ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(46)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(02/ 1/23)

* * * * *

「ママ、ひのめ、居る? ……あれ、この曲。」
 分厚い木の扉を開けると、美神の耳に耳慣れた曲が飛び込んでくる。しかもこれは、アドリブの調子やら演奏の癖までも完全に頭の中で再生できる位まで、幼い頃から繰り返し聴いて覚えた我が心の定番。
「あら令子、来たの。」
 20畳を越す広い部屋の奥から、何とも素っ気無いメッツォソプラノが応対する。まだ産まれて間も無い妹・ひのめが静かな寝息を奏でるベイビィ・ベッド越しに母・美智恵は編み物の手を休めず顔だけを長女に向けている。
 この女性は相変わらずのマイペイスを崩さない……長女が先日死ぬかもしれない酷い目に遭ったと云う事は充分承知しているにも関わらず、である。家族共々離れ離れの生活が余りに永かったとは云え、ここまで行くとまあ大したものである。


 美神たちが研究施設のある塔を脱出してから程無くして、塔の立つ岬は崩れ始めた。
 そして煉獄炉を含めた全ての研究施設がすっかり眼下の海中に没した頃、島全体を揺るがす様な激しい振動とくぐもったような低い轟音と共に、月明かりの中に巨大な水柱が湧き揚がった。
 城の方でも断線しきれなかった配電設備が数箇所ほどそこそこ大きな爆発を起こしたが、幸い大規模な火災は免れた。

 翌朝、テレサの研究室のソファのクッションの下から置き手紙が見つかった。
 内容は、城内研究施設の完全なる放棄と某国への人造兵鬼売却取り止めの欲求、自分の旦那や息子のこれからの処遇と財産の管理、それと麓の村で長老をしている元執事への紹介状と、それだけ。
 かくしてその手紙の通り、ピエッラこと幼き日のピエトロ・ド・ブラドーは長老家で他の庶民たちと全く同じに育てられる事と成った。

 カオスは研究施設に在った材料で「時空超越内服液」を合成。残った雑務をを終わらせた後、文珠のサポートも借りて一行は現代へ戻る事に成功した。
 戻った先にはマリアと人工幽霊が呼んだ西条の他に計画当事者の唐巣神父&厄珍、西条が呼んだ魔鈴めぐみ&小笠原エミ、更にマリアが呼んだ大家のお婆さんが居た。
 果たしてその場で繰り広げられたであろう騒動の顛末(てんまつ)については、読者諸氏の豊かな想像力に任せる事としよう。

 ともかく丁度連休も重なったので、事務所は暫(しばら)くの間全ての依頼をキャンセルして、不定期の休業を決め込んだ。キヌは実家に帰って骨休みをしているらしい。横島は夜になると晩飯を集(たか)りに来るが、人工幽霊に言って適当にあしらって貰っている。
 そして美神は今日、一つの思いを胸に秘めて母の元に顔を出したのだった。


