ザ・グレート・展開予測ショー

夢幻の如く〜夢浮橋〜


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:(02/10/ 4)

 その日、未明の事であった。
 丹波の国、小栗栖。
 その険しい山道の中を、二人の騎乗の者が駆けていた。
 ……否、駆けているといっても、それは本人達からすればであろう。余人の眼には、それは、意気消沈してトボトボと馬を進める浪人の姿にしか見えなかったかも知れぬ。
 男の名は、明智日向守光秀。いま一人は、溝尾庄兵衛茂朝であった。
 嘗て京中において、天下に号令をせんとした頃の面影は見るべくもなく、兜をはずしたその面には、焦燥の色が濃い。……流石に、普段は徒歩を旨とする庄兵衛が、騎乗で光秀に付き従うほどに。
 既に先ほど、勝龍寺城は落ちた。
 それに先んじて脱出していた光秀らは、羽柴の探索の眼を逃れるために散り散りになって落ち延びることとしたのだった。……目指すは、光秀の本城である、丹波坂本城。
 光秀は知らない。
 既に坂本城が、羽柴秀吉の手の者、堀秀政や、与力の加藤虎之助、福島市松(後の福島正則)らの手によって陥落さしめられている事を。
 そして、安土城を守っていた明智弥平次秀満が、坂本城に篭って、壮絶な最期を遂げた事を。
 ……それでも、武士は本能として城を求める。
 自らの居城が落とされていると、決して認めようとしない。
 それは、織田信長を討った明智日向守とて、少しも他の者たちと変わることはなかった。
「……庄兵衛」
「は」
 光秀は、側らの庄兵衛に向け、声を発した。声を発するのは、数刻ぶりの事ではある。――今はただ、無性に咽喉が渇いた。白湯が飲みたかった――
「俺は諦めんぞ……」
「……は」
 それでも猶、光秀は諦めてはいなかった。
 丹波坂本城は、毛利領とも遠くはない。毛利輝元の領地に逃げ込めば、自分は最早安全であろう。――光秀は、そう踏んでいた。
 これも、甘い。
 既に毛利は羽柴秀吉と同盟を締結している。それを守り切る意味でも、明智光秀が毛利の領内で捕らえられれば、羽柴方に引き渡されるのは必定である。
 ……だが、
「俺は、生きねばならん」
 信長を、討ったのだ。
「生きねば、俺は秀吉の踏み台となっただけになってしまう……!」
「……上様……」
 それだけは、許せなかったのだ。
 自らの決意と行動を踏み台として、羽柴秀吉が――天下を手にするなどということが……許せるはずもない。……それが、今の光秀を支えていた。
 されど……されど、
 現実は、冷酷に敗残兵の上へも吹きかかる。
「――! 上様っ!?」
「ぐぅッ!?」
 一瞬であった。
 山間の叢から、突如として現れた野伏。近所の村の農民であろうか――それが、十人ほどか。竹槍を手に、光秀、庄兵衛の周りを囲んでいる。
 光秀の躯が、ぐらりと揺れた。
「上様ぁっ!!」
 庄兵衛の槍が、猛威を揮った。
「う・お・おおおおおおおおおおおおおおおおおお応ッ!!」
 凄絶な斬戟が、光秀の周りに群がっていた野伏三四名を、一気に薙ぎ払う。――残った者は、敗戦の将が意外に手強い事を知り、一歩下がった。
 そしてそのまま、逃げてゆく。
 所詮は農民。少しでも覇気が残っている将兵には、群がったところで勝ち目はない。勝ち目がないのならば、彼らとて命を棄てに来るつもりはないのだ。
 とあれ、庄兵衛は光秀に馬を寄せた。
「上様……!」
「む……庄、兵衛か……?」
 すぐに、傷を探す。
「……これは…………」
 探すまでもない。
 傷は脇腹にあった。竹槍を突き刺されたのであろう。相当に深く、更に出血も深刻だ。――現に、先ほどから光秀が馬の背に首を垂れているのは、血液が今の相対中に、相当量流れ去ってしまったからであろう。
「……これまで……の様だな、庄兵衛」
 庄兵衛はかぶりを振った。……まだだ……まだ!!
「いえ……上様、これは致命ではございませぬ……ッ……早々に、坂本にたどり着き、医師の薬を煎じれば、たちどころに癒える……」
「……俺とて、自分の身体の……っ、事くらいは……判る……よ……」
「上さ――」
 庄兵衛の眼から、涙が溢れ出してきた。涙は、顔に付着した乾いた血液を再び巻き込み、紅い染みとなって、庄兵衛の具足に染み込む。
「俺の、首を討て……」
 光秀の言葉は、なおも続く。
「首を討って……それを、秀吉どのに…………持ってゆくが良い……さすればッ……お前の命は…………助けられよう……」
 途切れ途切れに……
 だが、なおも強く……
 最早、是非もない。
「……お許しをッ」
 庄兵衛は、主を馬から下ろし、その馬を殺した。……更に、自らの馬も殺し、道端にほおリ棄てる。
 既に、庄兵衛とて生きるつもりはないのだ――――
 光秀には、自害をする力も残っていないように見えた。
 庄兵衛は、太刀を振りかぶり――――――――























 天海は、海を見ていた。
 時は慶長三年。八月の暑い日であった。
 江戸。……時の五大老筆頭、徳川家康の本拠にして、今既に、日本一の都市の体裁を整えつつあるここは、財政面においては既に京を越えたやも知れぬ。
(秀吉も……遂に死んだか)
 この年慶長三年。豊臣秀吉が、伏見城中にて没した。享年六十二歳。
 天下人としての栄華を極め、この世の寿の中での、突然の死。……子の秀頼は、未だ幼児である。
 このときを、家康が見逃すはずもない――――
(家康どのは――恐らく、天下をとるのであろうな……)
 既に七十を超えた老体を見下ろし、天海は苦笑した。
(何の事はない――あれほどに俺が目指した天下も――誰の物でもなかったというわけか……)



 あのとき――
 瀕死の光秀と、今まさに太刀を振り下ろそうとしていた溝尾庄兵衛の前に現れたのは、旧比叡山の僧兵であった。
 信長による叡山焼き討ちの際、彼らを熱心にかばおうと、信長に異議申し立てをしてくれた光秀の事を、彼らは忘れていなかった。
 光秀は、そのまま叡山に連れ込まれ、その一命を取り留める事となった。
 そして、庄兵衛は……
『上様は、死んだという事にしておいた方が良うござる……ッ!!』
 叫ぶと同時、脇差で自らの顔面を滅茶苦茶に切り刻み、目鼻立ちも判らなくなったところで、光秀の具足を身に付け、主の身代わりに割腹して果てた。
 その最期は壮絶な物であったらしいが……光秀は、それを見ていない――――



 結局……自分は生き残った――――
 僧となり、世を捨てたとは言え……俺は――



 そして今、光秀は『天海』と名乗っている。
 叡山という場所で僧となり、亡き信長と――あのときいた者にしか判らない皮肉――、痛切なる皮肉を以って、自らにこの名を与えた。南光坊天海――



「もう、夏も終わるな……」
 法衣を身につけ、寺の廊下を歩くたびに、蝉が鳴いているのを聞いたものだが、近頃はそれも殆どなくなった。
 天海は、剃り上げた頭を撫でながら……
 静かに、廊下を去っていった。

〜終〜

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