ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(47)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(02/ 2/ 8)

* * * * *

 握り締めた拳の中で、鉢植えが乾いた音を立てる。
 咄嗟の事だったので、力の制御が難しかったが、どうにか鉢を握り潰さずに済んだ。
 その代わり、高く海の上を吹き抜けて、急な断崖を物ともしない透明な季節風が、大振りな白亜の花弁と新緑の葉々を柔らかく撫で上げる。

 ピートは独り、崖の上に立つ。

 足元には湿り気の有る砂地の上に名も知らない雑草が生い茂っている。
 天然に設(しつら)えられた段だら薄緑の絨毯の上に、大きな鉢を抱える青年の影法師が丸く落ちる。
 一歩一歩、崖の突端に向けて厳かに進められる革靴が、そこだけ丁寧に除草された2メートル四方の石壁に囲まれた平坦な盛り土の前で止まる。

 ピートは独り、墓の前に立つ。

 スラックスの膝頭が汚れるのも構わず、青年は跪(ひざまず)く。
 均(なら)された盛り土の上に置かれた、古い石版を掻き擁(いだ)く。
 暫くそうしてから、もう一度その身を離し、石版の表面を見詰める。

 THERESA DE DOLORES DE VLADISLAVS
               R.I.P.

 余りに素っ気無い文面に、青年は奇妙な笑みを静かに漏らす。
 幼い頃から見慣れていた、その筈なのに。
 ここには、何も無い筈なのに。
 何故か、涙が溢れてきた。

* * * * *

 「Adieu, mon petit loup! (アディゥー、モンプティルー=おやすみ、私の可愛い子。)」
 地獄の轟音と灼熱の中で、母は息子に微笑みかけた。
 そして、
 母は子守唄を唄ってくれた。
 急速にその勢いを増した時間の奔流に全身を打たれ、弄(なぶ)られ、砕かれながら。
 母は唄い続けた。自分自身と、自分の子供たちと、ありとあらゆる者たちの為に。
 生くるべき者が生きていき、死せるべき者が死んでいく為に。

 そして息子は答えた。
 「Adieu, maman! (アディゥー、ママン=おやすみ、お袋。)」
 橙色の揺らぎの中、変わり果てた母は俄(にわ)かに微笑んだ様に見えた。
 それは錯覚かも知れない、とぼんやりと思う青年の細腰を、太く逞しい腕が掴んだ直後、全ては紅蓮と高熱と硫黄の臭いに包まれた。


 仲間たちの無事と「妹」の手に為る自分とカオスの救出、ヌルと母そして「妹」の最期を知ったのは、翌朝に漸(ようや)く目を覚ました時だった。

* * * * *

 「心はいつもあなたと共に」

 「バラバラの家族……そんな生き方だってあるじゃない!
  せっかくつながった心を、断ち切らないで!」

 どちらの言葉も、現代へ帰ってきた後、それぞれドクター・カオスと唐巣神父から「ある人の言葉」としてピートが承(うけたまわ)ったものである。
 ――人の想いは時間も空間も超越する。殊(こと)に愚直な人間ほど、そう信じたがる。

 だがその言説は皮肉にも、両者の間に時間的・空間的断絶が起きてから初めて発せられるものである。つまりこうした「願望」が生まれると云う事は、逆に両者の間に生じた乗り越え難き絶壁をよりはっきりと浮かび上がらせてしまうのだ。幾ら目に見えない「つながり」を信じていようと、依然目の前に立ちはだかる障害を無視する事は適(かな)わない。
 そしてより強固な現実を前に、願望はやがて絶望へと変わる。所詮「ひと」と「ひと」とのつながりなどは、その接点を減じていけば自(おの)ずと消滅していくものなのだ。
 結局、「ひと」と「ひと」は、つながってなどいない。

 しかし、とピートは止揚(しよう)する。
 その儚(はかな)い想いすらも現実としようとする「ひと」が居るとするならば、どうだろうか。目の前の断崖などお構いも無しに、自由につながり合い求め合う強(したた)かな魂たちがそこにあるならば、それが只の絵空事であったとしても彼らは「絶望」に絶望しない――今、彼の頬を優しく擽(くすぐ)る季節風の様に。

 母と再会し、ほんの束の間の間とは謂(い)えど、二人は時間と空間を共にした。
 真正面からの邂逅(かいこう)ではなかったけれど、僅(わず)かな触れ合いの中から蘇(よみがえ)ってきた二人の「絆」……その絆を信じる自分たちの想いの強さを、彼は信じたい。
 だから自分は受け入れたのではなかったか? ――母の惜別(せきべつ)の言葉を。
 だから自分は受け入れたのではなかったか? ――母の魂の子守唄を。

 そして彼は返答した筈だ。――来るべき審判の日まで、母と妹たちの受ける苦痛が少しでも和らぐ様、父なる神の慈悲を祈りながら。


 実はプロメーテウスの神話には、まだ続きと呼ぶべき物語が在る。

 インドのカウカソス山に繋がれた彼の生き胆を啄食(ついば)み続けていた怪物大鷲は、英雄的半神へーラクレース(ヘラクレス)によって退治される。この「息子」の英雄的行動に感じ入った主神ヅェウス(ゼウス)は、かの「オリュンポス神族凋落(ちょうらく)の予言」と引き換えにそれ迄の反逆的行為を全て不問にするとの条件の下で、プロメーテウスを放逐する事にする。

 一方、大洪水によって一掃された大地に残されたのは、プロメーテウスの予言に因って箱舟で難を逃れた一組の半神の男女だけだった。
 男はプロメーテウスの息子、デウカリオーン。
 女はプロメーテウスの兄弟エピメーテウスと件のパンドーラー(パンドラ)の間に生まれた娘、ピュルラー。
 この二人がヅェウスに許しを乞うて授かった術により、土くれと石から新しい――現人類の直接の先祖となる――「人類」を生み出したのだ。

 さて、プロメーテウスの自由な魂は、縛(いまし)めから真に開放されるのだろうか?
 そして彼らの子孫たちは、パンドーラーの残した「希望」をどう思慮(エピメ―テウス)するのだろうか?
 それは、神話の語る処では無い。

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