ザ・グレート・展開予測ショー

夜、唄う 前編


投稿者名:馬酔木@出戻り
投稿日時:(02/ 2/ 8)

 彼のうなじは、満月の晩に月光を受けて輝く新雪の原のようだ。
 襟足を少し長めに伸ばした髪に隠されて普段日の目を見ることのないその部分の肌は、生まれつき白い彼の肌の中でもことのほか白く透き通っているように感じられ、時折ちらと覗くその肌を垣間見る時、女は何かを連想しかけて考えることがあった。
 太陽の光をさんさんと浴びて健やかな蜂蜜色に輝く髪に隠された、病人のような青白いうなじ。
 成熟を迎えることなく時を止めてしまった彼の体の中でも特にその箇所に彼の未発達でいたいけな部分が集まっているように感じられて、女は考えながらきゅうと胸を締め付けられるように感じた。
 ああ、あれは何の肌か。あの白い白い淡雪のような肌は、一体何に似ているのか。
 胸に浮かびかけては消える連想の答えは出ないまま女は雪のような白いうなじを持つ少年に笑いかけ、その身に数百年の時を宿した少年の姿の人外は、女に優しい微笑みを返した。



 みどり あか しろ
 そのほかいっぱいのきらきらと輝くきれいなものに彩られた、まち。
 ついこの間まで紅葉の赤や黄色い銀杏で飾っていたように思うデパートの中からあっさりと締め出された秋の気配に変わり、我こそ主と言わんばかりに広い吹き抜けのホールに鎮座する巨大ツリーを見上げてエミは呆れたような微苦笑をこぼした。
 ああ、今年もまたこの季節がやってきた
 雰囲気作りのために礼拝に向かうカップルに代表されるにわかクリスチャンが増え、街中には飾り立てられたモミの木と十字架や天使を模した小物があふれ、ケーキ屋の店頭に赤い服を着た従業員が立つ季節。
 この国の国民の大多数にとっては単なるお祭りイベントで、そこら中にあふれる賛美歌も十字架もさして意味の無いものだとはわかっているけれども、黒魔術を扱うエミにとっては少々居心地が悪い気もする季節だ。
 ただのお祭り騒ぎであっても街中に飾られるモニュメントは全て聖なるものの象徴であるし、そこかしこから流れる賛美歌もれっきとした宗教歌であるからか街全体が普段より神聖な空気で満たされる中、自分の存在だけが暗くどんよりと沈んでいるように思えてこの季節になるとひどく塞ぎ込んでいた頃もある。
 そこまで悩んでいたのはすでに昔のことで、今はエミ自身も楽しいお祭り騒ぎとして受け取れるイベントだが、それでもほんの少しの寂寥感は否めない。
 だからそんな時は好きな相手の顔を見に行くに限ると、街が緑と赤と白の洪水で埋め尽される季節が始まる頃には唐巣の教会を訪ねるのがエミの恒例行事になっていた。
 師である唐巣の教会に住み込んで、キリストの教えを守り敬う敬虔な吸血鬼。
 きっと今頃は、クリスマス礼拝に訪れる来訪者に備えて掃除や飾り付けをしようと唐巣と共に走り回っている頃だろう。
 れっきとした人間である自分がクリスマスの神聖な気配に違和感を感じる傍らで、吸血鬼であるあの少年が喜々としてその準備のために張り切っているというのも考えてみればおかしな話だが、それもあの少年の場合はまあピートならと納得してしまう。
 日頃張り切ってモーションをかけまくっているので怯えられている節があるのは認めるが、それでも普通に訪ねれば彼は優しく迎えてくれるだろうから、何でもない挨拶のように立ち寄って、クリスマスにはどこかに行こうと誘ってみよう。勿論、クリスマス当日は教会でミサをするからと断られるだろうがそれで良い。会って言葉を交わすことが出来れば、それで。
 ただこのふと感じる寂寥感をあの笑顔で埋めたい―――
 夜こそ相応しい闇の眷属の血を引きながら太陽のように朗らかに笑う少年の笑顔を思い浮かべ、エミはデパートに入りかけていた足をふと止めて方向を変えると住宅街へと向かった。
 あかしろみどりと輝く街を抜ければいつも通りの家並みが続くごく普通の住宅街で、通りに沿ってしばらく行けば白塗りの教会が見えてくる。
 キヌが生身に戻れた時の一件で崩れたそれは最近新築し直されたため、排気ガスや長年の埃で煤けた建売住宅が居並ぶ町の中で一層その白さを際立たせている。
 唐巣が正式な神父ではないため宗教法人ではなく個人住宅として登録されている建物だがミサや折々の説法等は開いており、唐巣の人柄を慕って除霊以外の件で相談に来る者も少なくないし頼まれれば結婚式なども行ないクリスマスの時期も講堂内や周囲の柵を簡単に飾りつけてイヴとクリスマス当日の夜にはミサを開く。
 街の商店街がクリスマスカラーで賑々しく彩られる頃に飾り付けられる教会の飾りは控え目なものでそのささやかな化粧を目にするのをエミは楽しみにしていたのだが、その日彼女を出迎えたのはそっと飾られ開かれた講堂ではなく頑なに門を閉ざした鉄の柵だった。
