ザ・グレート・展開予測ショー

カラー・オブ・ザ・ハート


投稿者名:矢塚
投稿日時:(03/ 5/15)


 横島忠夫は逃走する。
 ただひたすら路地裏から路地裏に、ゴミバケツを蹴っ飛ばし、野良猫に爪を立てられながらも逃げつづける。
 ねばっこい汗をぬぐう事無く、少ない体力を振り絞り、この訳の分からない終わりの見えない逃走劇を続けていた。
「はぁ、ひぃ、なんで……なんで……美神さん……」
 鼻と口から煌く液体を流しつつ、路地の角から大通りを覗き込む。
 そろそろ夕暮れ時ともなり、会社帰りのサラリーマンや買い物帰りのおばちゃん等が多数往来している。
 横島の鋭い目つきが、通を歩く人々を見回す。
 その中に美神の姿が無いのを確認すると、ほっと一息。
 少しだけ緊張感が解きほぐれると、この逃走劇の発端が彼の頭をよぎり、じわりと情けなくなってくる。
「……美神さん……」
 捨てられた子猫のように情けない声を出し、横島はその場にしゃがみ込んでしまった。

 いつもどおりの事務所の風景。
 いつもと少しだけ違っていたのは、おキヌが買い物に出ていて、今この場には美神と横島しかいないということ。
 仕事前の緊張感をやわらげる為の、たわいもない会話が続く。
 そして、それは横島の口から、なんの気負いも無く唐突に発せられた。
「美神さん。俺は、美神さんのことが好きです」
 緊張感も、相手が自分を拒絶するかもしれないという不安も何も無い、ごく自然な、さも当たり前のように告げられた言葉。
 横島の突然の告白に美神の顔は一瞬で上気し、しばしの無言が続いてしまう。
 どちらかが話しかけるでもないその沈黙を、一本の電話が救い、少しだけ安堵の表情を浮かべた美神がそれにでた。
 電話を切った美神はその後、デスクから取り出した神通棍を突然、横島に向けたのだった。
 それは横島にとっては予想し得ない展開であり、自分はそこまで美神から嫌われていたのかと呆然自失する。
 それでは、今まで美神が普通に接していたのは表面上だけでのことだったのか?
 神通棍を向けた彼女の目は真剣そのものだったし、殺気もあった。
 短い付き合いではない、それぐらい彼にもわかる。
 確実に殺されると思った横島は、情けなくも事務所を逃げ出していた。
 逃げ出す瞬間に見た美神の目には、何故か少しだけ落胆の色が浮かんでいた気がしないでもない横島だったが、あの殺気の前では幻覚にしか思えない。
 疲れ果てた体と疲れ果てた精神は、一度しゃがみこんだ横島を再び立ち上がらせることが無く、その陰鬱な考えに沈んでいくのを引き止めることも出来なかった。
「……美神さん……俺のこと、そんなに嫌いなんすか……」
 路地裏にしゃがんだまま、膝をかかえてもう一度情けない声で、横島は呟いた。
 どのくらいそうしていたのか、いつの間にか横島はそのまま眠りこけていた。
 ふと、目の前に人の気配を察した横島が見上げると、そこには美神がいた。
 心臓が飛び出しそうになるほど驚くが、彼女の顔を見た横島は動けない。
 彼が見上げた美神の顔は、感情が何も浮かんでいなかったから。
「み、美神さん」
 それでも、勇気を振り絞り横島は声を出した。
「お、俺は、あの……その……」
 おずおずとしたその彼に、美神は何も答えない。
 その無言の美神に対して、横島は懸命に続けた。
「その、俺が事務所で言ったことで怒ってるんなら、謝ります。でも、でも、あの言葉は決して冗談で言ったわけじゃなくて……本当に心からそう思ってて、なんでかしんないけど、その時は、今言わなきゃいけない気がして……」
 その言葉に、はじめて美神が反応する。落胆からくる怒りを少しだけ滲ませて。
「――そんな事は、この際どうでもいいのよ」
 美神の顔を見れば、どうでもいい事でないのは明らかだが、今の横島にはそれに気づく余裕は無く、自分の告白を一蹴した発言にショックを受けていた。
「そんな、どうでもいいなんて。そんな……そりゃ、俺は役立たずで落ちこぼれだけど、それでも……そんな……」
 言いながら、自分があまりにも情けなくなり、横島はぼろぼろと涙をこぼしてしまう。
 その姿に美神が困惑し、真剣に問いただす。
「ねぇ、もしかしてあんた。自分がなんなのか、本当にわかってないの?」
 その問いをはき違え、少しだけ怒った横島が必死になって言い返す。
「美神さんにとっての俺は丁稚なんだから、うぬぼれるなって事ですか? そりゃ、最初はただの荷物持ちだったけど、それなりに役に立ってたし、今じゃけっこう実力もつけてると思ってますよ!」
 言うと右手に霊力を集中し、美神に見せつけるように、その力の象徴を出そうとするが、しかし……。
