ザ・グレート・展開予測ショー

BIRTH(T)――混迷――


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:(03/ 2/26)

 時計の針がちょうど午前零時をさした。


 その事実を確認し、俺は静かにベッドから起き上がった。温かい布団の恩恵から外れる事には身体が激しい拒否反応を示したが、これからやるべき事を再確認して、それを押さえ込む。隣のベッドに眠る彼女に軽くキスをして、俺は重い樫の木のドアを開けた。
 静まり返った廊下を裸足で歩む。パジャマから用意してあったジャケットに着替え、バイクのキーを手に取る。あらかじめバイクは少し離れたところに移動させておいた為、彼女に気づかれる心配はない。

(……らしくないな)

 心中での、再確認。
 俺が嘘をついている事は、彼女以外は恐らくみな知っているはずだ。
 どれだけ嬉しくても……どれだけ喜んでも……決して消えない。――消えてはならない一本の溝。世界を巻き込むタービンの如き、俺の心の一点の裏切り。


 ――解っていた筈だ。
 心中の戒めは、虚しく心中に響いて消える。


 バイクにまたがり、キーを差し込む。スロットルを上げて、静夜に向けて走り出す。
 俺はひたすらに速度を上げた。
 深夜とは言い条、都内では未だ多くの車両が活動している。何をして、何処から来て……そして何処に行くのかも分からない、大都会の血液。
 血流に乗り――いや、むしろ逆らい、俺は走った。ヘルメットの中の呼気が、断続的に俺の中に浴びせ掛けられる。


 嘘。

 ……俺は嘘をついているのだろうか。
 少なくとも、彼女に対して見せた態度には、嘘である部分もあるだろう。約半年前に、彼女から……この事実の告白を聞いた後も。

 ……だが、

(少なくとも……俺の中でこの感情は『嘘』じゃあないんだ!)




 吼えた。……罪悪感に。



 吼えた。……嫌悪感に。





 吼えた――





 時計の針は、既に一時半を指していた。広い国道はライトに明々と照らされ、視界はオレンジ色に染まっている。血液の合間をぬい、大動脈を駆け抜けて、都会の心臓を目指す。
 畜生―― 噛み締めた口蓋から、かすかに言葉が漏れる。
 今更だ……全部今更の事だ…… 自戒の言葉も空しく消える。

「何やってんだ……俺はよ……」

 毒づいて、更にスピードを上げる。




 この一点の苦しみを……




 この一点の哀しみを……




 この一点の……歓喜を――











 風と共に何処かに飛ばしてしまいたいから――



   ★   ☆   ★   ☆   ★



 ブーツがザクリと音を立て、アスファルトの上に轍を刻む。
 二十二歳になった俺の身体は、吹き荒ぶ寒風に震えていた。それが寒風だけの為ではない事はわかっている。――ただ、今は寒風の為だけにしておきたい――
 見上げ、そして視線を下げる。燈が消え、決して幻想的とは言えない姿に堕した、街の柱石。今はただ、黒々とした骨格の表面だけを寒風の中にさらしている。

 ここまで来てみた事はほんの気まぐれだった。ただこの場所が、俺の迷いに一押しをしてくれるのではないかという――淡い期待。裏切られる事は分かっていて、猶持ってしまった愚かな希望。
 それは……仕方がない。
 努めてそう考える事にした。


 階段を登る。
 一段一段、噛み締めながら。
 登りながら考える。――俺は何をしているんだ!?

(祝ってやればいい……)

 そう。俺は喜んでいる。心底、喜んでいるはずだ。その衝動に素直に従おう。恐らく俺のこの気持ちは、彼女が一番解ってくれている……








 だから……







「……出来ねぇよ……」




 脚は虚しく前へと投げ出され続け、腕は規則正しく身体の左右で振られつづける。もうそれなりに登っているはずなので当然の事ではあるのだが、脚が重い。その事実が、現状の俺の事をそれそのままに暗示しているような気がした。
 俺の能力を使えば、この程度の高さならば簡単に乗り越える事は出来る。――が、それをする気はなかった。身体は心底冷えている筈なのに、額から汗が滴り落ちる。その汗の冷たさに新鮮な驚きを覚えた。


