ザ・グレート・展開予測ショー

【リレー小説】『極楽大作戦・タダオの結婚前夜』(20)[遠き山にも日は昇り(中編)]


投稿者名:Iholi
投稿日時:(02/ 7/11)

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 見開かれたキヌの瞳に映る令子の姿からは先程までの茶目っ気は鳴りを潜め、ただ畳上で心安けく佇(たたず)むのみである。亜麻色の髪の毛は軽く纏めてからアップにして頭頂部の大きなヘアピンで止めている。小さな丸い明かり窓のみが光源の仄暗(ほのぐら)い和室の中でも、暗色のスカーフはともかく、爽やかな若草色のニットは良く映えている。股下までの裾丈のカーディガンはだぶだぶの長袖である以外は往年のボディ・コンシャス趣味を想起させるが、剥き出しのままの脚を優雅に折り畳んで座する様が不思議とこの純和風に溶け込んでいる。8年と云う時の流れを経て今、そんな姿が一枚の絵となって目の前に存在する奇跡を目にして、キヌは暫し魂を奪われずにはいられなかった。
 ――やっと追い付いたと思っていたのに……やっぱり敵わないな、この女性(ひと)には。
 キヌは心の中できゅっと唇を噛み、この数年間密かに準備してきた言葉を胸の中から引っ張り出す。下を向いて必死に、笑顔の仮面を取り繕いながら。
 ――今度は、泣かない。絶対。
「……じゃ、じゃあ私……」
「でもね、」
「えっ?」
 キヌは面を上げる。打って変わって整った頬に飛び切りの笑顔を浮かべながら、令子は諸手(もろて)を広げている。
「……私、おキヌちゃんの事も大好き! 誰にも負けない位にね?」
「へっ……えっそれはその、つまり……ええーーーっっ!!」
「……あー、そこそこっ、ヘンな想像しないっ!」
 泣くのも忘れて赤面する巫女装束の女性を、何とか現実に引き戻そうと必死な裸カーディガンの女性であった。ウィンクは少々余計だったかも知れない、と内心毒吐(どくづ)きつつ。

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「『(…………)」』((じーーっ))
「(……ははは。)」

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「いや、だからそーゆーんじゃなくてね、その……おキヌちゃんは私にとっては特別……って言い方も拙(まず)いんだっけ。その、何つーか、えーっと、……」
「…………。」
 胸の前で両手を合わせて真っ直ぐ見詰めてくるキヌの紅ら顔が、今の令子には結構なプレッシャと為っていた。熱心な追っ掛けに付き纏われた女子高時代を思い出し、微かな悪寒すら覚える。
「……あ、そうそう、『いもうと』。私の可愛い妹の様なモンで……」
「今流行りの妹モノの世界ですか?……しかも血の繋がっていない義理の妹と……」
「それって何時の流行りなのよ!……っつーか何でアンタ、そんなモンに詳しいかな!」
 令子の蟀谷(こめかみ)に異様な量の血液が集中していくのが、暗がりながら傍目(はため)にも良く判る。幸運にも沸騰直前に自覚したらしく、「人」形の盛り上がりを指の腹でぐりぐり揉み解(ほぐ)しながら、令子は遣る瀬無さ満載の溜め息を吐く。
 ――取り敢えず深呼吸すーーーぅはーーーぁ、……こんせんとれーしょん完了。
「……つーまーりぃ、私にとって貴女は肉親のような者なの。血を分けた本物の姉妹……って云うより、そう、母娘(おやこ)かな。」
「母娘……。」
 キヌの桃色の唇が呟くように反復した。合わせた手の人差し指でなぞると、熱気を帯びで少しかさかさしているのが判った。
「そうそう。最初は本当に何にも知らなくて、幽霊のクセに人の脅かし方から成仏の仕方まで全然解らなかったり。」
「あ、あれは永い事地脈に縛られて安定していたからだって、あの時美神さんだって……」
 両手を握り締めてキヌが反論する。懐かしい所作に、令子の唇もまた薄く綻(ほころ)ぶ。
「まあ、それはそうだけどね。……そんなこんなで貴女を転生輪廻の鎖の中に戻す為に一旦うちの事務所に来て貰って、成仏するまでの間も一人前の幽霊として自立できるようにと現代社会の常識から心霊学の手解きまで色々と教えてあげて……」
「今の労働基準法だと例え幽霊でも年収10950円かっこ課税控除対象かっことじる……じゃあ働かせられませんからね……月給にして912円50銭じゃ当時の小学生のお小遣いより……これだと成仏するまでに働く年数は……」
 キヌはブツブツと呟きながら、膝の上に三つ指を這わせて素早く暗算する。意外と細かい。
 令子は堪(たま)らず、両手でキヌの右手首を押さえ付けた。
「50銭って……だーかーらぁ、そこはさ、授業料とか家賃とかを差し引いたら大体そんなもん、じゃあなくってさ……そんなお金の多少なんか関係無い、汚い打算の存在しない処に構築される清い人間関係こそが、正に理想的な母娘関係じゃないのよ? それに……。」
「……それに?」
 おずおずと訊くキヌ。令子は掴んでいたキヌの右腕をそのまま眼の高さまで持ち上げ、その掌を両手でぎゅっと包み込む。
 そして、労(いた)わりに充ちた眼差しを潤ませて。
「……買出しのお釣りの小銭、臨時収入としてあげてたじゃない、ね?」
「…………。」
 「母」は最強である。

