ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(38)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(01/12/11)

『……ぉのれ……ぉのにんげんふ……ぃめぇ!!』
 無音のノイズの彼方から切れ切れに聞こえてきた男の裏声。
(人間風情、か……。)
 この声が自分に向かって吐き出された物でない事を悟る彼の薄い唇は、微かな震えを伴いながらも不器用に笑みの形を作ろうと試みる。
 が、これではどう見ても、泣き顔の様にしか見えない。

 プロフェッサー・ヌルの魔法の触手「毒」から発せられた猛毒は、その時霧状に変化していたピートを構成する要素の隅々に作用し、集中が解け人型に戻った彼の全身をその細胞の一つ一つに至るまで容赦無く犯し続けていたのだ――つい今しがた迄。
 しかし彼の内を流れる高貴な血統は、そのまま彼を横死に任せる事を潔しとはしなかった。通常の物質生命体の一生分をも凌(しの)ぐ程の代謝能力は、彼の身体を蝕(むしば)む強烈な毒素を驚異的な速度で分解・排出していったのである。全身を覆い毒物による支配を過剰な迄に誇示していた深緑色の染みも、今ではかつての趨勢(すうせい)を微かに衣服の所々に残すに止まっている。


 以前、吸血鬼の代謝機能――まあ非常に大雑把に云うと、古くなったり傷付いたりした身体組織を新しいものと交換したり、老廃物や不要物を排出する代わりに栄養素を補給したりする一連の身体機能の事――について、ピートはヘルシング教授から興味深い話を聴いた事がある。
「……いわゆる吸血鬼には、通常の生物の範疇(はんちゅう)を逸脱した代謝機能が備わっている。例えば普通の人間では致命傷と成りかねない大怪我すら、遅くとも一月程で完全に跡形も無くなってしまう程の回復振りを見せる。それにそれだけの代謝機能が備わっていながらも、老化の速度が著しくに緩(ゆる)やかであるのは、『ゾウの時間・ネズミの時間』の――一生の間での心拍数が、どのライフサイクルを持つ動物でもほぼ同じである――例からしても、生理学的にも大きく矛盾する処であろう……尤(もっと)もこちらは私の専門では無いのだがね。
 まあ、そもそも吸血鬼の肉体は自由に霧状に変化したり、生物の精気のみでも維持できる事からも明らかなように、一般の生物とは身体を構成する物質そのものが異なるのだから、普通の生物学やら生理学やらが上手く当て嵌(はま)まらないのは寧(むし)ろ当然の事だ。」
「構成物質そのものが、異なるのですか。」
「まあ、そうは云っても、自ら専ら人型に物質化し、また他の生物や物質をも霧化できると云う事は、お互いにそれ程迄に遠い存在であると云う訳でもあるまい。現に、君の様な交雑種も多からずも少なからず、誕生しているのだからね。」
「…………。」
「……話が少し逸れたみたいだな。
 そこで我々心霊学者は、既存の学問との間に生じた矛盾を正すべく、新たな学説を構築しなくてはならない……彼らにもほぼ人間と同じ部位に心臓と云う生命維持に欠くべからざる器官が備わっている以上――仮にそれが擬似的な物であるにせよ――、生理学的にも生物学的にも心霊学的にも共有されるべき点は多々存在するだろうし……何しろ心霊学だって立派に独立した一個の科学なのだからね。
 ……話を戻そう。
 そこで私の仮説なのだが、彼ら吸血鬼はその代謝機能の殆(ほとん)どを身体の外部に任せているのではないかと思う。丁度生物が腸内の細菌や寄生虫に消化機能の一部を手助けして貰っているようにね。問題はその外部が何かと云う事なのだが……抽象的との批判を恐れずに敢えて言うならば……「自然」だろうか。」
「……「自然」。」
「うむ。人間の中にも大地のエネルギィを引き込んで利用する霊能力の例が幾つか報告が為されているが、吸血鬼はそのように自然と云う物を空気の様に極当たり前に活用する術(すべ)を身に付けているのではないか? 大自然が味方であるならば、例え心臓の活動が余程緩やかなものであっても身体そのものに加えられるストレスを軽減できるので結果長命を実現できる、と云う訳だ。
 ……君の父君の場合、戦の折りに身体に過剰な負担を掛け過ぎた為、回復が遅れているのだろう。回復と云う作業自体も、身体組織の根本的な部分へのストレスと成り、寿命を一気に削る事にも成りかねないだろうからな。
 何か質問は有るかね?」


 かくして、ピートの全身を汚し続けていた猛毒は如何なる原理かはともかくとして、全身を覆っていた染みは微(かす)かな蛍光色の点滅を繰り返した後にその色を次第に減じていく。感覚としては毒物の粒子が無毒化されて、細かい粒子と成って再び空気中に放散される感じ、だろうか。
 元々青白く透けている彼の肌も、染みの無くなった部分には健康的な赤みが仄(ほの)かに差し込んでくる。次第に蘇(よみがえ)りつつある五感の感触を確かめるように、ピートはゆっくりと両手を握り締める。
 思いっきり突っ伏していた石の床は、思いの外冷たくはなかった。