 人生とは、まるで螺旋階段を登るようなものだ。同じ場所を回っているようで、決して同じ場所に戻る事はない。下を眺めて、今まで登ってきた高度を振り返る事しか出来ない。

(まさに……今の俺――か)

 ――いや。

(俺は同じ所を回っていただけなのかも知れないな――)

 いつか本で読んだ気がする――永遠に終わらない階段を登りつづけたら、実は元の場所をグルグル回っていただけだった――単純なだまし絵だが、まさしくその絵こそが、今の俺には相応しいのかも知れない……
 永遠に終わらない階段――いずれ、登る愚か者が入ってきた入り口に気づくまで――

 俺にとっての、入り口――

 今は何処にあるのかも分からない、苦悩の入り口。



 少なくとも……

(その一つはここにある――)

 決して苦悩ではない。
 俺が感じているのは、そんな単純な感情ではない。
 それは苦悩であり――歓喜であり――憤怒であり――悲哀であり――落胆であり――

 そういった、もろもろのしがらみの入り口――そして、出口。

(ケリを……つけなきゃな)

 既に地上ははるかに眼下となっていた。



   ★   ☆   ★   ☆   ★



 そこでは何をする事も出来なかった。

 能力を使ってまで登った、展望台の屋根の上。あのときの場所に、あのときと同じままに腰を下ろした。



 ――いや、同じではない。俺はもう、大分変わってしまった。
 バンダナのない額を、グローブをはめた指で掻く。
 あのときに比べれば、一回りは大きくなっているであろう身体。――そして、こころ。俺を形づくる全てのモノたち…… 薄汚れたGジャンではなく、黒いジャケットを纏った身体。ゴツゴツして歩きづらいブーツ。


 二十二歳の俺……


(わかってたさ……)

 自嘲し、腰をあげた。
 この場所に来るだけで解決するなどという甘い考えは――持っていなかった。
 ……しかし、それでも来てしまったという事実は、それを否定している。俺は持っていたんじゃないのか? この場所が、俺の全てを解決してくれるなんていう、甘っちょろい幻想を――

(わかってたさ……)

 心中で今一度、呟く。
 闇の中にはアイツはいない…… アイツがいるのは、俺の心の光の中だけだ……
 だが、アイツを思い出すとき、何故か心は闇に沈むんだ……光と闇の間隙たる、紅。――その色だけが、今の俺とアイツを繋いでくれる唯一の物……


 ――そして……今の俺の心が彼女と切り離される、唯一の物……

 かぶりを振る。

 だから俺は、あの色を見ない。あの時刻――あの瞬間は、どんな事があろうとも彼女の傍にいる。――その僅かな時間、彼女は悲しそうな顔をする。俺の心の裏切りを知る彼女が見せる、苦悶の表情……
 だから俺は、ここには来なかった。
 嫌でも俺にアイツを想起させるここには……

(なぁ……お前も怒ってんのか……?)

 錆びた鉄骨に額をつけ、額に向けて語りかける。
 錆びによる微妙な凹凸が俺の額の皮膚を変形させ、腐食した鉄骨の棘がチクリと突き刺さる。それがアイツからの無言の答えである事を想像し、俺は更に感情の中の陰鬱な部分を深めた。


 ……五年。

(もう……五年も経つのか)

 あの、熱かった夏からは。


 天魔の夏。


 自分の無力さを知った夏。


 その夏から、既に五年。――俺は、様々な意味で変わってしまった。変わらざるを得なかった―― 本質的な変化は、何も出来ないままに……
 そして――

「なぁ……どうなんだよ……?」

 俺は黒い鉄骨に語りかける。

「お前は……帰ってくんのかよ!? 俺は……どうすりゃいいんだよ!! 今更、今更何がどうしたっていうんだよっ!!」

 叫ぶ。






 エゴだろう。わかっていた。







 ただ、叫びたかった。






 歓びと哀しみ。その狭間で……










   ――To be continued――

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