ザ・グレート・展開予測ショー

冬色の空 〜中編〜


投稿者名:猫姫
投稿日時:(03/ 2/17)




 ジィさんは雑種の老犬だ。昔からこの辺りをねぐらにしてるノラ犬で、ナワバリ抗争からも引退した今では、近所のノラ犬たちの相談役みたいな立場にいる。
 シロもよく、昔の冒険談を聴かせてもらったり、相談相手になってもらったりしていた。

『――着いておいで』

 見せたいものがあるから、と、それだけを言って歩き出したジィさんの後を、足を引き摺るみたいにして歩いていく。

 とぼとぼ。

 見上げれば、月の見えない夜の空。それは落ちてきそうなほど、灰色の雲に覆われている。
 雪は降りつづけていて、シロの頭や肩にも積もっていく。でも、払い落とす気持ちになれない。なにも考えないで、ただ歩く。

 とぼとぼ。

 何かを期待してじゃなく。何かを求めてでもなく。
 ただ、着いていく。――きっと、逃げ出すために。
 逃げた先にあった苦しいことから、さらに逃げつづける。それだけのために。

『さあ、着いたぞ。見てごらん』

 ジィさんが、鼻先で示した、そこには――

「……せん…せえ…?」










 −−−『冬色の空 〜中編〜』−−−










 そこは、朝の散歩で来る、いつもの自然公園だった。
 どんなコースで行くときでも、最初に必ず通ることにしている、お気に入りの公園。

 いつもは先生と一緒に歩いている公園に、シロはジィさんと一緒にいて、遠く離れた遊歩道を走る人影を見ている。

 あれは……あれは横島先生?

『先ほどから、必死の様子で何かを探しておる』

 ぽつり、とジィさんの言葉。そのとたん、胸がぎゅっとなる。
 探している? 何を? 誰を?

 ――決まってるじゃない…。

『日が落ちる前から、何度も何度もここに来ておったよ』

 そういうひとだから。
 シロの大好きな先生は、そういうひとだから。

『よほど大事なものを探しておるのであろうなぁ』

 息を切らせて走りつづける横島先生。
 凍えるような雪の中、額に汗を滴らせて、それでも脚を止めない。

 ……そういうひとだから。

『彼が風邪をひく前に行った方が、良いのではないかね』

 その言葉に背中を押されて……自然に脚が前に出ていた。







「先生……」
「よぉ」

 声をかけると、自然な返事が帰ってきた。

「寒みーから、とっとと帰ぇんぞ。美神さんのお仕置き、今から覚悟しとけよ?」

 その声は、本当になんでもないような声で。
 なにも無かったような態度で。
 それが、このひとのやさしさなんだって、シロにはわかってる。
 わかってるから、縋れない。甘えられない。
 甘える資格が無い。

「どした?」
「拙者…帰れないでござる……」

 小さな肩を震わせながら、それでも首を横に振る。

「拙者は……」

 横島先生みたいに、頼りになれない。
 美神さんみたいに、強くはなれない。
 おキヌちゃんみたいに、優しくなれない。
 タマモみたいに、要領良くもなれない。

「拙者は……」

 うく、としゃくりあげる。
 初めて、自分が泣いてるのに気がついた。

「……いらない子でござるから……。なんにも知らなくて…、分からなくて…、出来なくて…、役に立たなくて…、ぜんぜん駄目で……。いない方が、いい子でござるから……」






















 ぱん。






















 じん、とする痛み。左のほっぺた。やけどしたみたいな衝撃。

 あ……?
 ぶたれた?
 ぶたれたの?

「先せ……」

 ――息が、つまった。

 見上げた先生の顔。その瞳。
 氷雪の熱さと、烈火の冷たさを孕んだ、恐ろしく複雑なそのまなざし。

 どうして? どうしてなの?
 どうして、先生がそんなに痛そうなの?
 どうして、先生がそんなに辛そうなの?
 どうして、先生がそんなに泣きそうなの?

「シロ…」
「は、はいっ」

 低い声で呼ばれた、自分の名前。反射的に返事をする。

「どうして叩かれたか、判るよな?」
「…………はい」

 素直に頷いたとたん――

「なら、いい。でも、二度と言うなよ。…な?」

 ふわりと、微笑ってくれた。







 叱ってくれた。
 先生が、叱ってくれた。
 でも。でも、やっぱり……。







「…………なあ、シロ」

 少しの沈黙の後、ぽつり、と。

「……俺は欲張りで、わがままなんだよ」

 呟くように。独りごとのように。

「美神さんの傍にいたい。おキヌちゃんがいないなんて、考えられない。タマモがいなくなったら、きっと明日が今日より面白くない…」
「………………」
「けど、な」










「お前にもいてほしいんだ、シロ」










 横島先生の手が、そっとほっぺたにふれてくる。ぶたれて熱くなった場所を撫でてくれる。やさしく、やさしく。何度も何度も。いとおしそうに。

「お前がいると嬉しい」

 手のひらをほっぺたに添えたまま、親指で目元の涙を拭ってくれる。乾いて堅い、男のひとの指の感触。ザラザラする、でも絶対に嫌じゃない、感触。

「お前がいないと寂しい」

 手はそのまま上に上がってきて、前髪をくしゃり。冷え切った手が、どうしてこんなにもあったかいんだろう。

「お前がいないと嫌だ」

 髪を撫でてくれる手が、ゆりかごのように気持ち好い。心地好くて、胸が熱くなる。体の深いところから、熱がこみ上げてくる。

「だから、いてくれ……俺のそばに…」

 低い声。いつもより少しだけ低くて、でもやさしい声。大好きな、大好きな先生の声。

「いてくれよ、シロ……」

 それはあまりにも唐突な言葉で。
 けれども、それは確かに、シロが欲しかった言葉で。

 ああ、このひとは。
 やっぱりこのひとは、いつだってシロが一番欲しいと思うものをくれる。

 それが、ただ嬉しかった。
 例えようもなく、嬉しかった。
 さっきまで感じていた冷たさが、すべて温もりに変わったみたいに。

 ぽろぽろ。ぽろぽろ。

 気がつけば、また涙が零れてた。
 でもそんな涙も、今は気持ちが良かった。
 とても、とても気持ちが良かった。




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