ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(42)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(02/ 1/15)

「……もし、スィニョール。」
「……あ、うん……? う〜〜ん。」
 優しい声と肩口に加わる振動に促され、闇に満たされていた視界を開放する。つまり、目をゆっくりと開ける。
 目に飛び込んでくる光の針のような刺激を徐々に馴らしていき、ピンボケした視界を手の甲で拭うと、ピートは温もりを感じる左肩越しに首を傾ける。
 初夏の空を想わせるような薄青い制服を卒なく着こなした妙齢の客室乗務員が、濃い目のブロンドを軽く揺らしながら微笑んでいる。
 彼女は整った口元をゆるやかに綻(ほころ)ばせた。
「無事に目的地に到着致しましたよ、お客様。」
「目的、地? ……あ、ああそうか。」
 きょろきょろと周囲を見渡すと、他の乗客たちはすっかり姿を消していた。もし彼が廊下側の席だったのなら今頃他の客の迷惑と成っていたのだろうが、幸運にも今回の彼の席は窓側だった。
 乗務員はもう一度笑い、手にしたカップをこの暢気(のんき)な乗客に差し出す。
 反射的に両手で受け取ったカップの中は、色の枯れた抹茶さながらの薄褐色の泡に覆れていた。そこから発するほろ苦く、仄甘い湯気が更にゆっくりとピートの意識を回復していく。
「あ、ありがとう。」
「ドリンクサーヴィスの時間には、お休みになっていらっしゃいましたので。起き抜けはお砂糖を多めにした暖かいカップッチーノが宜しいかと。それとも、ミネストローネスープの方が良かったかしら。あちらはニンニクもたっぷりで元気が出ますから。」
「あはは……これで充分ですよ。」
 実はドリンクサーヴィスの時間にそのニンニクの臭いに中(あ)てられ気絶同然で眠りに就いた、などとは口が裂けたら言えない。
 ピートは手の中の甘く暖かい飲み物を謹んで頂戴する事にする。
「現在のローマの天候は晴れ。気温は24度で湿度は10パーセント。風も穏やかで正に旅行には打って付けですね。」
「……そうですか、それは良かった。これ、ご馳走さまでした。お蔭ですっかり目が覚めました。」
 ピートは立ち上がり、空のカップを差し出す。
「いえいえ……あの、失礼ながらお客様。」
「ん?」
 乗務員は豊かな胸元にあるポケットから白い何かを取り出し、若い乗客の鼻先に突き出す。
 柔らかな、薔薇の香り。
 ふきふき。
「はい、おヒゲ、綺麗に成りました……それではお客様、良い旅を。」
「あ、どうも……。」
 赤面する青年にもう一度微笑み掛けながら、美しい乗務員は畳み直した白いハンカチを胸元に戻した。

 飛行機はまだ、来ていない。
 ローマと「島」を結ぶ道は、主に船か飛行機。船は最近になって月に一度の連絡船が通うように成ったものの、島の周囲の海域自体が複雑な潮流と浅い喫水からなる難所に位置しており、唯一の連絡船にしてもGメン肝入りの特別船と来ている。これもまた吸血鬼の保護と人間との融和を目指すICPOの方針の一環なのである。
 足回りが良くて安全な飛行機の方はと云うと、なんと定期便が存在しない。そもそも島に住む吸血鬼と半吸血鬼人の殆んどが大蒜(にんにく)の臭いに耐性を持たない為、そもそも大蒜を使った料理が大勢を占める地中海諸国へ旅行に出るような酔狂な島民も居ない。まあ自給自足では補い切れない最低限必要な物資を運ぶ連絡船が有れば、未だ贅沢を知らない長閑(のどか)な島民たちに不満は無いらしい。従って飛行機は小型のものをチャーターする必要がある。
 で、その飛行機が、まだ来ない。
 まあこの国では珍しい話ではない。運用可能ギリギリの状況で分刻みのスケデュールをこなそうとする日本の大空港と違い、この時間の流れが遥かに緩やかな国では国際空港と謂えどこうした事はよく起こる。
 ピートもそんな事は百も承知であるし、寧ろこっちの方が慣れている。しかし今の彼にはこの緩やかな時間が煩わしく、実に不快な物に思われる。……それは、余計な事を考える時間が出来てしまうからである。
 小型飛行機用のこじんまりとした滑走路の傍らで、ピートは水色のスーツの上着を脱いで肩に担ぐ。馬鹿みたいに晴れ渡った青空の拡がりが、彼をやんわり押し潰そうとしているようだ。
 首筋を、少し緩める。少し汗ばんでいる、そんな感触。
 Brrrrrrrrr
 頭上を、プロペラの耳障りな音が通過する。
 ピートは思わず見上げていた。そして目が合った。
 これからに備えて光と熱の発散を出し惜しみする、初夏の太陽と。

