ザ・グレート・展開予測ショー

夜、唄う 後編(X)


投稿者名:馬酔木
投稿日時:(02/ 8/ 4)




 一応、児童公園と入り口に銘打たれている公園は、中身だけ見ると子どもの遊び場と言うよりも単なる待ち合わせ広場のような普通の公園だった。繁華街と住宅街のちょうど境目辺りにある公園なので、あまり子どもは来ないのかも知れない。時計付きの噴水を据えた周りをベンチが取り囲んでおり、入り口のそばにジュースの自動販売機がある他は、奥の方に小さなブランコがあるだけで特別子供向けの遊具や砂場など無い。だが、広さはそこそこあり、花壇の手入れや清掃も行き届いているようなので居心地は悪くなかった。
 昼間は繁華街に繰り出す若者の待ち合わせや、近くにあるマンションの住人が散歩に来たりでそこそこ賑わっているのかも知れないが、夜になってしまえば昼間の喧騒はどこへやら。公園のぐるりを囲む雑木と奥に据え付けられたブランコが風に吹かれて微かな物音を立てる以外、人気も物音も何も無い。
 何も無い、がらんとした公園の中、ピートの唄う子守唄だけが風に響き、融け、消えていく。
 噴水の傍に立ち、途中で不自然に途切れる歌詞を、フレーズを、強引に繋げて繰り返し、ニ、三回唄って終わらせたピートは、近くのベンチに腰掛けているエミを伺うように見て尋ねた。
「……落ち着きましたか?」

「……うん。……悪いわね。いきなり変なこと言って」
 顔を上げて見ずとも、気遣うように尋ねてきた口調からピートの表情を感じ取って、俯いたまま穏やかな微笑を浮かべて答える。
 それで一応、ピートの方は安心したのだろう。
 それ以上何も尋ねてくる気配はなく、ただじっとエミを見守っている。
 子供のくせに、こういう気遣いは妙に大人めいているなとエミは苦笑して、それから、なるべくあっけらかんとした風を装って顔を上げ、話しかけた。
「……それにしても、音痴なのにこの子守唄だけ唄えるなんて、変わってるワケ。一曲唄えたんなら、他の唄も練習すれば唄えるんじゃない?」
「そうでしょうか。……でも、これだって随分練習したんですよ?」
 顔を上げて話しかけたピートは、平均台を歩くように、両手を広げてバランスをとりながら、噴水の縁を歩いていた。こういうところはやっぱり子供だ、と、苦笑して、エミは話を続けるために質問を重ねる。
「随分って、どれくらい?」
「……物心ついてすぐ、から……ずっと、でしたね」
「ずっと?……なのに、歌詞は全部覚えなかったの?」
 何でもない風を装って聞きながら、胸の奥で、ずくずくと心臓が疼く。
 今自分は、ひどいことを聞いているかも知れない。
 ひどいことを聞いているかも知れないと思っても、聞きたいことがあった。

 あの、彼のうなじのいたいけな白さを。
 途中で消える子守唄のわけを。
 あの、夢の中で見た必死に唄う子供を。
 その泣きそうな歌声を。
 あの、一瞬見せた幼い顔を。

 それらのことから自分が導き出した推測に、確信を持ちたかったから。

 ひどいことを聞いているかも知れない。
 ひどいことを聞いているかも知れないけれど、知りたかった。

「……歌詞は、全部覚えてないんです。…………物心ついた時にはもう、唄ってくれる人はいなかったから」

 噴水の縁の上で立ち止まり、ピートは曖昧な微笑を浮かべてそう言った。
 それはいつか、知らないのではなく思い出せないのだと言った時の、あの微笑だった。

「……この唄ね。ひょっとしたら、母の形見かも知れないんですよ」
 曖昧な微笑のまま、ピートは柔らかな口調で風に乗せるようにそっと言った。
「……こんな唄を、ずっと小さい頃に何度も聞いていたような気がするんです。だから、思い出そうとして何度も何度も練習して、自分で唄えるようにしたんですよ。結局、全部は思い出せなかったけれど……」
「……ブラドー島の歌じゃなかったの?」
「多分。……もしかしたら、母のオリジナルだったのかも知れません。言葉はイタリア語ですけど、イタリアの子守唄にこんな唄はもうありませんから」
 七百年も前ですから、あっても廃れて消えてしまったのかも知れませんけどね、と、ピートは苦笑めいた笑みを浮かべる。
 その浮かべた笑みと言葉に、エミは、膝の上でそっと手を組んで、自分の推測が当たっていた事を確信した。
 夢の中で、必死に唄っていた子ども。
 あれはやはり、ピートだったのだ。
 本来なら、親か誰かと暖かく微笑みながら唄うであろう子守唄を、一人きり、闇の中で、血を吐くように必死に唄っていた子ども。
 子守唄の一つも満足に与えられなかった子どもが―――大きくなったふりをして、がらんどうを抱えた子どもが、目の前に、いる。

