ザ・グレート・展開予測ショー

見えざる縁(6)


投稿者名:tea
投稿日時:(02/ 9/10)


 人狼と人間との間に亀裂が入り始めたのは、150年程遡る。
 当時の日本は明治という新時代の元富国強兵への路を躍進し始め、それに比例するように軍需産業が高度成長を遂げていたのである。
 だが、それは森林を奪い川を汚し、あたかも他動物との共存を嫌っているかのようだった。それは人狼とて例外でなく、幾度となく提議された話し合いは全て水掛け論に始終した。
 対立が深まるにつれ、彼らはお互いを敬遠するようになっていった。
 曰く「人間共は、自然よりも鉄屑を愛でる性質らしい」曰く「人狼共は、未だに江戸時代を模した原始人だ」と。悪意の篭った流言飛語が飛び交い、尾ひれの付いたイメージが定着する。利害が正反対の一致を見せる彼らは、次第に交流の幅を狭めていった。

 香南と一条が出会ったのは、丁度そんな時だった。



 何かが、香南の前髪を優しく撫で上げる。風かな、と思い顔をあげた香南の両目に、子供っぽい仕草で自分の髪を弄ぶ一条の笑顔が映った。

 きっかけは、全くの偶然だった。人界に下りて薬草を摘んでいた香南が、たまたま同じ山中に行き倒れていた一条を見つけたのだ。そのまま放置しておいても一向に差し障りはなかったが、良心に後押しされた香南は一条を肩に担ぐと、自分の小屋に連れて行き介抱したのである。
 一条は、その晩意識を取り戻した。話によると一条は元は武士の子だったが、父親が戊辰戦争で徳川方に付いたために没落の路を辿ったのだそうだ。
 一条は、泣いた。何故御恩と忠義に殉じた父が疎んじられ、「勝てば官軍」を免罪符に裏切った連中がふんぞり返っているのか、と声を震わせて泣いた。
 香南は、何も言わずに一条の聞き役に徹していた。一条を爛れさせている心の膿が、言葉と共に洗い出されることを願って。


 一条は帰るべき場所がなく、根無し草のように地方を転々としている浪人だった。それを聞き、香南が晴天の霹靂のような提案をした。

「それならここに住めば?」

 案の定、一条は呆気にとられ言葉を失った。暗闇から不意に殴りつけられたかのように、端正な容姿が阿呆のように崩壊しているのが香南には可笑しかった。
 無論一条は固辞したが、結局押し切られる形で香南の好意に甘えることにした。聞けば、香南も早くに両親を亡くし、今は一人で暮らしているということだった。
 失うものなど何もなく、カラ手で路を紡いで来た二人。ならば、と香南は思う。一度くらい、空いた掌に温もりを求めてもいいんじゃないか、と。例えそれが、お互いの傷を舐め合うだけの陳腐な間柄だったとしても。
 最初こそ香南は一条に妹のように接していたが、やがて家族愛に類似する思いはゆっくりと、しかし確実に変化していった。幼虫がサナギになり、そして羽化をするように。彩りを持つ、あでやかな恋心へと。
 一条と共にいる時間は時が止まったようにいとおしく感じ、一条がいない時間は穴が空いたかのような乾いた空虚さが心中を支配する。香南にとって一条は比翼の片割れであり、香南はずっと一条に里に残ってほしい、と切に願っていた。
 だが、一条を歓迎する人狼はほぼ皆無だった。断続的な自然破壊とに加わり、膨張した悪評が相成って「人間」=「敵」というところまでイメージが定着してしまっていたからである。
 それでも、敵意を向けられようと石を投げられようと、一条は香南の元を離れようとはしなかった。真意は定かでなく、単に衣食住の確保という俗物的な理由だったのかもしれないし、或いはただ純粋に香南の側にいたいということだったのかもしれない。
 いずれにせよ、香南にとっては枝葉の事だった。一条が側にいる、ただそれだけで香南の心は満たされ続けたのだから。


 よく日向ぼっこをした大ケヤキの下
 一緒になろう、と言ったのは一条の方だった。


 香南は最初目を丸くしていたが、やがてその双眸には溢れるほどの涙が膨れ上がった。歓喜に塗り尽くされた全身は震え、言葉が喉に詰まり何も発することができない。幸福感に流されるまま抱きついてきた香南を、一条は優しく受け止めた。
 香南と一条は夫婦となることを誓った。だが、それは香南にとって故郷との別離を示していた。
 古来より、異種族と所帯を持つ人狼は永遠に里を離れなければならなかった。理由は様々だが、一番の理由は純血種がいなくなるのでは、という種の保存だった。ましてや、人狼族の女性は数が少ない。混血種が里に残れば、そうなる公算は非常に高かった。
 しかし、香南にとってはそれすらも取るに足りない障壁だった。袂を分かつ親族も皆無だし、一条の隣こそが自分の居場所なのだから。
 簡素な婚姻の儀礼を済ませた香南は、通行証を掲げて人間界へ降り立った。苦楽を共にする、最愛の伴侶をその腕に絡めて。
 しかし、第一歩を踏み出そうとした二人は不意にひり付くような寒気を感じた。射抜くかの如き眼光を据えた視線に、一条と香南がほぼ同時に彼方の方を見遣った。

