ザ・グレート・展開予測ショー

夢幻の如く〜天王山〜


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:(02/10/ 4)

 天正十年、水無月二日。

 その日天魔は劫火に消える。業火に消えて、下天を落ちる。
 されど天魔は再び旅立つ。天下を棄てて、新たな天へと――

――下天は夢だ。細かいことは、気にするな――



 水無月十三日。山崎の地。
「――!」
 短いまどろみから目覚めた光秀は、刹那、ここが何処であるかを忘れかけていた。
「……お目覚めですか、上様」
「……ああ」
 不覚にも、疲労がたたって陣中にまどろんでしまったらしい。
 心配げに声を掛けてきた斎藤利三に、光秀は笑顔で応えた。
「すまぬな、利三。俺はどうやら、羽柴殿をそれほど怖れてはおらんらしい……」
 山崎。摂津と山城の中間点にして、淀川と天王山に挟まれた隘路である。……つまり、大軍を展開して戦うことは不可能。劣勢は覆される。
 今、
 この場において光秀と対峙している敵は、羽柴筑前守秀吉であった。
 主君信長の死をいち早く知った秀吉は、備中高松城にて毛利輝元と単独講和を果たし、世に言う『中国大返し』を以って、畿内に引き返してきた。
 無論、主君の仇として、明智日向守光秀を討ち果たす為である。
(……しかし)
 光秀は、胸中でだけ、呟いていた。
(秀吉は……最早織田家に臣従する気はないだろう……な)
 浅いまどろみの中に浮かび上がった顔。
 それは、今の敵、秀吉の顔ではない。
 ……まぎれもなく、つい先日たしかに討ち果たしたはずである……旧主織田信長の怒り顔であるのだ。
「……羽柴殿の本隊は、紛れもなく天王山に陣したのか?」
 内心の暗澹を隠し、光秀は利三に問い掛けた。
 つい先ほど(申の刻)、羽柴連合軍は、天王山に本陣を敷いた。……これは当初、明智軍が本陣を構え、大阪より上ってくる羽柴、丹羽、池田、織田(信孝)などの各軍を各個撃破する為の本陣としようとしていた山であり、先んじてその山崎の地における要所を制されたのは、明智軍にとっては非常に辛いものであった。
「……早いですな、秀吉は」
 先刻、利三がポツリと呟いた言葉が、その不利を如実に表していると言えよう。
 やむを得ず、光秀は勝竜寺城から出て、御坊塚に本陣を敷いた。
 更に円明寺川を挟んで羽柴軍に構え、天王山麓にも、少数ではあるが、並河易家らの隊を配置した。
 明智軍は、兵力においては圧倒的に不利である。
 動員兵力一万六千。対する羽柴軍は、次々と織田家の援軍を吸収し、既に二万五千に迫る大軍となっている。……このまま手をこまねいて見ていれば、越前の柴田修理亮勝家が援軍として出張ってくる可能性もある。
 つまり、光秀にとってみれば、ここで勝つほかに活路はないのだ。
「上様、それがし、そろそろ我が陣へ戻りまする。……決戦はおよそ半刻から一刻の後になるでしょう。上様においては、くれぐれも進退を間違えぬよう……」
「……大丈夫だ。俺はここで負けるわけにはいかんよ」
 光秀は応え、幔幕の内で再び沈黙した。
 決戦の時が近づいてきている。



 合戦は、申半刻(午後五時ごろ)に始まった。
 秀吉与力の将である高山右近らが、円明字川を渡河して、明智軍先鋒の阿閉貞征、斎藤利三らの部隊に攻め込んだのであった。
 更に、その後方からは、蜂須賀小六率いる羽柴軍の主力部隊が行軍してくる。
 流石に、光秀は慌てなかった。
「並河を天王山にぶつけろ!」
 このとき、並河易家は千余り、その後詰めの将である、松田太郎左衛門はおよそ九百の部隊を率いていた。
 対する、天王山に布陣した羽柴軍の主力は、優に一万を超える軍勢である。
 後に秀吉の謀将として有名になる黒田官兵衛孝高をはじめ、秀吉の弟である羽柴秀長(幼名小竹)、信長の三男、神戸信孝の本隊、丹羽長秀(幼名万千代)、そして、羽柴秀吉(日野秀吉から改姓)の本陣…… 更に、天王山の地の利もある。
 押さえ切れるはずもないのだ。
「……すまん、並河……太郎左」
 光秀は、彼らの部隊をおとりにするつもりであった。
 既に、円明寺川を渡河中の羽柴軍に、先陣の斎藤利三らが鉄砲を撃ち掛けている。――渡河中の部隊は無防備である。数が違うとは言え、面白いように撃ち倒されてくれる。
(秀吉めは……戦が苦手なものと見える)
 そのときの、斎藤利三の思いである。
 ……しかし、光秀の本命は、彼らでもなかった。
 御坊塚の光秀は、幔幕の内に腰を落ち着けたまま、低く呟いた。
「……頼んだぞ、庄兵衛」



