ザ・グレート・展開予測ショー

【リレー小説】『極楽大作戦・タダオの結婚前夜』(20)[遠き山にも日は昇り(初編)]


投稿者名:Iholi
投稿日時:(02/ 7/11)

 茶室が在る。
 今だにもうもうと土埃(つちぼこり)の立ち込める瓦礫の中、萱で葺いた屋根も奥床しく小奇麗なそれは、まだ夜も明けやらぬ山地の闇を照らす防犯用のサーチライトを非常灯とした丸い明かりの中で、まるで何事も無かったかのようにそこにポツネンと立っているのである。自分の股下くらいの高さしか無い潜(くぐ)り戸の前で、美神令子は半ば呆れるやら感心するやら判じ得ない笑みを浮かべざるを得なかった。
 急に眩暈にでも成った様なぎこちない足取りで、口許を深紅のスカーフで、若草色の男物カーディガンで股下までをすっぽりと覆い隠した女性――美神令子はもう一度茅葺屋根を見上げた。
「人工幽霊一号? 随分とお久し振りね。」
『……お元気そうで何よりです。美神令子・元オーナー。』
 茶室が発する事務的な男声は、どこか湿っぽく令子の耳に響いた。
 令子はだぶだぶの右裾から生やした細い指で、頬を薄く掻いた。
「まあね……会ってさっそくで悪いんだけど、ちょっと今、席を外して頂戴。」
『畏まりました。では、その前に……愛子さん。』
『あ、はいはい。』
 快活な女性の声と幽(かす)かな擦り音のみを伴って、躙口(にじりぐち)の戸板がスッと上がる。そしてその狭い隙間の様な入り口から不定形のベージュ色の物体が、ある種の海生生物を想わせる妙に艶(なま)めいた動きでぐねぐねと這い出してくる。ぷるぷると弾力に富んだその物体は、蹲(うずくま)った大人位の体積を持つその全貌をすっかり茶室の外へ晒(さら)す。そして再びその場でごにょごにょと変形し始め、本来の教卓……の上から美しいストレートヘアを素直に垂らしたスーツ姿の女性の腰から上部分を生やした、これまた珍妙なオブジェへとその姿を落ち着けた。
「あ、愛子……。」
『ちょっと待って美神さん! せーのっ、……えいっ!』
 愛子の下半身、教卓の後ろ側がぐにょりと変形し、盛り上がる。
 どばどばどばどばどばどばどばどばどばどばどばどばどばどばどばどばっ
「…………。」
「……あ、みてみて、美神令子おねーさまよ!」
「あ、ほんとだ。きゃあきゃあ、美神せんせー!」
「うおおーっ、相変わらずのナイスバディ、もう感動ッス!」
「是非っ、是非ーーっ、この俺の彼女にっ!」
 大きく広がった教卓の「口」から、大量の雑多な人間どもが吐き出されてきた。
「……成る程。」
 心持ち色を失った額を覆うようにして、令子はこめかみを揉みしだく。
 ……つまり、今迄「その他大勢」が居た空間は、机妖怪・愛子の本体である所の異世界だったのだ。先ず、愛子が戦闘要員以外の全員を「呑み込んで」、修業場内の小さな茶室へと避難する。後は人工幽霊一号が茶室に憑依し、名立たる霊能者や神魔から供給される強力な霊波を動力源にして集中的に結界を展開すれば、大抵の攻撃は防ぎ通す事が出来る……と云う事らしい。多分。
『はーいはーい、みんな注目ー、静かにしなさーい。』
 慣れた様子で手を叩きながら、愛子が衆目を集める。
『じゃ、みんな行くわよー! せーのぅ、さんっはいっ!』
『「「「「美神せんせー、お帰りなさーい!!』」」」」
 にこにこにこにこにこにこにこにこにこにこにこにこにこにこにこにこっ
「……た、ただいま。」
 湧き上がるこっ恥ずかしさに有無を問う暇も無い。それでも愛子たちは美神の赤面を善意に解釈してくれたのか、皆満足そうに囁きあって解散していった。愛子の異空間がそこに居る者に強制する「青春への熱い衝動」は、この9年の間に一層威力が上がっているらしい。実に恐ろしい事である。
「それじゃ美神さん、はい。」
 放心する令子を現実に引き戻したのは、背後を保(まも)る女性の声。
「え……。」
 振り返った令子の鼻先に漂っているのは、少女のような清らかな笑み、それと……、
「これ、お願いしますね。」
 いや、だから私は貴女と大事な話が。
 さっきまで彼女が着ていた筈の純白のドレスを何ら返事する間も無く手渡される。
 続けて軽く胸元を押された瞬間……彼女の直ぐ後ろに居た横島からは意図的に視線を外したが……何故か遥か後方に立つマリアの笑顔が瞳に飛び込んできた。
 ……笑顔?!
 瞬間、令子は両手が塞がったままぎこちなく後ろにつんのめりながら、どうした加減か開きっ放しになっている躙口に真っ逆さま顔を突っ込んでいた。
「あ……。」
 そう、上下反対の視界のそこに。
 彼女は座っていた。

