ザ・グレート・展開予測ショー

夜、唄う 中編


投稿者名:馬酔木
投稿日時:(02/ 2/10)

 それはひどくぎこちない唄だった。
 たどたどしく綴られる言葉、ゆっくりと変化していく音階、その柔らかな音を紡ぎ出し小さく震える白い喉。
 その唄を織り成す全てはぎこちなく拙いもので、そして唄は中途半端に途切れた。
 柔らかな音階の中で煙に巻かれたように途中で立ち消える優しい声。
 その声が異国語で繰り返し綴る唄は繋ぎがひどく不自然で、歌詞の意味がわからなくてもその歌が中途で途切れているのだと何となくわかった。
 助手のタイガーが通う学校も冬休みに入った年の瀬の頃、至急を要する仕事でたまたま鉢合わせ、いつものように喧嘩腰になりながら昼過ぎに始まった仕事は夜にまでもつれ込み、どうにか共同作業を終えて令子の事務所に戻ると向かいにあるオカルトGメンの事務所からどこかで聞いたようなボーイソプラノが聞こえた。
 ぎこちなく不自然な休符を挟みながら繰り返し繰り返し歌われる唄の主が誰かと向かいを覗くと、窓辺に立って小さなベビーベッドの中のひのめに歌いかけているのは自他ともに認める音痴の少年だった。
 軽くピアノを弾くだけで学校内の窓と言う窓のガラスを破壊し、音楽で実技テストを行なった日には生徒も教師も軒並み眩暈を起こし救急車が出動する騒ぎにまでなったと言ういっそ天才的な音感の無さを自覚するピートが子守唄らしき唄を一応ちゃんと歌いこなしているのを聞いて耳を疑い、思わずGメンの事務所まで押しかけてしまった一同に、ピートは白い頬をぽりぽりと掻いてこれだけは途中までだが一応歌えるのだと苦笑した。
 その返事に、どうして途中までなのかと尋ねると少年は緩く首を横に振った。
 そして、知らないのではなくどうしても思い出せないのだと曖昧な微笑で笑って見せた。



