涙雨
投稿者名:veld
投稿日時:(03/ 1/30)
三日間降りつづけた雨が止んだ。自然の奏でるBGMの終わり方は呆気なかった。淡々と終わってしまったその音を、もう少しだけ、聞かせて欲しかったと思う。もう少しだけ。
幾度となく繰り返された事象に過ぎないことだと、頭の中では理解しているつもりでも、納得いかないことはある。納得してはいけないことが。
人は、時の中で移ろう生き物。分かりきったことである、何者も、時の束縛から、逃げ出せないものはいない。
いつかは、自分も行くだろう。それは、人間と比べればあまりに遅々としたペースであるかもしれない、それでも、やはり自分も朽ちるだろう。―――それは、怖くない。むしろ、願う。神の身元に、私は望むべくなら。彼らの元に、望むべくなら。
「涙雨だろうか?」
窓の外を見て、誰かが言った。嘲笑ではない、笑いを伴って。泣き顔を、無理に明るく変えて、誰かが言った。名も知らぬ誰か。それなのに、いとおしい。
「悔しくて泣いているのだ」
と、彼は言う。
「切なくて泣いているのだ」
と彼女は言う。
棺桶の中―――
泣いている、彼の顔は安らかだった。
泣いている、彼の顔は笑みを形作っていた。
泣いている、私たちは彼の顔を見。
笑みを作った。無理矢理に。
―――そして、心で泣いた。
まだ、雨が降っていた。通り雨かと思っていたのに、降り止む事無く、ザーザーと激しい音を立てながら。
傘を差した人達がこの家を去って行く。その後ろ姿を見ていた。手を引かれた子供がこちらを向いて手を振る。彼女はきっと何が行われたのか知らないのだろう。
無邪気な笑顔で、手を振る。私は振り返した。
二階の客間で、私はずっと、窓の外を見ていた。
しばらくして、彼の娘が私の部屋に入ってきた。ノックの音が二回、返事はしなかったが。それでも、彼女は入ってきた。
そして、私の隣に立ち、窓の外を見つめる。
不意に、口を開く。
「いつまででも、生きていたかっただろうに」
と、彼の娘は言った。その顔には、笑みがあった。
「いつまでもしぶとく生きて、いつまでも笑っていたかっただろうに」
そう、彼女は言った。
「笑顔だったでしょう、彼は」
私は言った。
彼女は頷いた。そして、
「ええ、笑顔でした」
彼女は答えた。その表情は、どことなく、彼に似ていた。
「・・・あなたは、彼がいつまでだって生きていたかったと望んでいたと思うかもしれない・・・」
「?」
「でも、だからこそ、死ぬことさえも幸せだったんじゃないでしょうか?」
「・・・死ぬことが、幸せ?」
彼女は首を傾げた。
「いつまでだって生きていたいと思える、そんな日々の中だからこそ、彼は幸せにいけたんです」
「・・・私には、分かりませんが・・・」
「彼・・・横島さんは、幸せだった、とそれだけです」
「・・・お父さんが」
「ええ」
少なくとも、自分の娘のことを話す時の彼は。自分の孫の事を話す彼は。自分の玄孫のことを話す彼は、自分の・・・。
「・・・私は、お母さんが死んだ時、お父さんが笑顔だったことが悲しかった。聞いてみたんです。どうして笑っているのか、って、お父さんは言いました」
「幸せに、逝ってくれたから」
「私は、その時、お父さんが見せた、あの顔が忘れられないんです」
「泣いた顔、笑った顔、いっぱい見てきました。でも、見たことがなかった」
何かを、終えた顔・・・。
「お父さんは、お母さんよりも長く生きて」
「お母さんをいつまでも幸せにさせつづけていたい、といっていました」
「彼女は天涯孤独な人だから・・・」
「いつまでも、自分が傍にいて・・・」
「守ってやって・・・」
「笑顔がいつまでも耐えぬように・・・」
「傍にいてやること・・・」
私は彼女の肩をそっと抱いた。黒いスーツの胸元が濡れるのを感じながら、言う。
「いつか彼はこう言いました・・・『自分の幸せは、彼女の幸せ』・・・別に、彼は気取ってそんなことを言ったわけではありません」
「大切な人だから・・・」
「愛する人だから・・・」
「笑顔が嬉しくて・・・」
「幸せな気持ちになれるのだと・・・」
そう、あの日、改めて私は気付いた。