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「『(…………)」』(じとーー)
「(……もう、好きにして。)」

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「んーまあ、それはともかく、ね。」
「あっ……」
 キヌの右手に自らの右手を重ね合わせたまま、令子は膝で畳の上を摺りながらゆっくりとヌの背後へ回り込む。そして、
 ふんわりと、亜麻色の長髪が、
 細い背中に覆い被さる。
「貴女が生き返った時、一人の人間として生まれ変わったときは嬉しかったけど……記憶を取り戻してまた事務所に帰ってきてくれた時はもっと嬉しかった。だって朝目が覚めるといつも、幽霊の時よりもっと身近に成ったおキヌちゃんが目の前に居るんだもの。」
「…………。」
「……だからいつの頃からかな、貴女が一人の生きた人間として幸せにしていると、何だか無性に楽しくなると云うか、こう胸が温かくなってきちゃうの。だから……、」
 背中に預けた頭に、柔らかな温もりと共に「娘」の心音が伝わってくる。
 それは確かに、彼女がしっかりと己の生を生きている、大切な証。
 令子はそこに囁き続ける。どうか、自分の気持ちがしっかりと伝わるように。
「……だから、貴女にとって、自分が一番幸せになれる様に振る舞いなさい? そうすれば、私だって、きっと、」
 ――声が震えない様に、今の自分のこの気持ちが、絶対に揺らがない様に!
「私も、幸せになれるんだから、ね?」
 ……精一杯、笑顔で言えただろうか。
「……それは、私も同じですよ美神さん。」
「え?」
 重ねていた右手の指が、しにょしにょと揉みしだかれる。……存外、指先に力が入っていたらしい。
「私だって、美神さんが幸せだったら自分も幸せな気持ちに成れると思うし、逆に美神さんが不幸だったら、私も不幸な気持ちに成ります。だって……」
「……。」
「……美神さんは、私のお母さんなんですから、ね。」
 背中から伝わる「声」は力強く、そして暖かく令子の耳朶を揺すってくる。
 令子は「声」を受け取り洩らすまいとする様に、更に強く頭を押し付けてくる。
 キヌは左手で令子の左手を取る。そして両の手を胸の前で合わせると、カーディガンを羽織るかのように令子を背負う形になり、更に密着度が増した。
 キヌはもう一度、まだ肌寒い早朝の空気を吸い込む。
「だから美神さんこそ、幸せになって下さい。そうすれば、私だって。」
 幽(かす)かに白んだ息が、薄暗い茶室に溶けて消えた。
 しばらくして、じんわりと背中を濡らす気配がした。キヌは一層深く、令子の両手を抱え込む。
 傍らに置かれた純白のドレスから照り返す、清(さや)かな薄明かりだけが、ただこの部屋の中で2人を見守る存在だった。
 無論、目に映らない者は除いての話である。

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