* * * * *

 煉獄炉ははっきりと、その威容を減じていた。光と熱の発散を惜しむかの様に。
 血と汗と涙でぐしゃぐしゃに成ったピートの視界の中で、母の姿は毅然として在った。しかし、その生命力を表す徴(しるし)は炉の様相と同期する形でその輝きを失っていっている。
「そんなの、だめだ……。」
 彼の目には判り過ぎる位、明らかに今のテレサの状況は絶望的である。そしてこうして言葉を、自分の思いを我武者羅に搾り出す事しか出来ない今の己の無力が心底恨めしい。
「……ドクターカオス! 彼女を……お袋を助ける事は出来ないんですか!」
 カオスの肩が大きく震える。今、藁(わら)にも縋(すが)りたい青年の期待を一心に受けて。
 そして老人は……首を横に振った。
「……既に500余年の時間の重圧がテレサの身体を蝕んできておる。もう……。」
 言葉を続ける代わりに、並びの悪い歯根を軋(きし)らせる。
 テレサの首筋を捕えたヌルの触手の痕が、欝血(うっけつ)して黒い帯と成っていた。そしてその上、心臓により遠い部位である頭部も、徐々に黒ずみ始めている。
 急速に、肉体の腐敗が始まっていた。
「…………」
 ピートは黙り込んだ。もはや搾り出す言葉すら、見失った。
 自分の神への呪いの文句も、祈りの言葉すらも。

「ああ、慈愛溢れる神様。わたくしは貴方に感謝致します!」
 その時発せられたテレサの声は、やや擦(かす)れている。
 彼女は胸元で静かに手を組んで、天を仰いだ。
 天井を這う配線の一部がスパークして瞬間、女の顔を白く照らした。
「こうして今わたくしに、嘗(かつ)ての恩師と……成長した息子と相見(あいまみ)える事をお許し下さったのですから!」
「!」
 絶望的な状況に関わらず否、その様な状況だからこそ素朴な信仰心から導き出される事と成った、至高の存在への感謝の言葉。
 ピートにしてみれば、自分が初めて神聖な力を行使できる様になって以来、意識する事の無かったそんな単純な真実。
「お袋……。」
「……ピート。」
 閉じていた瞼を薄く開き、母が息子の姿を捉える。
 気が付いたら、二人は互いの息が掛かる程に迄接近していた。夫人の顔からは先程の悲壮感は跡形も無く消え失せ、慈しみに溢れる笑顔が薄暗い地下室を照らし上げている。
 母はゆるゆると手を解き、やや高い位置に在る息子の頭を両手で挟む。変色した母の手は既に冷たく強張っていた。息子は二周りは大きい男の手を、その上から添える。
「大きく、強く、立派になりましたね。こうしてみると本当にあの男(ひと)にそっくり。」
「……。」
 やはり、母は、あのろくでなしの事を……。
 ピートの顔が、微妙に曇る。しかし母はそれには気付かない様に、淀み無く続ける。
「……550年も経つのに全然大きくなって呉れないから心配していたのですよ。」
 ピートは愕然と成った。ピエッラ――生まれてから550年近くになる筈のこの時代の自分――が今だに幼児であった事を今更ながらに思い出したのだ。
 テレサは軽く咳き込んだ。しかし、口だけは忙しく動かし続けた。
「小さい貴方は、夜眠るのが大嫌いでね。わたくしが幾ら子守唄を唄ってあげても、泣き出すか逃げ出すばかり。結局、城のどこかで疲れ果てて眠っているのをベッドの上に戻してあげて。それも毎晩毎晩。……あれはやっぱり吸血鬼としての血の所為、なのかしら。「死せる定めに身を置かぬ者は、死せる者へ捧げられた言葉を理解する事が出来ない」から……子供の成長を祈り願う「子守唄」もまた、その子供を生の苦界を通り、死の運命へと導き誘う物だから、永遠(とこしえ)の生を夜の暗闇の中に求め欲する者たちには……。」
 吸血鬼は不死の定めに在る存在。つまり生者に向けられた「子守唄」を体で理解する事は叶わない。例えその意味を頭で理解する事は出来ても、体はそれを拒む。そして吸血鬼は「子守唄」の恩恵を受けられず、成長を止めてしまう。
 今度は深く、咳き込んだ。
「吸血鬼向けの「子守唄」を唄えば問題無かったのかもしれない。でも、それは出来なかった。あの子守唄はわたくしの、大切な唄だったから。前向きに生きていこうと決意したあの日の……証だった、から。」
 ピートの傍目に、カオスの外套が微かに揺らいでみえた。

 耳障りな騒音の高まりと共に、煉獄炉の発光が俄(にわ)かに強くなった。

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