* * * * *

 茶室の戸が降りたのを確認すると、彼女はすぐ後ろに控えていた忠夫の元へと歩み戻ってくる。その顔に浮かんだ笑顔の意味を、忠夫は少々考えあぐねている内に、彼女は傍らに到着してしまった。
 忠夫のそばで、彼女はもう一度振り返る。
「……きっと、大丈夫ですよね、横島さん。」
「ああ、あの2人なら、きっと……ユリ子ちゃん。」
 忠夫は頷いて、自分の婚約者の影武者を務めた少女の肩に軽く触れた。

# # # # #

「おキヌちゃん……。」
「美神さん……。」
 4畳半ほどの薄暗く慎ましやかな空間の中で、暫(しばら)く沈黙だけが2人の間にあった。しかし、それは二人を隔てる物では決してない。寧ろ二人の間にあった時間の隔て、空間の隔て、そして気持ちの隔て……様々な隔たりが、この幽玄なる茶室の中ではその動きを尽く弱め、止まり、やがて溶け出していく音が「沈黙」と云う形をとって表出しているに過ぎない。
 障子越しの淡い月明かりの中で浮かび上がる白い羽織に赤袴、俗に謂う巫女装束の女性――氷室キヌが、静かに口を開いた。
「……今回の作戦では、妙神山の結界を強化する為に、地脈を自由にコントロールする必要が有りました。で、私は昨日の昼過ぎからオロチ岳に戻って儀式を……神上げした死津喪比女を、この私の身に神降ろしする儀式をしていたんです。でもまさか、噴火を止めるのに役立つだなんて、思いもしませんでしたけどね。」
 キヌは少し疲れた顔で苦笑いしながら、懐から取り出した奇妙な形の横笛をひらひらさせた。

 日本には伝統的に怨霊を神に祭り上げたり、打ち滅ぼした妖怪を迎え上げて味方につける「技術」がある。そこで死津喪比女騒動後に氷室神社が神として迎えいれた比女に、ネクロマンサーの笛を持ったキヌが神楽を奉納する事で――数年前に気持ちを乗せた「曲」を操る事が出来る様になってから、一番の欠点であった「息継ぎ」の問題は解決している――比女の能力を借りて地脈を操る、そんな事が可能になったのはここ二三年の事である。
 さもありなん。今回の妙神山の噴火が地脈の制御に拠る物ならば、雪女ごときが表面をさらりと冷やした処で、熱風を一時的に防ぐ事くらいは可能だろうが、それでも根本的な解決には成らない。

「で、全てが終わった後、鬼門さんが――もの凄く疲れた様子でしたけど、ここに連れてきて呉れたのが、ついさっきです……って、あれ、こんな事、言いたいんじゃないん、だけど、なあ……?」
 キヌは真正面に鎮座する女性を真っ直ぐに見詰めようとする。しかし、何時の間にか目の前に現れた目の粗い擦りガラス越しには、相手がどんな顔をしているのか判然としない。
 静かな2人分の息遣いしか、聴こえてこない。先程まではなおも暖かかった筈の沈黙が急に冷え込んだような気がして、キヌは薄暗い部屋の中に奇妙な不安を感じた。
「ねえ、美神さん……ねえ、聞いて下さいよ、ねえ!」
「おキヌちゃん。」
 ふわりと、温もりがキヌを包み込む。
 ちょっぴり甘い、懐かしい匂い。少し毛羽立ちのあるニットの感触。両脇から背中に回された、暖かい腕。
 鼻先から跳ね返る冷たい触感から、初めてキヌは自分が泣いている事に気付いた。

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