「あれ!? なんで? なんで栄光の手が出ないんだ!! 文珠も! ソーサーさえも!?」
 驚愕、絶望といった感情が彼を襲い、心臓の鼓動がはやくなり脂汗が滴った。
 何度も何度も繰り返し集中し、栄光の手や、もっと簡単なソーサーを出そうとするが駄目だった。
 どう足掻いても、出ないのだ。
 そして、横島は自嘲気味に、震える声で美神に言った。
「そうか……そういうことだったんだ。ひでえや、知ってたんなら教えてくれればいいのに。これじゃあ俺、ただの間抜けだよ。……本当に俺は、役立たずになってたんだ。……そりゃ、美神さんも怒るわな……はは」
 一介の高校生から、曲がりなりにもスイーパー助手にのし上ったことは、同年の少年達より優れているという優越感に浸ることが出来た。犯罪的に安い時給に文句を言いながらも、それでもめげることなく美神の元で働いていたのには、そのような理由も一部あったからだろう。
 コンプレックスの強い少年が唯一、自他共に認める、人より優れた部分。
 だがしかし、その力を失い、自分がまた只の高校生に戻ってしまったという現実は、横島には想像以上にショックであり、本当の落ちこぼれになってしまったという強烈な劣等感だけを彼にあたえた。
 何故、力が失せてしまったという理由よりも、自分が唯一誇れるものを失ってしまったという事実が彼を打ちのめす。  
 無防備な子供のように泣く横島の姿に、美神は全てを悟り、本当に痛ましそうな声をかけた。
「そう。そういうことだったの。今やっと、わかったわ。――『横島クン』今のあなたは落ちこぼれなんかじゃないわ。ただ自分が何なのか、その本質を知らなかっただけ。でも、だからといって、あなたをこのままにはしておけない。GS美神は、例え何があろうとも――」
 それ以上、言葉の続かない美神はやさしく、痛ましく、そっと横島の頭をその手に抱えた。
 彼女の香りと体温に、泣きじゃくっていた横島が静かになる。
 美神はその姿に気の毒だとは思いつつも、何故か少しだけ、横島の頭を抱くその手に幸せを感じた。
「さようなら『横島クン』」
 一言だけ、耳元でささやいた美神は、取り出した小瓶の液体を横島の頭に振り掛けた。
「あ……」
 液体のかかった頭部から、横島が溶けていく。
 青、赤、橙、茶、緑、そのほかたくさん。
 さまざまな色の混じった、きれいな絵の具。
 それはモザイクのように、薄汚れたアスファルトに広がっていき、同調するように横島の意識も拡散していった。
 残りわずかな意識が消え去ろうとするとき、美神の後ろに見覚えのある女性が立っているのに横島は気づく。
 その女性を見たとき、彼には全てが理解できた。
「――暮井先生? ……そうだったのか……。俺は、ドッペルゲンガーだったんだ……。いつの間にか、忘れていた。いや、生まれたはじめから本人だと思い込んでいた? ……本物ではない偽者。それが俺。……美神さんが怒ったのも当然か。……でも、でもね、美神さん。…………『偽者の言葉が真実を語らないとは、限らない』ッすよ…………」 
 彼の最後の言葉は果たして、美神に届いていたのかわからない。
 不意に、美神の目から一粒だけ涙がこぼれ、溶けきって交じり合っている絵の具の上に落ちた。
 その涙が、小さな小さなにじみをつくり、流れた絵の具と交じり合う。
 美神の喜びとも悲しみともとれる涙と、その表情は、背後に立つ暮井に見えてはいない。
「ごめんなさい、美神さん。私、どうしても、もう一度自分の力を試したくて、厄珍さんに無理を言って……それでまた、失敗作で迷惑をかけてしまって」
 暮井のさほど悪いとも思っていないような謝罪に、美神がかっとして何か言おうとするが、足元の交じり合った絵の具を見ると、不思議と気持ちが落ち着いた。
「……いいわ、とにかく終わったし。電話があった時には、あんたを殺してやろうと思ったけどね。――それと、あんたの描いた『横島クン』は、失敗作なんかじゃないわ」
「失敗作じゃないって、どうして?」
 よくわからないといった表情の暮井が、聞き返す。
 その彼女に、美神は振り返り、嬉しさと悲しさの同居する表情を浮かべながらも、出来うる限り平静を装った口調で言った。
「――だって、あの『横島クン』は、『本物の内面をちゃんと表現出来ていた』もの。――誰が何と言おうと、私には、そう思えたから――」
 美神の最後の言葉はどこか嬉しそうだったが、その声は小さく、彼女の口の中に溶けていった。

                      
                            Fin

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