 時折訪ねて来る信者や来訪者のためにいつも開け放しになっている筈の門には見慣れない錠がかけられ、その奥に見える講堂の玄関もひっそりと閉ざされている。
 柵や敷地内の木への飾り付けも無いうら寂しい様子にどうしたものかと立ち往生していると、軽快な足音が聞こえた。
 時計のように一定のリズムを保って走り来る足音は軽やかで気持ち良い。
 運動靴がアスファルトを蹴る軽い音に乗せて名前を呼ばれ振り向くと、晴天の太陽の光に溶けて蜂蜜色に輝く黄金の髪を揺らしながらピートが駆け寄ってくるところだった。
「こんにちは。唐巣先生にご用事ですか?」
 学生鞄を小脇に抱えて走ってくると、少し手前で立ち止まってそう話しかけてくる。
 普段あれほどモーションをかけているというのに、ピートにではなく唐巣の方に用事があったのだろうと思って尋ねてくる真っ直ぐな鈍感さが彼らしいと曖昧に笑うと、ピートは鞄から鍵を取り出して柵にかかった大きな錠前の鍵穴にさし込んだ。
 鍵穴を覗き込んで俯いた弾みに柔らかな髪がさらりと流れて普段は隠れているうなじが露になる。
 学生服の詰襟で半分ほど隠れているが滅多に日に当たらないその部分の病的なまでの白さは相変わらずで、エミはそれを見るたびに連想しかけては形にならずに消える何かを思って心の中で首を傾げた。
 太陽を知らない白い肌。体と頭を繋ぐその緩やかな曲線。
 この少年の中に残されたいたいけなものが全て集まったようなその頼りないうなじの白さにエミはまたきゅうとした痛みを覚えてそれをごまかすように話しかけた。
「随分厳重ね。最近はこの辺も物騒なワケ?」
 がちゃりと無粋な音を立てて外れた大きな南京錠を見て冗談混じりに笑う。
「いいえ。そういうわけじゃないですけど、ちょっと先生が留守なので」
 そのエミに自分も笑い返して言いながら、ピートは錠前と鍵をまとめて片手で持つと、鉄柵の門を軽く押した。ほとんど力を入れてないようなその動作に、門は軋んで重そうな音をたてながら易々と開く。
 どう見ても平均的な体格の―――もしかすると平均よりも非力そうに見えてしまいがちなこの少年の体が人間とは違った規格で出来ているのだということを認識するのはこういう時だ。
 人間ならもうちょっと力を入れないと動かないような蝶番の錆びかけた鉄柵を易々と開け、真冬のこの時節に何の防寒着も無いまま学生服だけで平然と寒風の中に立っている強靭さ。
「神父がいないにしても厳重ねえ。それに今年はクリスマスの飾り付けもまだなワケ?」
 風に吹かれてちらちらと覗くうなじの白さにこちらが寒いような気分になり、コートの前をかき合わせて言ったエミに対してピートは一瞬きょとんと瞬きすると、次には申し訳なさそうな風にその表情を変えた。
「あ……。エミさん、もしかしてそれを見に来られたんですか……?」
「え。あ。ううん、ついでなワケよ、ついで!」
 飾り付けよりもむしろピートの笑顔を見たくて来たのだが、すまなそうに項垂れた表情から今はそうして軽口を叩くべきではないと判断し手を振ってごまかす。それでも生真面目な彼は気にしてしまったのか、眉を顰めて苦笑しながら言った。
「すみません。今年はクリスマスの飾り付けも、ミサもしないんです。先生がずっと留守で、年明けにならないと戻られませんから」
「年明けに……?それはまた長いわね」
「オックスフォード大学のヘルシング教授から、オカルト研究のゼミ生に悪魔祓いについての集中講義をという依頼だそうです」
 だから閉めてるんですよと、指に錠前を引っ掛けて回す仕草は思いの外あどけなかった。
「あんたはついて行かないの?ヘルシング教授とは長い付き合いでしょうに」
「僕は学校がありますから。それに大学の講義なら危険なことはありませんし助手はいらないでしょう。だから今回は留守番です。……あ。先生に何か急ぎの御用でしたら、向こうの連絡先を……」
 何かメモを取り出そうとした少年に、そこまでしなくていいと言って手を振る。
 ちょっと顔を見に来ただけだからと踵を返し、ピートが門を閉める音を背中で聞いてふとエミは立ち止まった。
「……しまった。唐巣のオッサンが留守なら、誘えば良かった」
 毎年毎年イヴの予定を聞いてもクリスマス・ミサの手伝いを理由に断られているのだ。それでも去年は横島達に誘われて夕方からキヌ達とパーティーをしたらしいので今年はイケるかと思っていたのに。
 保護者の唐巣が留守なら尚の事チャンスだと言うのに、いつになく厳重な戸締りや唐巣の長期海外出向の話に驚いてころりと忘れていた。
 ピートが門を閉めたところに今から戻って誘うのも、何となく格好悪い。
 まあクリスマス本番まではまだ時間がある。
 頃合いを見計らってまた誘おうと、エミはゆっくりとした足取りで教会から立ち去った。

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