ザ・グレート・展開予測ショー

氷の墓標


投稿者名:矢塚
投稿日時:(03/ 2/10)

 
 新緑の季節に移り変わった山道を、愛娘と二人だけで彼女は歩いていた。
 高貴な身分にも拘らず、供廻りを一人として連れていない。
 無論、彼女直属のくノ一部隊が身辺の警護に当たってはいるが、姿、気配を極力消し去っている。

 彼女がこれから向かう場所には、娘以外誰一人として連れて行きたくは無かった。
 感傷と言ってしまえばそれまでだが、誰に邪魔される事も無くただ静かに、思い出に耽りたかった。
 
 この季節になると何故か前触れも無く、ふと思い出す。  
 命日でもなく、生まれた日でもないのだがこの季節に思い出すのだ。

 やさしい。 
 誰よりもやさしいがゆえに、自らを犠牲にした親友の女性。
 それは、今は亡き『彼女』が春の木漏れ日のように穏やかで、温かい人であった為か。  

 『彼女』が死んでから、すでに十年以上も経つ。
 あの時の自分の選択は間違っていただろうか?自分こそがやはり、『彼女』に代わり死ぬべきであったろうか?
 この十数年幾度となく心を責め、胸を重くする問いが何度も繰り返される。
 そして、その度に『彼女』が死ぬ瞬間をまざまざと記憶の底から引きずり出して突きつける。
 その度に今を生き、幸福に包まれている身を冷汗が蝕んでいく。

 罪悪感。
 その一言でしかなく、それ以外にはありえない。
 友の犠牲があればこそ、今の自分等が生きている。
 一人の犠牲により、助かる多勢。
 決して間違っているとは言い切れないが、やりきれない思い。
 やはり自分が犠牲になれば良かった。そうすればこの罪悪感からは逃れられる。
 しかし、出来なかった。自分には無理だった。
 それらの思いが彼女を捉え、足取りを重くする。

「……母上様?」
 気が付けば、山道の真ん中で俯きながら佇んでいる彼女に、娘が心配そうに声をかける。
 そこには、親の庇護を求める十歳にも満たない少女の顔があった。
 その顔を見た彼女は、そっと娘の頬に手をやり撫でてやる。
「さあ、参りましょう。もうすぐですよ」
 自らにも言い聞かせるように、いくぶん声を張り上げた。

 山の中腹をくり貫いた横穴の奥深くに、その場所はある。
 夏場でもかなり気温は低い為、親子は用意しておいた上掛けを羽織る。
 蝋燭を灯し、しばらく薄暗く寒い通路を手をつなぎ歩く。
 そして、氷で満たされた泉と異形な地脈堰が目の前に現れる。
 地脈の流れを操作出来る場所であり、死津喪比女と呼ばれた怪物を封じる為の堰であり、『彼女』が死んだ泉であった。
 この氷の封を施された泉の奥底に、その遺体は沈んでいるのだ。
 
 二人静かに、頭を垂れる。
 娘もすでに何回かはこの場所に連れてきている為か、母親の黙祷を遮ることなくおとなしくその手を握っている。
 
 夫になった男は言っていた。
 死津喪比女の霊力が完全に枯渇し消滅したあかつきには、『彼女』は生き返れると。
 その為に、自分の人格をこの場所に残してあると。
 だから、それほど悲しむことは無いと。
 
 遥か未来で生き返れるのなら、喜ばしいことだ。
 それは、分る。
 しかし、心が納得しない。
 生き返るとはいえ、『彼女』は一度確実に死んでいるのだ。
 自分の目の前で、多くの人々の家族とその命を守る為に。
 生き返れるから死んでもいいなどとは、決して良い事とは思えない。
 この時代に生きる人々を救う為に命を投げ出し、その代償として遥か未来でふたたび生を受ける。
 これは、正しいことなのか?
 理屈ではなく、自分の心が否定する。

 死んだ友は、最低でも数百年以上先までは生き返ることが出来ない。
 今の時代に死んでしまえば、この時代を生きることは出来ないのだ。
 これは、当たり前だ。
 ほのかに温かい愛娘の手を感じつつ、彼女は思う。
 同じ時代を共に生きる事が出来ないのが、私はやはり悲しいのだと。
 話をすることも、笑いあうことも出来ないのだ。
 それが悲しい。
 この悲しみは、自分勝手な思い込みであろうか?。
 この場の静寂と、厳粛な空気が彼女の思考を深く深く捉え始める。
 意識が外界から閉ざされてしまいそうになる感覚を、遮るものがあった。

 愛娘の手が、小さく震えている。

 さすがに長く滞在しすぎたか、幼い少女には少々この寒さは堪えた様だ。
 しかし、母親に何も言うことなく、ただ寒さに体を震わせその手をぎゅっと握り締めていた。
 子供の力で出来うるだけ強く握っているその手を、微笑みとともにやさしく握り返す。
 そういえば『彼女』は身寄りが居なかったと、今さらながらに思い出す。
 両親というものをほとんど知らずに育ち、他人とその家族を守る為に、自らの家庭を持つことなく死んでいった。
 だからそう、『彼女』が再び生をうけた時代では、何不自由することなく幸せに生きて欲しい。
 自分以上のすばらしい友を多く作り、幸せに満たされていて欲しい。
 そして、哀悼を終えた母親は愛娘に優しく言った。

「さあ、戻りますよ……、おキヌ」
 母の言葉に、おキヌという名の少女は嬉しそうに頷いた。

 溶ける事の無い氷で満たされ、その底に遺体を内包した泉は、親友である『彼女』の墓標と呼ぶべき場所であろう。
 しかし、墓碑銘も戒名も刻んではいない。
 『彼女』には、墓碑銘などはふさわしく無い。
 『彼女』の名は、今を生きる者にこそふさわしかった。



                          終

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