「どうしたの、今日は?」
「ん、どうしたのって……。」
 母がこんな態度を取る人間である事は充分過ぎる程理解している筈なのだが、あの様な目に遭ったばかりの美神としては口篭もらざるを得ない。油の足りない心の歯車が只管(ひたすら)空回りして、ストレイトに問いを口にする事すら躊躇(ためら)われる。
 逸らした視線の先に在る母の編み棒捌(さば)きに、ふと目が止まる。それは時にはリズミカルに、時にはダイナミックに時を刻む。
 それは、先程から流れ続けているヂャズの呼吸だった。
「ん、ねえママ、この曲、とても懐かしい気がするんだけど……私、小さい時に何度も聴いてたわよね?」
 毛糸の乗った小さいテイブルの上に持参した紙の小箱を置いて、美智恵の傍らの安楽椅子に腰を落としつつ美神が訊ねると、母は驚いた様に頭(こうべ)を揚げた。
「……ええ、これは貴女がまだお腹の中に居た時に、繰り返し繰り返し何回も聴いていた曲なのよ。まあいわゆる胎教って奴かしらね。」
「やっぱり! ……あ。」
 思わず出た自分の大声に美神は青褪める。素早く両手で口を覆って、目の前の囲いの中を覗き見る。
 ……幸い妹君は、ぐっすりと熟睡あそばしているご様子。二人は揃って溜め息を吐(つ)くと、思わず顔を見合わせて静かに笑った。
 美神は母を横目にしながら腕を組んで頷く。思わぬ処から本題に入れるのを渡りに舟と言わんばかりに、しかし声の調子を慎重に落として美智恵に言う。
「……成る程ね、道理で。言わば、この曲こそがママが私に送って呉れた「子守唄」な訳ね。うんうん。」
 特に否定をするでもない美智恵の様子に、美神は満足そうに首を振る。彼女は、今回の一件でどこかしら気に成っていた自身のルーツが明らかにされた事に軽いカタルスィスを覚えていた。
 しかし悦楽の時はそう永くは続かなかった。長女の仕種を最初は怪訝そうに見ていた母が一転、含み笑いに興じ始めたからだ。
 丁度、曲は何度目かの山場を迎えようとしている。
「マ、ママ……?」
「……ふふふっ、ふぅ、ご免なさいね。ええ、確かにこの曲は貴女への子守唄、みたいな物ね。でもね、この曲……と云うよりこのレコード自体、実はあの男(ひと)のなのよ。」
「えっ、あっ、あのひとって……ま、まさか?」
 打って変わって、今と成ってはすっかり色を失った娘の顔に、美智恵は何か面白い物でも見るかのような眼差しを送り続ける。
「そう。この家にあるヂャズの名盤はみ〜んな、あの男のコレクション。私だって若い頃はずっとポピュラァ一辺倒だったのに、あの男に出会って以来すっかり嵌(は)まっちゃって。」
「うそ……。」
 恋に夢見る少女の様に仄(ほの)かに上気した頬を隠そうともしない美神美智恵39歳とは対照的に、夢も希望も枯れ果てた老女の様にやつれた顔を両手で覆う美神令子20歳。
 大好きな母との繋がりの一つとして、そして時には生命を刻む旋律として自身の中に根付いていたこの「子守唄」が実は父の物だったなんて。先日晴れて和解を済ませたのだから、決して父を受け入れる事が出来ないと云う訳では無いのだが、この20年+腹の中での1年間もの間ずっと騙され続けてきたと云う感覚は、拭い去ろうにも急に拭い切れる性質の物ではない。
「あの「子守唄」が、私の「子守唄」が……パパのだったなんて。」
 なし崩し的に、脱力し切った半身を椅子の背凭(せもた)れに預ける。
 後方に折れた視界の隅に、不審な物を捉えた。
「ぱ……お、おおお親ぢぐ」
 不審物こと鉄仮面教授・美神公彦が素早く娘の口を手で塞(ふさ)ぐ。空いた左手の人差し指を自分の唇の上に宛てて、低く息を漏らす。
「しーーーっ。」
「…………。」
 美神が落ち着いたのを確認して、父親はゆっくりと娘から手を離す。10余年以来久し振りに触れた父の手は、美神が記憶していた程ではないにせよ、大きくて暖かかった。
 更に後方に首を回(めぐ)らせると、奥の扉が開きっ放しに成っている。どうやらこの男はずっと奥の部屋に潜んでやがったらしい。
「パパ、か。そう呼んで呉れたのは……小学校6年生の夏休み以来だな。」
「なっ……ど、どうしていちいちそんな細かい事憶えているのよ!」
 真っ赤に成って小声で反論している美神にいつもの元気は無かった。公彦は仮面の眼窩から覗く両目をやんわりと細め、頭蓋の上から後ろ頭を掻く仕草をした。
「親とは本来そう云うモノさ。おっ、テイブルの上の箱の中身は……ミルフィーユか。」
「あ、だから勝手に人の頭の中を覗くな〜〜!」
「いや、娘の心を覗き見する趣味は私には無い。……当てずっぽうが当たるとはな、ははは。」
「……ううう〜〜。」
 堪らず美神は立ち上がり、微笑みを浮かべる父の胸を両手でポカポカと乱れ打つ。
 意外と叩き甲斐の有る父の胸部の肉厚を感じながら、今度来る時は父の好物だけは選ぶまいとの誓いを篭めて、握り締める両手に更に力を加えた。

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