駆け足で過ぎ去っていったあの日々の中で。
間違いなくあった幸せに。
誰かの笑顔が―――
私の笑顔が―――
今だ消える事無く。
心の中にありつづける。
人は言った。涙雨だと。
そうかもしれない、私は思う。
泣き顔は見たくないと、泣いているのかもしれない。
幸せにいけたことを泣くほど笑っているのかもしれない。
それとも、違うのかもしれない。
ただ―――
彼はきっと幸せだろう―――と思う。
今までの
コメント:
- どうも。
何気に悲しいものです。
しかも「彼」が横島君だったとは。
人生について確かな考えを持っていかないといけませんね。
そんな事を考えさせられました。 (弥三郎)
- 今回は天寿を全う(まっとう)することが出来たようなので賛成です(爆)。確かに人はどうしても老いさらばえるものですから、自分が幸せだと感じている間に天に召されるのも一種の幸福だと言えるかもしれません。横島クンも「天涯孤独な彼女」のために十分長く幸せに生きたでしょうし。死を悲しむだけでなく、そこに少しでも幸福を見出そうとするあたりに彼「らしさ」があると思いました。投稿お疲れ様です♪ (kitchensink)
- 悲しいです・・・横島くんが・・・。
けど、偉いです。生涯を精一杯生きたことが!!完成作お疲れ様です。
ファイト♪ (えび団子)
- 幸福にせよ不幸にせよ、人の死は本人にとっては「終わり」なのでしょうが、その人の周りのまだ生き続けていく人々にとっては、大きさの違いはあれど自分達の生の過程に存在する「出来事」なのかもしれません。
その人の死が幸せだったかどうかは、あくまで「思う」ことしかできないのかもしれませんが、生きている人達がそれを信じる事はその人の死が「不幸ではなかった」と意味づけてくれるのでは、と思います。
ほろりとしてしまいました。 (志狗)
- 弥三郎さん、kicthensinkさん、えび団子さん、志狗さん、コメントどうもっす。
弥三郎さんのおっしゃる通り、確かに、何気、ですね。一応ハッピーエンドですから。それほどには悲しみもないのではないかと。少なくとも、ダークではないかと。ちょい暗めですけど。私は、あまり人生については考えていませんが、あえて言うなら笑って生きなさい(誤字ではなく)と、難しいことはなく、ただ、それだけを考えてます。
kitchensinkさんのおっしゃる通り、人は必ず老い、そして、死を迎えるものです。彼女にしても、彼にしてもそれは免れざる運命です。その死の過程すらも幸せな中で終えること・・・ええ、天寿をまっとうしてます。ここの人は。横島君の妻は誰だったんでしょう?『天涯孤独』がヒントですが、正解は俺にもわかりません(おい) (veld)
- えび団子さん・・・横島君を死なせてしまいました・・・寿命で。
生涯を精一杯生きること、それは簡単なようで難しく、それとも、思いのほか簡単なのかも・・・(おい)―――ただ、この(横島)夫婦、喧嘩を時々交えたりしつつも、幸せだったようです。喧嘩するほど仲がいいとも言いますし。想像の域をでないんですが
「忠夫さんっ・・・散歩にいくでござるぉ・・・」
「丑三つ時に起こす馬鹿が何処にいやがるっ、この馬鹿犬ぅ!!」
「きゃんっ、狼でござるよぉ」
「・・・(畜生・・・かわいいじゃねーか)わかったよ、懐中電灯を忘れんなよっ!」
・・・想像の域を出ないんで。故人ですし。ただいまの四行で何となく不快な気分になった方はお忘れ下さい。 (veld)
- 志久さんのおっしゃる通り、その人にとっての『終わり』が、周りの人にとっては生の過程の『出来事』にすぎない、ということは確かです。そして、その過程の人々にとっては、故人が『幸せであったか』を知る術はありません。
ですが、幸せであったらいいなぁ、と思ってもらえる環境の中にいることは、その人にとって素晴らしいことであるのではないでしょうか。
ほろりと、してもらえると嬉しいです。 (veld)
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