ザ・グレート・展開予測ショー

クロノスゲイト! 後編の7


投稿者名:我乱堂
投稿日時:(03/ 4/14)

 その禿……もとい、顔には見覚えがあった。
 美神美智恵は前後の状況と今の時代、そしてその姿を脳に組み込んだデータと照らし合わせ、一つの結論を出した。それは容易に認められない――しかし、そうとしか思えない結論だった。
 もしやこの人物は。
 この老人は……。

「ヴィンチ村の、レオナルド……レオナルド・ダ・ヴィンチ」

 喉から出した声は、掠れていた。
(……って、そんな、確かにルネッサンスのイタリアといえば彼だけど、どうしてこの人がここに……ドクター・カオスの実験室にいるのよ……!)
 まさか――。
「久しいな、レオナルド。ヴァレンティーノ公爵の館で会って以来か?」
 レオナルド老人に対して、カオスは楽しげに聞いた。揶揄するようであった。
「左様。あの時は彼の公爵も御健在でありましたな」
 老人はしみじみとしたように頷く。
 美智恵は唾を飲み込んだ。
(ヴァレンティーノ公爵……やっぱり、そういうこと……)
 
 ――レオナルド・ダ・ヴィンチ。

“万能の人”――。
 絵画、彫刻などの芸術は元より、図学・工学・力学・解剖学・植物学・水利学・物理・天文・地理・地質学の諸科学、さらには機械工学、土木工学、造兵学に到るまで、凄まじいまでの多芸多才の業績を残したという、ルネッサンスにおける最大最高の天才。
 美智恵も、あるいは機会があれば会ってみたいとは思っていたのだが……。
「――知り合いなの?」
「昔、ちょっとな」
 カオスの言葉は素っ気なかった。
 まあ、彼にしてみれば同時代に生きた人間の一人であって、美智恵みたいに歴史上の有名人を相手にしているという緊張などはまったくないのだ。
 むしろ、不思議そうに美智恵に聞き返した。
「何を堅くなっておる?――わたしの方が天才だぞ」
「そりゃ……あなたほどの非常識な能力はないでしょうけど、歴史上ではレオナルド・ダ・ヴィンチの方がずっと有名なの!」
「……世の中というのは、不条理だな……」
 幾分か気落ちしたかのように、肩をすくめて見せる。
「――けど、どうしてレオナルドさんがここにいるわけ?」
 ここは、ドクター・カオスの実験室。
 人ならぬ者が息吹をあげ、古代の密儀が遊戯のごとくなされる異界空間。
「……そうか。侵入者ってこの人なわけね」
 美智恵の脳裏にモナ・リザの微笑みを始めとした、幾つもの絵画のイメージが浮かび、消えた。
「あの『殺人荷馬車』を見たときから、想像はついておったがな。――『聖堂騎士団』と手を組みおったか」
「……さすがに察しが早い」
「あんな馬鹿なオモチャを考案し、作ろうなんて人間は、今の世の中ではわたしとお前くらいのものだ」
 果たして褒めているのかけなしているのか。
 言ったカオスは口元を歪め、言われたレオナルドもまた、にっと口の端を上げた。
(なんてこと……! あのレオナルド・ダ・ヴィンチがカオスの知り合いで、こともあろうに『聖堂騎士団』の仲間だったなんて……)
 ここがルネッサンスのローマであることを考えれば、歴史上の偉人に会うことは半ば必然であろうが、それにしてもこの組み合わせは意外という他はない。
「……で、目的はなんだ? 『エメラルド・タブレット』のことならとうに忘れたぞ」
「まあ、それについては後でよろしいでしょう。時間も押していますしな」
「――奴等が来る前にことをすませるつもりだな」
「あと、マリア嬢」
 カオスは横たわるマリアを一瞥してから、またレオナルドへと向き直った。
「話を盗み聞いておったか」
「……非常に興味深い話でしたわい。不死と並ぶもう一つの秘法……さすがはドクター・カオス。まだそのようなものを隠し持っていたとは」
「『エメラルド・タブレット』同様に封印したさ。原理の解らん秘儀なぞ、危険極まりないからな」
「まあ、研究は私が受け継ぎましょう」
「――できるか? 世界の根幹に関わる危険なことだぞ」
「“師匠を超えられぬ弟子はヤクザ者だ”というのが、私の持論でしてな」
「なるほど……」
 カオスは苦笑したようだった。
「ならば試してみよう!」
 そうして右手を上げた。それに応じるかのように、研究室から全ての光が消えた。いや、それは正確な認識ではあるまい。美智恵にはカオスの姿もレオナルドの姿もはっきりと見える。自分の姿も。それ以外の全てが黒となっていた。もしも闇に閉ざされたのだとしたら、互いの姿が解るはずはないのだ。
(異界空間を自由に操作できる?)
 この男ならば容易なことなのだろう。
 ドクター・カオスには。
「何をするつもり――って、何よこれ?」
 自分がいつの間にかカオスを見下ろしていると気づき、美智恵は愕然とした。一歩も動いた覚えはないのに、それぞれの位置関係が変わっている――いや、流動しているということに!
(足の下には確かに床があるのに……)
 しかし、実際としては、三人はこの黒い世界における漂流者であった。
 遠ざかるカオスの姿へと美智恵は手を伸ばそうとしたが、届かない。ついさっきまで五メートルと離れていなかったはずの姿は、遥かなる視線の彼方にいってしまっていた。