「歌詞は全部覚えていません。節だって、僕は音痴ですからどこか間違えているかも知れない。それでも一生懸命練習したんです。だって……」

 ふんわりとした、笑顔。
 誰もが無邪気だと微笑ましく言うピートの笑顔は、確かに無邪気だ。
 だって、本当に子どものままなのだから。
 可哀想なほどに空っぽな、子どもなのだから。

「……母さんの思い出はもう、これしかなかったんです」

 もしかすると、母さんじゃない人だったのかも知れないんですけどね。
 そう付け加えるピートの笑顔は、それでも、母親が歌ってくれたのだと信じたがっている顔だった。

 ピートの顔。
 目の前で、あどけなく微笑むピートの顔を、エミはじっと見つめる。

 青く澄んだ大きな瞳。
 太陽に照らされれば蕩けそうな蜂蜜色に輝く黄金の髪。
 蝋人形のような白い肌に、背の高いスラリとした体躯。
 その秀麗な顔立ちまで含めて、ピートはあまりにも父親に似過ぎている。
 ブラドーは純血の吸血鬼であるため、よく見ると瞳が赤みがかっているのだが、それを除いて外見的な相違点は無いと言って良いほど似ている。
 ブラドーの方が表情が厳しく目付きが鋭い上、口調が時代がかっているので喋らせれば区別はつくのだが、それは性格的な違いだろう。
 ピートの外見はあまりにも父親に似過ぎていて、そこから母親の面影を見つけることなど出来ない。

 年齢の違う双子のように似過ぎている父親を前に、幼いピートは何を感じただろうか。
 面影すら記憶に無い母親を求めて、耳に残る幻のような旋律を頼りに母を思い出そうとしたのか。

 噴水の縁の上をくるくると歩きながら、ピートはまた、柔らかなボーイソプラノで穏やかな旋律を紡ぎ出している。
 くるくると、危なげなく噴水の縁を歩くピートの足取りは軽やかであるのに、紡ぎ出す旋律は途中で不自然に途切れ、淀み、無理やりに繋がってまた最初に戻る。そしてまた、途中で消える。

 楔を打ち込まれたように途中で途切れる旋律を耳にしながら、エミは祈るように目を閉じた。
 ピートの耳に、あの優しい旋律を遺したのは、彼の母親だったのか。
 もし母親だったとして、彼を身篭り産み落とした女は、魔性の血を引く子であっても、私の子だと慈しむ気持ちで優しく揺り篭を揺すりながらピートに子守唄を唄ったのだろうか。
 それとも、産声を上げた瞬間から魔物の子と罵り、その命を産んだ我が身をも呪うような憎しみの中、気紛れで唄った子守唄がピートの耳に残ったのか。
 優しい母親であってほしい。
 せめてピートが覚えている記憶の中でだけは、優しい存在であってほしい。
 呪いを駆使する自分に祈るべき神などいないのかも知れないが、それでも、目を閉じて縋るようにエミは何かに祈った。
 くるくると、噴水の縁を軽やかに回るピートの姿に、夢で見た子どもの影が重なる。
 ふわりと金髪が風に舞った弾みに見えたあどけないうなじに、エミは、覚悟を決めた。

 いたいけな子。
 あどけない子。
 欠落を抱えた可哀想な子ども。

 このままでは、いけない。
 いけないと、思ったから。
 この子を好きだと、本気で思ったから。

 エミは、覚悟を決めた。

 途中で消える子守唄。
 誰にも撫でてもらえなかった頭。
 皆から敬われはしたけれど、子どもらしく慈しんではもらえなかった子。
 大人の姿をした鎧の中に隠れた子ども。

 途中までしか唄えないなら、その続きは私が唄う。
 髪の毛がくしゃくしゃになるほど頭を撫でて
 立派だ賢いと褒めそやすよりも、可愛い可愛いとひたすらに愛して。
 ひっそり隠れて暗い所に蹲っている子どもなら、引っ張り出して抱き締めてやる。

 与えられなかったなら、与えてやれば良い。
 失ってしまったなら、新しいもので埋めてやれば良い。

 もう一度。
 もう一度、最初から、全部。

 与えられなかったものを与えて。
 無くしたものは、新しいもので埋めてあげる。

 そう、決めた。
 決めたから。

「ピート」

 覚悟を決めて、エミは呼んだ。

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