父。――母。――そして――娘。
 何処かの野原。家族はピクニックをしていた。その風景は公彦には見覚えがない。見覚えがある事など、殆どの場合あり得ない……
 小鳥の為に撒くパンくず。アニメのキャラクターがプリントされたビニールシート。白いブラウス。牛の形をしたリュックサック。三段になった重箱。笑顔。タコの形に切られたウインナ―。笑顔。携帯灰皿に収められる煙草の吸殻。笑顔。笑顔。娘をたしなめる母親。笑顔。笑顔。笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔エガオエガオエガオ……………………



 無限にループする心象風景。
 集中が乱れた六感が拾ってしまう、周囲の人物の幸福。不幸。諸々の感情――
 三人の親子連れの映像――恐らく、左後ろに座っている親子連れであろう――は、嫌が応にも公彦の精神を憂鬱な方向へと誘導してゆく。
 不幸ではない……幸福なのではないか。――そのような事を思ってみても、現実の思いは変わらない。現実の感情は変わらない。自分こそが理不尽であると解ってはいるのだが――理不尽な思いを堪えきれない。


(――堪えろ……!)

 よくある事だった。
 そして、この感情も数日に一度は経験しているものであった。――即ち怒り。悲しみ。その他諸々の、娘に対する思い。


「思えば――父親らしい事は何もしてやれなかったな……」

 独り言。
 隣で寝ていた若者が、その声に驚いてあたりを見回していたが、そのこともまた無視する。隣に座っている変な親父が発した声である事に気付いた若者の感情もまた、距離が近いだけにダイレクトに脳裏に侵入してくる。益体もない罵詈雑言であった。――他愛もない。
 ――その中に、ひとつ。


『父親ぁ……? こんなのと結婚する女がいんのか? 頭オカシイんじゃないのかぁ?』


 その『言葉』。自分では、堪えられるとは思わなかった。
 他人など、心の中では何を考えているのか解らない。――そんな事は百も承知であった。そして、若い頃はその内心の『言葉』に何度相手に殴りかかったか解らない。――結果、こちらが狂人扱いされるだけだという事も承知している。

 それでも、堪えられるとは思わなかった。

 先ほど別れたばかりの、妻――美智恵の姿が脳裏に浮かぶ。我が妻ながら、彼女は歳月が避けて通っているとしか思えないほど美しかった。令子も――きっと、昔の彼女によく似た美しい娘に成長している事だろう……


(…………令子――)


 結局は、その思いがぎりぎりで公彦の理性を繋ぎ止めてくれた。
 歯噛みし、若者から顔を叛けた。――五時一分。滑走を始めた飛行機が、自然窓の外へ向いた視界を後方へと押し流してゆく。

 日本の、大地が……




























 ――ガクンッ!!





























 揺れた。
















「――な!?」



 身体がシートに押し付けられ、直ぐにシートベルトに締め付けられる。胃を圧迫されて吐き気を覚えるが、それ以上に公彦の意識を奪っていたモノが在った――





 デジャ・ヴュ。





 この体験は二度目になる。



(――美智恵!?)


 滑走路に回りこむ、真っ赤なシェルヴィー・コブラ。追い慕う高速警察。車内に見える、二人分の人影―― ……違う、あれは――

 そして――――

「――令子…………!?」

 車中の人影――その片方が、何かを叫んだ。――絶叫したと言っていい。分厚い防圧ガラスのウインドウ越しに聞こえるはずもないが…………
























『…………今度遊びに行くわ……! ――じゃね!』


























 ――確かに……聞こえた。





 回りの人間には聞こえなかったかも知れない。困惑は、思念を通じて確かに伝わってくる。――が、自分にだけは……確かに聞こえた。


(神父に――感謝……かな)


 柄にもなく十字を切りながら、美神公彦は密かに決心していた。
 今度帰るときは――――本当に、『還る』事にしよう……と。



 それが……やっと伝わった一本の糸を通して父が贈る、最初で最後の娘への詫び状になるであろう事を確信しながら……



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