「唐巣先生がしばらく留守でしょう。教会を閉めたまま一人で留守番しているのも何ですから臨時でバイトをさせてもらっているんです」
 どうしてGメンの事務所で仕事をしているのかと言う問いにそう答え、子守りと兼任ですよと傍らで眠るひのめを見て笑うピートの手は喋りながらも忙しなく動いて山と積まれた書類を未処理と処理済のものとに分けていく。
 Gメン支部には責任者の美智恵と西条の他に常時何人かのGSや事務員が勤務しているのだが、横浜辺りで役所から依頼されての大掛かりな除霊儀式があるため全員出払っているらしい。だから今日はここでも留守番だとピートは苦笑して言った。
「唐巣先生の助手をやってますから現場も手伝うと言ったんですけれど、緊急事態でもないのに学生を現場に出すのは出来ないといわれまして……」
 横島、タイガー、ピート。
 それぞれ、令子、エミ、唐巣の助手であるGS見習の三人だが、その中ではピートが最も一人前のGSに近い。
 やや攻撃的な傾向にあるものの攻守共に能力のバランスが取れており、霊力の出力も安定していて聖魔両方の力が使える。吸血鬼の血を引いているためエビル・アイを使った霊視能力や生身のまま飛行出来る事といった特殊能力も多いので、今すぐ現場に出しても余程厄介なもので無い限り問題は無いだろう。
 それでもやはりバイト雇いの学生に、アシュタロスの時のような緊急事態でもないのに危険が伴う現場の仕事をさせるのはプロのGSとしてのプライドというより大人としてのプライドが許さないのか。
 忙しいなら現場も手伝うと言うピートの言葉を美智恵や西条は「危険だからダメ」の一言で却下したらしく、ピートは重要機密には関係無い簡単な書類仕事と留守番を兼ねたひのめの子守を任されているらしい。
 ひのめには念力発火能力があるので念力封じの札を施しているのだが、万が一のことを考えると普通のベビーシッターには任せられない。そのため産休が明けた後も事務所に連れて来て基本的に美智恵が面倒を見ており、どうしてもという場合は令子が預かったりしている。
 だが、ピートが初めてバイトで来た日、美智恵に急の会議が入ったため寝かしつける間も無く出て行った直後にぐずり出し、泣きやむ気配が無い上に令子もたまたま仕事でいなかったため、困ったピートが苦し紛れに唄を聞かせたら、普段聞いている日本のものではない不思議な歌詞とフレーズを気に入ったのかピートの声が気に入ったのか、何にせよぴたりと泣き止んだそうでそれ以来正式に子守を任されたそうである。
「しっかし、お前の唄で寝つくなんてなあ……。て言うかお前がまともに唄えたとは」
「いや、まあ……本当に、これだけなんですよね。まともに唄えるのは」
 横島達と話し、書類整理に手を動かしながら、机の隣まで引っ張ってきたベビーベッドで眠るひのめの様子に合わせて時折短いメロディーを口ずさむのだがその途中までしか唄うことの出来ない子守唄しかまともに唄えないというのは本当らしく、何度聞いてもピートの声は同じ言葉と同じ音階をなぞることしかしない。
 それでも同じ学校に通っている分ピートの音痴を他より熟知している横島達にとって、ピートが唄えるということはそのこと自体が相当な驚きだったらしく、ピートの喉から「音楽」として認識できる柔らかな音が発されるのをいっそ薄気味悪そうな眼差しで見つめている。
 直接ピートの音痴な唄を聞いたことがあるわけではないエミや令子から見れば横島やタイガーのその反応は些か過敏過ぎるものにも思えたが、裏を返せば横島達がこれまでに聞いていたピートの唄や音楽がそれだけひどいものだっだと言うことだ。
 そのピートがまともに唄える唄ということは、恐らく余程練習したのだろう。
 何のために練習したのかはわからないが、子守唄の優しい音階はピートの雰囲気や柔らかな声にひどく似つかわしく、決して手放しに上手いと褒められるものではないが聞いていて心地よい。
 これが想い人に愛を語る恋歌などであったら誰に聞かせたのかと詰め寄るぐらいしていたかも知れないが、一曲しか唄えない唄が赤子に聞かせるための唄であるというのも実にピートらしい気がする。来客の気配に目を覚ましかけたひのめに唄いかけるピートの横顔を見つめながらエミは、ピートの声に合わせて柔らかな気持ちが自分の胸に広がるのを感じてホッと穏やかな溜め息をついたが、それからすぐに自分達も仕事の後の事務処理をしなければならない事を思い出して慌ただしく腰を上げると、エミ達はピートが出してくれたコーヒーを飲み干した。
 ピートがまともに唄っている事に驚いて押しかけただけですぐ帰るからいらないと断ったのに律儀に出されたそれはまだ入れたての熱さを保っており、飲み干した時に喉を通り抜けた熱はエミ達の滞在の短さを責めているかのようだった。
 書類仕事を中座して生真面目に見送ろうとしたピートを断り、事務室内で手を振って別れる。
 室内に灯された蛍光灯の下で笑うピートの笑顔は真白い人工の光に照らされただ白くぼんやりとして見えた。蛍光灯の光の下、色素が薄いせいか白い顔と黄金色の髪は人工の白い光に融けてしまっていて、服の色ばかりはっきり見えるその姿はまるでショーウインドウのマネキンのようだとエミは思った。
 そうしてその後、事務処理を済ませて自宅に帰りついてからエミは、またピートを誘い損ねた事に気づいて苦笑した。



 その夜エミは奇妙な声を聞いた。
 暗がりの中から何やら唸っているような子供の声が聞こえるので一体何だと耳を澄ますとその声は何かを歌っているらしかった。
 あまりに調子外れなので唸り声のようにしか聞こえないそれはひどい音痴だったが、暗闇の中の子供は懸命に歌おうとしているらしい。少し離れた暗がりの中にぼんやりと浮かび上がるようにして現れた子供の後ろ姿はひどく小さなもので、歌うどころか舌が回るかどうかも怪しいような幼子だった。
 子供の姿は燐光をまとったように淡く光り、幻のように白くぼやけて頼りない。
 か細い肩を震わせ薄い胸に精一杯息を吸い込んで子供は必死に歌おうとしていた。
 あまりに必死なその様子に一体何を歌っているのかと尋ねようとすると子供は消え、それと同時に目が覚めたのでエミは先程見た子供の姿が夢である事に気づいた。
 寝癖のついた頭をかりかりと掻いてぼんやりしたままの頭を刺激する。
 調子外れな音階を必死に直して唄おうとしていた子供。
 か細い肩を震わせ懸命に音を追っていた姿。
 細かく思い出そうとしても霞がかかったようにぼやけていた子供の姿を頼りない夢の記憶から拾い上げる事は出来ず、エミはかぶりを振ると冬の朝の冷たい空気から逃れるためにエアコンのスイッチを入れた。
 夢の中で聞いた唄があまりに調子外れだったせいか、頭の中で耳鳴りがしているような気がする。
 舌足らずな年頃であることを差し引いても尚ひどいとしか言い様の無い外れた音程を辿るか細い声を思い出して、エミはふと、もしかするとあの子供は泣いていたのではないかと思った。

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