 このとき、溝尾庄兵衛は西国街道を渡り、円明寺川を渡った平地で、中川清秀らの部隊と対峙していた。
 数の上で言えば、こちらが勝っている。……光秀はこの部隊を以って中川隊を突き崩し、一気に東方から、秀吉の本陣に攻めかかるつもりであった。
 庄兵衛は、既に清秀の部隊と交戦状態に入っている。
 戦陣における庄兵衛は、まさに鬼神であった。
 庄兵衛が馬を進めるところ必ず、人の首が二つ三つは吹き飛び、更にその首を省みる暇もなく、庄兵衛は敵陣の奥深くへと馬を進めてゆく。
 既に、部隊は半数に減った。
(中川は……中川清秀は何処だ!)
 庄兵衛は、先ほどから中川清秀のみを追って駆け回っている。
 こういう場合における戦闘では、よほどのことがない限り、大将の首を獲ってしまえば勝ちである。……つまり、庄兵衛は清秀を斬って、余計な損失を省こうと思っていたのだが……
(まずいな……)
 予想以上に、中川軍は精強だった。
 実は、身ひとつの戦闘でならば誰にも引けは取らぬ自身のある溝尾庄兵衛も、錬兵だけは大の苦手であったのだ。……生来の性格が災いしてか、どうしても非情に徹しきることが出来ない。
「……く」
 そしてその後庄兵衛の隊は、堀久太郎秀政の増援をも相手に戦わねばならなくなり、じょじょに押され気味となってゆく。



 本能寺の奇襲を、光秀が事前に告げた将の一人、藤田行政は、現在斎藤利三貴下の将として、中村一氏の部隊と戦っていた。
(……庄兵衛殿は……どうなっているのだッ!)
 苦しい。
 正直、苦しい戦いではある。
 既に斎藤隊はおされ気味となり、何とか気力でふんばっている状態なのだ。
 目の前の雑兵を槍で叩き伏せながら、行政は利三に向け叫んだ。
「内蔵助(利三)どのッ! 俺は溝尾どのの隊に与力として入るッ!! ここは任せましたぞ!!」
 ともかくも、勝機を逃すわけにはゆかぬのだ。
「承ったッ!! 早々と参られよ!!」
「御免!!」
 返答し、すぐさま行政は馬首を返した。こういう場合、ためらっていては勝機を逃す。すぐさま行動に移した方が勝ちであるのは言うまでもない。
 そして、後方に下がろうとした行政の前に、一騎の騎馬武者が立ちふさがり――そして、大音声をあげた。
「待て、お主名を申せ!!」
 敵……
 行政はすぐさま槍を構えた。
 若々しい声ではあったが、まさか油断するわけにもいかぬし、手加減をしてやるわけにもゆかぬ。早々に斬り捨て、溝尾庄兵衛の元へ急ぐのみ。
「どけいっ!! 若造、俺は明智日向守が家臣、藤田行政だッ!!」
 疾走し、その勢いのまま、行政は槍を若武者に突き立てた……
 つもりであった。
 そこで、藤田行政の意識は永遠に途切れた。
 馬上の若武者が繰り出した片鎌槍の一槍は、見事に行政の首を跳ね飛ばしていたのだ。
 まさかに、『馬ごと』しゃがんで槍を避けるなどという避け方が、藤田行政に予想出来うるはずもなかったであろう。
「明智光秀の家臣、藤田行政のそっ首、討ち取ったりッ!!」
 行政を討った、この若武者の名を虎之助という。
 後に、豊臣家の柱石となる、加藤清正の幼名であった。



「……藤田が、死んだか」
 息せき切って藤田行政の死を告げに着た伝令兵の報告を聞いて、光秀が思わずうめいた言葉がそれだった。
 予想外の事だった。
 藤田行政が討ち取られたことではない。
(秀吉が……)
 織田信長の臣を見事に纏め上げている事であった。
「……利三と庄兵衛の部隊はどうしている」
 光秀は伝令に問うた。
 利三は、円明寺川を守る重要な役割である。彼の部隊が壊滅した場合、敵右翼はそのまま光秀の本陣へと向かってくることが出来る。
 更に、勝機を得るためにはどうしても溝尾庄兵衛の獅子奮迅の働きが必要であった。
 ……が、
「両部隊とも、今は徐々に押され気味となって来ておりますッ! 上様、本陣の兵は少ないですぞ!?」
 伝令は、今にも涙を流さんばかりの気迫で、光秀に請うた。今ここで光秀の本陣が退却すれば、この戦はこちらの負けだ。
 だが逆に、このまま本陣を押し進めても、天王山に拠る秀吉の本陣を撃破出来る見込みは薄い。……まずもって戦力に差がありすぎる。更に、庄兵衛の部隊が苦戦している今、秀吉本陣を奇襲して、敵側全体を混乱の渦に陥れるという当初の作戦は、既に廃案である。
 つまり、
(逃げるしか……ないのか……?)
 敗北。
 日向守光秀は沈黙した。……家臣を死なせ、既に自分も危うい状態へと落ち込みつつある。これが敗北というならば、十日前に織田信長を討った自分は――――
「――上様ッ!!」
 ……伝令の声ではなかった。
「庄兵衛!?」
 幔幕の内に現れたのは、既に全身に返り血や傷を受け、甲冑を赤黒く染め抜かれた溝尾庄兵衛であった。
「急ぎお逃げくださいッ!!――今、小畑川を回りこんだ、池田隊と加藤(光泰)隊が本陣に向け迫っております! 早々に陣払いを――いや、上様お一人でも、勝龍寺城にお戻りをッ!!」
「勝三郎どのか……!!」
 池田勝三郎恒興は、現在織田家の宿老の末席にいる。織田家に受けた恩は、並大抵の物ではないはずだった。
「……我が部隊は壊滅いたしました。この上は、上様に是非とも落ち延び、再起して貰わねば……」
 つまり、この戦に既に、勝ちはなくなった――――



 戦は二時間ほどで終結した。
 結果だけ見れば、羽柴軍の圧勝である。
 明智軍は、名だたる武将たちを討ち死にさせ、……その中に、あの藤田行政の名もあった。

〜続〜

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