ザ・グレート・展開予測ショー

静夜


投稿者名:黒犬
投稿日時:(02/ 1/13)



 本日の美神令子の運勢は、最悪の一言に尽きた。
 報酬の高さに釣られて引き受けた、人里離れた深山での仕事。思ったよりも手強かった敵。愛車のエンジントラブル。こんな山奥も奥の草原で、座って迎えを待つしかない、この状況。

 けれど。けれども。

 不思議と悪い気分ではないのは、静寂を運ぶ澄み渡った夜の風と―――

「美神さん、寒くないッスか?」

 この、背中越しに感じる体温のせいなのかもしれない。












“静夜”












 夜は何も言わず、ただそこにある。それはいつも変わらない。

 銀砂を敷き詰めたような真夜中の空。共に浮かぶは真円を称える月。
 周りには山々。緑に萌える草の匂い。投げ出した両の脚。その膝裏に感じる土の感触。時間さえも止まったように感じる、この場所。

 何もかもが、まるで音を立てることを忘れてしまったかのような空間。喧騒から、人の営みから、雑音から、色々なものから切り取られた小さな世界。

 そんな場所にふたりきり。腰を降ろして脚を投げだし、背中をくっつけあって座っている。

「やっぱ、都会と違って星がよく見えますねぇ」
「そうねぇ…」

 背中越しに聞こえて来た声に、ぼんやりと相槌をうつ。

 彼。
 年下の彼。
 仕事の助手。有能なGS。希少な霊能の使い手。
 それから………それから?

「ガキの頃は星を見るのが好きで、よくひとりでボーッと夜空を眺めてたんですよ」

 彼の話を聞きながら、ちょっと頭を傾けてみる。
 結構いい景色が見えて、これだけでも来てよかったかな、なんて少しだけ思った。
 でも、緑だけのキレイな景色はなんだか少し寂しくて。
 だから、こっそりと気づかれないように、後ろの背中に少しだけ身をすり寄せた。

「真夜中に家を抜け出して、空き地に寝っ転がって夜空を見上げて……」

 胸の奥に小さな明りが燈る。背中に感じる彼の体温が、うっとりするほど心地よい。
 込み上がってくる安心感に、ゆったりと身をゆだねる。彼の背が、彼女より随分高いことをふと思い出した。

「その頃は毎日、こんなふうに空を見上げて……」

 こつん、と音をたてて、空を振り仰いだ横島の頭が、彼女の頭に当たってきた。やわらかい髪の音。ほんの少しだけ増えた、ぬくもりの接点。

 けれども、彼の頭はすぐに離れてしまって。
 あ、すんません。そんなことを言って。
 だから―――

 こつん。

 離れた頭を、追いかけてやった。

「美神さん?」
 
 驚いたような、戸惑ったような彼の声が愉快だった。
 だから、一度頭を離して、また。

 こつん。

「美神さん…」

 くすり、と笑う声が聞こえた。
 途端、眩暈がするほどの困惑と羞恥が沸き起こってくる。

 ―――ちょっと待って、美神令子。あたしってば今、なにしたの?

 カァッと頬が熱くなる。背中から聞こえてくる、クックッと押し殺した笑い声が、無性に小憎たらしい。
 助手のクセに。丁稚のクセに。下僕のクセに。
 そうだ。横島の分際で自分を笑うなど、万死に値するではないか。罪には罰を。罪人には鞭を。ご主人様を嘲笑う丁稚には、然るべき報いを。

 なのに―――

「へへ。今日の美神さん、なんだか可愛いッスね」

 そんなことを言うものだから―――

「……ばか…」

 ――と、それだけしか言えなかった。












 気づいてしまった。その背中の広さに。
 気づいてしまった。その背中のぬくもりに。
 気づいてしまった。その背中に身を預ける心地よさに。

 ―――気がついてしまったんだ。












「―――だから、笑ったのはすんませんって」

 背後から聞こえてくる、情けない声。もう三十分もひたすら謝り続けている。

 こんなところばかりは、初めて出逢ったあの頃と少しも変わることがなくて。

「許してくださいよ〜」

 それでも、無知で幼かった少年は、いつの間にか大人びた光をその瞳に宿すようになっていて。

 ふと気がつけば、ただ優しいだけだった少年は、迷わない眼差しを手に入れていた。暖かな、包み込むような微笑みを手に入れていた。守りたいものをただ守る、そんな強さを手に入れていた。

