ザ・グレート・展開予測ショー

微妙な三角関係(後編)


投稿者名:tea
投稿日時:(03/ 3/ 8)


 なぜ、こんなことになってしまったのだろう?


 妻子の手を振りほどき、脱サラを決意したあの日。清水の舞台から飛び降りる勢いで、借用書に判を押したあの日。お祝いの造花を店頭に飾り、陽光の元で第二の人生のスタートを切った今日この日。
 泡沫のように、幾つもの情景が浮かんでは消えていく。人はそれを走馬灯と呼ぶのだが、当人がそれに気付いているかは定かでない。
 本日新規開店の中華飯店、「香港」の主である高井(三十五歳既婚。十歳の娘あり)は、一言で言えば燃え尽きていた。誰かが背中を叩けば、崩れた砂糖菓子のように跡形無く瓦解するほどに。彼の身体からは魂と色彩が抜け、ついでに髪も抜けていた。

「夢だ・・・これは夢なんだ。本当の俺はあったかい布団の中で・・・」

 夢遊病者の如き虚ろな眼差しで、へらへらと笑っている様ははっきりいって恐い。しかも右手には調理用の出刃包丁を握っているのだから、これで街頭にでも出ようものなら三秒で留置場送りなのは想像に難くなかった。
 だが、誰もそんな彼を止めようとしなかった。110にダイヤルする者もいなかった。なぜなら、彼の人格崩壊に帰すべき光景が、目の前に広がっていたからである。







「しつっ・・・こいなテメエも。いい加減ギブアップしたらどうだ?」
「それ・・・は、こっちの台詞でござる。忍耐の強さで、武士に勝てると思うでござるか?」

 お互いを挑発し合う雪之丞とシロの傍らには、蒸篭の如き怒涛の勢いで丼が重なっていた。フードファイトの舞台のような、見ているだけで胸焼けを起こしそうな、光景である。
 二人とも、既に息も絶え絶えといった様子で熱い吐息を吐き続けている。顔からは絶え間なく汗と涙と洟を流しながらも、共にその目は死んでいなかった。
 勝負ごとに臨むに際し、最も大事なのは諦めないということと、昂揚した気概を冷まさないことだ。要するに「何で俺こんな事やってんだろ?」と思った時点で、既に勝敗は決したも同然なのである。そういった意味では、両者一歩も譲らず、といった言葉が相応しくも思えた。

「くく・・・燃える!燃えるぜ!誇りの為に骨身を削り、その身を熱き闘いの場に投じる俺の姿!美しい・・・何て美しいんだ!!」

 丼を両手で握ったまま、雄雄しく言い放つ雪之丞。彼にとって闘いのフィールドとは、己が闘争意欲を掻き立て、かつ最も光り輝ける場所なのである。そう、例えそこが街角の飯屋であろうとも、彼にとっては今自分のいる場所こそが闘技場なのだ。
 凱歌のように雄叫びを上げる雪之丞の姿。どこぞの熱血スポ根よろしく、真正面からそれを受け止めるシロ。そして、それを見たタマモの目尻に、熱いものが込み上げてきた。彼女は目頭を抑えながら、ぽつりと呟いた。

「何で私、こんなトコにいるんだろう・・・」

 タマモの思いのたけは、全てこの一言に集約されていた。
 トリップする人間というのは、傍から見ていれば文字通り「傍ら痛き」代物である。想像すれば容易いと思うが、丼を掲揚旗のように掲げて「何て美しいんだ俺は!!」などと叫んでいる男なぞ、街頭に立てば五秒で精神病院である。
 そしてそんな男と真っ向から向き合い、熱い火花を飛び散らせている友の姿。親の仇(=犬飼)を見るかのような、殺気をも帯びた真剣極まりない瞳。
 虚脱感を通り越し、居ること自体に空虚感を感じそうな空間である。幼児番組のギャラリーを命じられているかのように、舞台設定もストーリーもくだらなすぎとでもいおうか。
 当然、タマモにとってはたまったものではない。大食い対決にはしゃぐほど、精神年齢は低くないのだ。かといって、ここで逃げたら後々何を言われるか分かったものではない。

「だったら、手は一つだけね・・・」

 鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。タマモの瞳に、妖しい光が宿った。茶番劇に終止符を打つため、ひいては自分の為に、タマモは実力行使に出ることを決心した。
 雪之丞が、丼をテーブルに置くと同時に次、と声を上げた。丼勘定をすれば話は別だが、単純に数えると今食べている一杯分、シロがビハインドを喫している。食い物が絡めば貧乏は強いのである。
 高井が虚ろな目で十数杯目の三倍ラーメンを運んできた。親指がスープにつかっていたが、この際そんなことはどうでもいい。
 雪之丞が箸を割った瞬間、タマモが外の方を指差して驚いたように言った。