「……ぁめろぬる、……ぅはやめててれ……ぁなすんじゃ!」
『ふふ、さぁ……ぇさ、このろをは……ぅるのです!』
 復活しつつある聴覚に暴力的に飛び込んできたのは、男たちが議論する声。
 状況を見極めんと、両手に渾身の力を篭めて、上半身を起こす。
 そこにはドクターカオスは身体を曲げて蹲(うずくま)っている。土気色したその頬に浮かぶ蚯蚓腫(みみずば)れから、どす黒い血が流れていた。
 更に目を上げた、その先には。
「……無駄な事です、ヴィットーリオ・ヌル。今貴方がその姿を維持するのにも必死である事は、私にも判ります。しかし認めるのです、貴方の今の「力」の程を。」
 プロフェッサー・ヌルの何本もの太い触手に羽交い絞めにされる格好のドレスの麗人――テレサが、首筋に絡む触手の震えを見遣る。不思議とその視線には、或る種の柔らかさと暖かさが滲んでいる。
「…………」
 ヌルは息も荒々しく、ただ只管(ひたすら)その縛(いまし)めを強める。まるで唯一の命の支えにしがみ付こうとするかの様に。
「そう、それが今の貴方の「力」なのですね。もう、何かにしがみ付く事しか叶わない程の。」
 テレサは、ヌルを見る視線をそのまま……我が子へと移す。
「……ピート、ヴィットーリオに認めさせてあげて。私たちがお前に教え伝えてきた、お前自身の「強さ」で。」
 堂々としたその口調とは裏腹に、その深青色の眼差しに一瞬、祈りの光が混じる。
 が、直(す)ぐにそれは、明確な意思を伴う輝きに取って代わった。
「お前は私とブラドーの息子の筈です……どうしたの、もっとシャンとしなさい……男の子でしょ!」
 硬直していた全身の呪縛を破る様に、ピートの眼前が瞬間眩(まばゆ)く閃(ひらめ)いた。


 ピートの意識は、再び過去のヘルシング教授の研究室へと飛ぶ。
「……何か質問は有るかね?」
「議論とは直接関係の無い質問なのですが……宜しいでしょうか?」
「……許可しよう。何だね?」
「何故吸血鬼は、好んで人の形を採りたがるのでしょう? 変身だって霧化だって比較的自由に出来ると云うのに、何かと面倒事を背負(しょ)い込み易い人間の姿を敢えて採る。……教授は如何お考えですか?」
「そうだな……。
 先(ま)ず社会心霊学の観点から、吸血鬼伝説の発生そのものが生ける屍に起因するから、と言えよう。適切な作法で埋葬されなかった人間の死体に不可思議な存在が宿り、真夜中に恐ろしい姿で家族や恋人の元へ訪れる、というのが吸血鬼の起源である処の東欧に流布している伝説の骨格である以上、彼らが人間の姿を採るのは必然と云える。
 次に系統心霊学の見地からでは、地上における最も優れた精神活動をする種の形の究極として万物の霊長たる人間の形があるから、とも言われている。これは強大な力を持つ神魔や怪物……果ては宇宙人ですらも人間型を採る者が近年増えており、それ以外の者は太古に滅びていたり住む世界が著しくこの地上と異なっている場合が多い事からだ。つまり進化論で云う処の「淘汰」の末に現在のこの形に落ち着いた、という訳だ。
 最後に、これは比較心霊学の立場から。人間の姿形そのものがキリスト教を始めとする色々な宗教で云う処の「神の似姿」であるから、とも言える。」
「神の、似姿……。」
「そう。万物の創造主たる至高の存在が自身の様に愛し慈しむ存在として、また自身の描く理想の世界を担う代理者として、創られた存在。吸血鬼すら、その例外では無かった……と云うのは、科学は科学でも旧(ふる)い意味での科学、つまりが神学での話だな、これでは。しかも異端じみている。まあ、うちのアンを含めた篤信(とくしん)な連中にはくれぐれも内密にな、はははは……。
 ……何かの参考には成ったかな?」
「はい。どうも、ありがとうございました。」
「うむ。」


 閃きから、ピートの視覚が開放される。
 何故だか息遣いが荒かった。強く前方に突き出された両掌は手首の所でぴったりと合わせられている。両腕に確かに残る熱の残影が、先程の閃きの正体がその両掌から発せられた物である事をはっきりと示していた。
 その腕の先には、中央部分――かつての古傷――を奇麗に穿たれた蛸の頭が、静かに立っている。
 それは気後れする位にゆっくりと麗人の縛めを解いた後、回り損なった独楽(こま)のようにその場にどうと倒れ込んだ。

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