「“クロウ・ウェーアッハの胃袋”か」

 レオナルドの声は、美智恵の頭上からした。
 笑っているようであった。
「ケルトの魔神と恐れられる闇の化身――その正体は、ドルイドによって召喚される黒い空間だと云う」
「そうだ。この空間では、距離感も時間感覚も、全てがでたらめになる。……それだけの魔術だ」
(それだけって……大事じゃない)
 美智恵はことの重大さを知り、戦慄した。
 こんなでたらめに位置関係が動き続ける場所では、人間の運動能力、感覚はまるであてにならない。自分がどこにいるのかをはっきりとさせなければ何もできないのだ。そしてそれは、魔族や神族であっても同様であろう。
「迂闊に動けない……動かなくても、どんどん状況はおかしくなっていく……何分たったかも解らなくなる……これは、厄介だわ」
「まったくだ」
 同意の声が真横から聞こえても、彼女は驚かなかった。豆粒ほどに遠ざかっていたカオスの姿は気づいたら後ろ三メートルの位置にあるし、自分の真正面で、逆さにレオナルドは立っている。
「古くはケルトの大神ダーザをして死に至らしめたという秘術――それをまさか、味方諸共巻き込んで使うとは」
「あ」
「……………………」
「……………………」

 ――しばらくお待ちください――

「ちょっとぉ! もしかして私のことを忘れてたんじゃないでしょうねえ!?」
「あ」などと言ったのが誰あろうカオスでなければ、美智恵ももう少し落ち着いていられたかも知れない。
 しかし彼女の希望も虚しく、カオスは「あー……」とか頬をぽりぽりと掻きながらあさっての方を向いている。位置関係も遠くなっていくばかりだ。
「幾らなんでも、私はこんなことで死にたくなんかないわよ!?」
「……まあ、直に解けるだろうよ」
 無責任とも言える発言に激昂する彼女だが、「何よそれ!」と口を開いて叫ぶ前に。
「その通りじゃ」
 とレオナルドが言った。
「神話時代ならまだしも、今となっては黴の生えた魔法じゃ。――復古主義(ルネッサンス)は、こと魔術に関してはよいとは限らんて」
「ほう。ならば見せてみろ」
「では」
 歴史に名を残す大碩学は何をしたのか。
 何もしなかった。
 ただ瞼を伏せた。
 その瞬間、彼の頭が輝いた。
 光を反射してテカったのではなく、その髪のなくなって久しい頭皮が光を発したのだ。
 白い光芒が黒い世界を駆逐――いや、埋め尽くしていく。
 美智恵はそれでも咄嗟に手で顔を覆って目を守れた。
 直視したならば、瞳は役に立たなくなったかも知れない。
「――闇には光」
 そんな声を聞いたような気がした。
 そして。
「ほう」
 と感嘆したかのようなカオスの声を聞いて、美智恵は手をどけた。
 世界は元に――黒に呑まれる前の状態に戻っている。
「《クラウ・ソラスの額》とでも名づけたものか」
 それは、一度は魔竜クロウ・ウェーアッハを退けたとされる光の魔剣の名だ。
「額? 随分と広い額もあったものだな」
 苦笑交じりに言うカオスに、レオナルドは初めて嫌そうな顔をしてみせた。
 そして。
「今のでマリアが目覚めるまでの時間稼ぎをするつもりであったのでしょうがな。せいぜいが三分ほど」
「…………ふん。見抜いておったか」
「それでは、今度はこちらから――」
 老人は、懐に手を入れた。


 つづく。

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