「あ!あそこで横島と弓さんが抱き合ってるわよ!!」
「「何いいぃ!!!??」」

 雪之丞とシロが、不動明王の如き形相でほぼ同時にそちらを振り向く。注意が完全にラーメンから逸れると、タマモは隣のテーブルから失敬したコショウの蓋を「回して」開け、「一瓶丸ごと」雪之丞のラーメンに放り込んだ。然る後に割り箸で掻き回し、何食わぬ顔で

「あ、ごめん。見間違いだったわ」

 と言った。この間、コンマ約0、7秒。血走った目をした二人が憮然として席に戻るのを見て、タマモは心の中でぺろりと舌を出した。








「う〜。まだ気持ち悪いでござる・・・」
「当たり前でしょうが。アンタ今日一日で十年分はラーメン食べたわよ」

 街から少し離れた所にある公園のベンチで、シロは右手を額に添えながら寝そべっていた。熱病にうなされるようにグロッキー状態のシロに、タマモは心の底から溜息をついた。
 結局あの後、雪之丞は三倍+コショウ一瓶ラーメンを食べ、最後には右目から血涙を、左目からスープを流しながらダウンした。それでも三分の一は食べたのだから、ある意味で表彰ものである。
 続行不可能になったので、結果はシロの不戦勝(?)となった。ちなみに雪之丞は食べ終える事が出来なかったので、累積した丼及びコショウラーメンの分の負債を被る羽目になった。後光が差しているかのように光る、店主の剥げ頭と出刃包丁が、タマモが「香港」で見た最後の光景だった。

「ったく・・・こうなることくらい分かんなかったの?何だってあんな無茶したのよ」

 自分を見下ろしながら言うタマモに、シロは力無く、それでも凛とした口調で返答した。

「・・・拙者は、先生の一番弟子でござる。拙者は、いつだって先生にとっての一番でいたいのでござる・・・」

 たとえそれが、どんなに些細なことでも。どんなに下らないことでも。シロは、暗にそう言っているようだった。そして、その気持ちを理解しようとしないタマモを非難しているようでもあった。
 想いのためには、後先考えず突っ走る。物事を合理性で割り切るタマモには、シロの抱く感情の機微はイマイチ分からなかった。やれやれ、といった表情でタマモはベンチを立った。

「とにかく、そこで寝てなさい。自販機でジュース買ってくるわ」

 かたじけないでござる、と苦しげに言うシロを見て、タマモは再び溜息を付いた。「胃薬の自販機なんか、あるわけないわよね・・・」という諦観ともとれるタマモの呟きは、風に溶けて虚空へと消えた。
 





「くく・・・今回は、負けを認めてやろーじゃねえか。だが!これで終わったと思うなよ・・・」

 中華飯店「香港」の裏方で皿洗いをしながら、雪之丞は胸中の暗い情熱を言霊に変え、煙草の様に中空に吐いた。一介のピカロになったようなニヒルな雰囲気に、トリップしかける雪之丞。だが、アッチの世界に行く前に、彼の後頭部に罵声とアルミ鍋が直撃した。

「こらあ!口じゃなくて手ぇ動かさんかい!!」

 不機嫌を隠さずにそう言ったのは、「香港」の店主である高井(三十五歳既婚。十歳の娘あり)だった。そりゃそうである。極上のカモをゲットしたかと思ったら、蓋を開ければ一文無しだったのだから。両手があかぎれを起こし、両膝が炎症を起こすまでこき使わねば冗談抜きで帳尻が合わない。
 この頭にかけてとでも言わんばかりに、高本は綺麗に禿げ上がった後頭部を撫で上げた。

「これで終わりだと思うなよ。次は店内の掃除と、調理の下ごしらえ!あ、ウェイターもやってもらうからな」

 くず折れそうになる膝を、何とか持ち直す雪之丞。彼がリターンマッチを挑むのは、もう少し先のようである。不遇に喘ぐ俺もカッコいいかも。枯渇無きナルシシズムに、雪之丞がそう思った事は言うまでもない話である。







 後日。お約束というか自然の摂理で体重が一割増ししたシロが、横島を引き摺って「日本列島・散歩の旅」に発ったのも、言うまでもない話である。


今までの コメント:
[ 戻る ]
管理運営:GTY+管理人
Original GTY System Copyright(c)T.Fukazawa