 彼女はその強さが大好きだった。そして少し羨ましかった。

 ―――だから、なのかも知れない。思わず、こんな言葉が零れて出たのは。

「……ねぇ、横島クン」

 ―――あぁ、あたしってば、なにを言い出すつもりだろう。

「こんなふうに山奥で星を見上げるのって、悪くはないわよね?」

 胸の奥で、止めてよしてと喚き叫ぶ自分が居る事を自覚している。でも、止められない。止める気がおきない。

 止めたら、心が破裂してしまうから。心が死んでしまうから。

「またいつか、こうして星空を眺めたいな……」

 この暖かさを、想いを、熱を、どんな言葉に乗せたならあなたに伝わるのだろう?
 想うだけじゃ、言葉を越えられなくて。
 言葉はいつも、想いを越えられなくて。

 それでも、伝えずにはいられなくて。

「その……また、ふたりで……」

 言ってしまった。
 言ってしまってから気がついた。
 これではまるで愛の告白。いや、告白そのものじゃないか。

 後悔。慙愧。―――でも、もう遅い。
 零れ落ちた言葉を拾いなおす事は出来ない。無かったことにはできない。

 胸の奥で、プライドという名の心の鎧が悲鳴をあげている。

 プライドは、彼女にとって梱包された箱のようなものだった。
 豪華で煌びやかで、誰もが羨むような箱。そしてその中は、狭くはないが、広くもない。居心地は悪くないが、でも決して良くはない。
 ここからは、どこへもいけない。
 ここには、誰も入れない。

 ここに居る限り、誰も彼女の心を傷つけられない。誰も、彼女の心にふれてこない。

 そのはずだった。はずだったのに―――

「……いいですよ」

「――っ!?」

 何かが、彼女の中を通り過ぎていった。ずっとずっと後ろから、彼女の中を通り抜けて遥かな先へ。
 何故か、それはその言葉は自然に、素直に彼女の中に入ってきた。その言葉が胸を満たし、彼女の刻を凍りつかせる。
 
 動かない瞳。
 動かない唇。
 心だけが動いている。

「いつか、また一緒に星を眺めましょう……ふたりで……」

 動かない瞳から、ひとしずくの涙が零れた。
 彼は急に真剣な、怖いくらい真剣な顔をして。
 でも、すぐに表情を和らげて。
 涙を拭ってくれる。

「イヤ……ですか?」

 いつもより少し低い声。
 何も言えずに首を横に振る。
 そんな彼女の仕草は幼く、彼にはきっと子供のように見えただろう。

「よかった……」

 彼が微笑う。少年のように。
 大切な宝物をみつけた少年のように。

 横島の大きな掌に包み込まれる、彼女の手。
 ゴツゴツと骨太く、力強い、女の彼女とは明らかにつくりが違う手。
 
 ちょっとだけ、手が冷たかった。


















 蒼い蒼い星の光。降り積もる静音。

そっと、唇をあわせた。
 お互いの体温を交換するくらいに、長く。
 呼吸さえ忘れてしまうくらいに―――長く。

 とろけるような優しいキス。じっくりと時間を掛けて彼女の口内を愛してゆく。

 胸が熱い。今まで感じた事のないほどに。

 彼の唇。
 彼の眼差し。
 遠慮がちに抱きしめてくれる、彼の腕。

 その全てに酔いしれた。




 夜空には、星が輝いている。心なしか、さっきよりもその輝きを増している、そんな気がした。

 ―――この星空を、きっと忘れない。
 
 彼の唇の暖かさを感じながら、そんな事を思った。




















 ――彼。
 私にとってのアルカロイド。
 そこにいると安心するもの。いなくなると落ちつかないもの。傍にいないとイライラするもの。
 そこにいるのがあまりに当たり前すぎて、もうそれがないと生きていけないもの。
 求める事を、求め続ける事を、止めることも抑えることもできないもの。

 蜂蜜よりももっと甘い、私を酔わせるもの。

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