ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(43)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(02/ 1/18)

* * * * *

「……ふう。」
 闇と冷気と静寂が支配する空間の中、青いGパンにスニーカァ、黒地のTシャツの上に長髪を垂らした少女はただ、溜息を吐(つ)いていた。
 絶え間の無い氷の幕、と云う形容が第一に彼女の脳裏に閃く。その幕の更に内側の層を昇っていった地脈の清涼な流れは、水飛沫(みずしぶき)の様な細かい光の粒を伴いながら、更に奥の層から再び地へと帰る。その神聖な自然の営みを視覚的に認識できるのは、少女が持つ特殊な履歴に基づく特殊な能力故である。
 少女――氷室キヌは恐る恐る、青白く輝く氷幕に右手を重ねる。春の朝の清浄な曙光を受けて輝くレイスのカーテンの様な外観に反し、その表面はごつごつと堅く身を切る様に冷たい。
 それでもキヌは低い唸り声を響かせながら、氷幕との接触を続ける。その内に片手だけでは飽き足らず、両手を押し付けるようにしてなおも粘る。
 接触面に、青白色の火花が幾筋か散る。
「…………、ふう。」
 溜息と共に、漸(ようや)く手を離す。首からぶら下げている紺色のスポーツタオルで濡れた掌を拭い、更に口が開けっ放しに成っている腰のポーチから使い捨て懐炉(かいろ)を取り出して、消失した両手の感覚を回復させる。
 特殊なキャリアが永過ぎた所為か、はたまた生来のそそっかしさからか、ともかく彼女は自分の肉体を上手に使う事が得意ではない。これでも随分慣れてきたつもりなのだが、身体よりも霊魂が直ぐに出てきてしまう癖も未だに抜け切っていない。
 それなのに、ここに来る時にも散々足を滑らせてきた縄梯子をまた使って、あのウンザリする崖を登っていかなくてはならないのだ。
 崖の中腹に穿(うが)たれた洞窟の入り口の、真新しい鳥居を見上げながら、キヌはもう一度だけ深く溜息を吐いた。


「ま〜た、祠に往ってたっぺか。」
「うん……。」
「あ、葉っぱ。」
 抓み上げた小さな葉に息を吹き掛けて飛ばしつつ、早苗は作業を再開する。
 日当たりの好い縁側の上で、キヌはその長い黒髪を早苗に梳かして貰っている。か細い義姉(あね)の手によって古風な黄楊(つげ)の櫛を優しく透(とお)された漆黒の髪は昼下がりの長閑な日光と春風に晒(さら)されて、涼やかな春の小川の様にキラキラと波打ち輝いている。
 ラフなショートカットの義姉(あね)は、魅せられた様な眼差しで義妹(いもうと)の御髪(おぐし)を撫で上げる。
「あの氷がおめさの身体や生前の記憶を保存すていたから、ひょ〜とすたら自分が意識していない、物心付く前の記憶も保存されとるかも知んねってのはいい考えだっぺが……まあ、そう焦る事は無っぺ。幸い今のおめさにはまだまだ時間が有るだす、ねえ?」
「……うん、そうだね、お姉ちゃ、んっ!」
 突然、義姉が背中を抱いてきた。ふんわりと前に回された両腕の暖かさが、義妹の肩口には日の光の様に心地好い。その腕に、ゆっくり手を触れてみる。
 キヌの耳元に、早苗の息が掛かる。
「……なあ、おキヌちゃん。」
「なあに?」
「……例えおめさがご両親や本当の家族の事を思い出すたって、うちの父っちゃも母っちゃも……わたすだって、やっぱすおめさの家族だっぺなす?」
「勿論、当たり前じゃない。 みーんな、私の大切な人なんだから……。」
「そっか……。」
 雫が落ちてきた感覚を腕に覚えてもまだ、義姉は義妹の肩を抱き締めて離さなかった。
 遠くの山で、ホトトギスが一声鳴いてみせた。


「ご免ね、お姉ちゃん……。」
 暗闇の中、大きいピンクの水玉模様が描かれただぶだぶのパジャマズに包まれたキヌは、隣の部屋の壁に向かって短く詫びを入れた。
 その日の夜、窓越しの薄青い月明かりの下でベッドの上に座した彼女の手の中に有るのは……薬包紙に包まれた、一撮(ひとつま)み程の粒子――「砂男の砂」(ザントマンスザント)。
 何でも先日、お耽美妖精こと鈴女がドイツに居た頃の数少ない知り合いである妖精砂男(ザントマン)のエルンストに再会した時に分けて貰ったんだとか。砂男は全身ダブダブの寝巻きを着た子供の様な姿の妖精で、子供たちの目に魔法の砂を引っ掛けて目をショボショボさせて眠りに誘い、楽しい夢を観させてくれる。ただし魔法の砂を掛けても眠ろうとしない子供が居ると、砂男はその子供の目を刳(く)り抜いて持っていってしまうと云うブーギィマン的な一面も持つらしい。が、それは眠れない子供たちに対する彼らなりの配慮の結果らしい。はた迷惑な話ではあるが。
 で、これがその魔法の砂であり、本人が意図的に使うと望みのままの夢が観られるらしい。どうした経緯か横島の手に流れたものを、偶然手に入れる事となってしまった。
 そこで、キヌが観たいと望むのは……幼き日の思い出。
 彼女には両親の記憶が無い。物心付く頃には既にオロチ村の寺に預けられていたが、両親は死津喪比女が遠因である処の地震により亡くなったとの話である。否(いや)、正確には一つだけ、自分と両親を結び付ける記憶の便(よすが)が存在する。それは……子守唄だ。

  この子の可愛さ 限り無し
  山では 木の数 萱(かや)の数
  尾花 苅萱(かるかや) 萩 桔梗(ききょう)
  七草 千草の数よりも
  星の数より まだ可愛
  可愛いこの子が ねんねする
  ねんねん ねんねこ ねんねこやあ
  ねんねん ころりよ おころりよ

 今回の件で、キヌにも自分の両親に対して俄然(がぜん)興味が湧いた。
 今迄は、自分が現在の自分である事を根拠付ける起源を幽霊時代の自分に求めて満足していた。しかし自分にたった一つだけ「子守唄」と云う導きの光が残されている事に気付かされてしまった今、改めてそれを追い求めてしまう彼女を「後ろ向きだ」と責めてしまうのは野暮と云う物か。
 キヌは硬めのベッドの上にゆっくりと体を横臥(よこた)える。お腹の辺りに置いた包みを手探りで開き、零(こぼ)さないよう慎重に中身を取り出す。
 一度、深呼吸する。不意に鼻がむず痒くなったが、我慢してクシャミを抑える。
 右手の三つ指を顔の上に持ってきて、もう一度深呼吸。
 先(ま)ずは左眼に一振り。微(かす)かな異物感。
 続けて右眼にも一振り。最初の程の感触は無い。
 枕元の棚の上に空に成った包みを手探りで軽く畳んで置き、布団を顎まで引っ被る。
 月明かりの下、昼間の疲れも手伝ってか、安らかな睡眠は直ぐに訪れた。

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