 そこに、あの男が立っていた。

 一条が、苦々しい顔を男に向ける。それは刺客や変質者に向けるような、警戒の篭った鋭い眼差しではない。反吐が出るほど嫌な上司を見るかのような、心底うんざりした顔だった。
 一条の体から闘気が萎んでいくのを見て、香南も構えを解いた。一条の様子からして、どうやらこの二人は顔見知りらしい。もっとも、あまりよろしい関係ではないようだが。そうこうする内に、男は土を踏みしめ無表情に二人に近づいてきた。

「今更何の用だ?松島」

 一条が溜息混じりに口を開く。男−−−松島という名前らしい−−−は一条の言葉を黙殺し、代わりに脇に携えていた脇差を静かに抜いた。何をする気だ、と一条が訝しげに眉をひそめる。だが、その疑問は次の瞬間氷解した。

ドス・・・・・・

 松島の脇差が、吸い込まれるかのように一条の腹部に突き刺さっていた。一条は一瞬だけ驚愕の表情を浮かべたが、やがてその体は重力の赴くままに地面に力なく倒れ臥した。
 するり、と一条の体が香南の腕から離れる。その肢体が大地を重々しく揺らし、我に返った香南は声にならない悲鳴を上げた。
 香南が泣きながら一条を抱き起こすが、一条の眼は既に像を結んでいなかった。そして、虚ろな瞳からは間もなく全ての光が失われた。どこかで、糸がぷつりと途切れてしまったかのように・・・
 有るべきものが消ゆる時。それは、一条の体が冷たい無機物へと変化した悲しい証だった。
 香南は、泣いた。泣き声で喉が潰れるほどに。涙と共に眼球をも流れ落としてしまうほどに。咆哮のような嗚咽が山中に響き渡り、香南は一条の亡骸に縋って泣き続けた。

「・・・悪く思うなよ。俺も、どうしようもなかったんだ」

 頭上からのその声で、香南は漸く思い出した。
 今この場に、目の前に松島が居る事を。愛する夫を刺殺した張本人が、自分と一条を見下ろしていることを。
香南の中で、何かが切れた。香南は瞬時に間合いを取ると、視界が歪むほどの憎悪の念を込めて松島を睨み付けた。雷を纏っているのでは、と見紛うほどの高出力の鳴鈴が、松島に向けてぴたりと狙い定められていた。

「どうしようもなかった、ですって!?アンタ達がどんな茶番を目論んでたか知らないけど、私達には何の関係もない筈でしょ!?」
「・・・関係ある。君と一条が結ばれたら、まずいことになるからだ」
「ふ・・・ざけないで!!それこそ、アンタらにとやかく言われる筋合いなんか塵一つないわ!!!」

 香南は、頭がくらくらしてきた。人間側にどんな事情があるかなぞ知ったことではないが、そのせいで自分と一条はとばっちりを食ったとでもいうのか。だとすれば、それはあまりに傲慢かつ身勝手な理屈である。
 これ以上は耐え切れない。香南は、松島に向け鳴鈴を放った。だが、怒りと憔悴により震える手元では照準も狂うのが道理である。松島は鳴鈴を皮一枚でかわすと、一気に間を詰めて香南の頭上目掛けて脇差を振り下ろした。

ドカァッ!!

 だが、脳天を打ち据えた脇差は刃が逆向きになっていた。いわゆる峰打ちというもので、相手の命を奪うのでなく行動不能にするのが目的である。
 致命傷ほどの威力ではない。だが、強度の脳震盪を起こすほどの一撃に、香南はその場に両膝をついた。辛うじて意識は保っているが、それも後二、三分が限度だろう。

「筋合いも・・・ある。一条は・・・人間で、君は・・・人狼だ。だから・・・」

 抑揚のない松島の声が脳髄に染み渡る。香南にはそれが千里の先から届いてくるように聞こえたが、その言葉は何故か香南の全身に水のように浸透した。
 揺らめく意識の片隅で、一条の屍が目に映った。既に血液の流出はなくなっており、血だまりの中に一条が身を預けていた。まるで、血の池地獄に落ちた亡者であるかのように。
 
 赤い、血の色。
 私と同じ、焔のような赤。
 結局、その程度だったのかな。私達の、縁は・・・

 

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