ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(35)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(01/11/16)

 煉獄へと通じる炉――正確には「炉」ではなく、異界への扉を開く為の空間歪曲装置――からは、燃え盛る青い業火の熱を止め処無く放射し続けている。その半径5メートル弱の球形の外殻から滲み出る猛烈な熱気に、あたかも炉そのものが赤熱しているのではないかと云う錯覚に捉われそうになる。見鬼の才のあるものならば、その霊的放射の凄まじさに思わず目を背けてしまう者も少なくないだろう。

 ぷすーー……

 何処から出たか、間抜けなガス抜きの音が響く。
 しかし、それを笑うものはこの部屋には居ない。何故なら炉の傍らには頭部を蛸の体とそっくり挿(す)げ替えた格好の学者風の悪魔――プロフェッサー・ヌルが堂々と立ち、脇に控える彼の下僕たる巨漢筋肉男――人造吸血鬼・スックベ01と共に、穴の開いたボロ袋のように横臥(よこた)わる三人――半分石化した美神、同じく横島、全身緑色に変色したピート――を見下ろしていたからである。

 触手で「口」の辺りをたっぷりと湿らせる仕草の後、ヌルが声を発する。
『……さてさて、漸(ようや)く温和(おとな)しく成ってくれたみたいですね。ワタクシとしましても、余り手荒な真似はしたくないのですよ。何せ貴方がたはワタクシにとって貴重なサンプル……いえ、ご馳走なのですから。』
 丸い蛸の瞳が急に細められる。まるで見る者の心臓を締め付けるかのように。
『先(ま)ず前菜(アンティパスタ)として、スィニョーレ・横島、貴方から調べましょう。』
「でぇっ、何で俺が? そりゃあ恨みが積もり積もってるのは解るが、俺なんか美神さんの丁稚奉公の、ぺーぺーのぺーぺーなんだぞ!」
「……アンタにゃ、プライドってもんが無いの?」
 床面に顔を擦り付けたまま泣きを入れる横島に、やはり床面に顔を擦り付けたまま美神がツッコむ。が、ヌルは明るい調子で返す。
『そんなに謙遜なさる事はありませんよ。先程ワタクシに不意打ちを喫(くら)わせてくれたり、石化光線をほぼ100パーセントの反射率で跳ね返したり……いやはや流石は東洋の神秘、変幻自在で実に興味深い。』
「……なっ、バレバレっ? ……あーーーっ厭だーーーっ! 耳の穴からちゅるちゅる脳味噌を吸うのだけは勘弁してーーーっ!」
「え〜い、鬱陶しい、黙らんかいっ!」
 鈍い音と短い悲鳴が上がると共に、横島の鳩尾(みぞおち)に伸ばした神通棍の先がめり込む。ほぼ完全に沈黙した横島を横目に、ヌルは額の汗もそのまま口を開く。
『そして一皿目(プリーモ・ピアット)は、スィニョリーナ・美神。以前貴女がワタクシの行動を先読みしたその能力、大変食指がそそられますよ。』
「……パスタやリゾットと同じ扱いだなんて、一寸私を軽く見過ぎてるんじゃなくて?」
 美神が上目遣いに抗議する。が、ヌルは一瞥を返すのみで視線を引き取る。
『いよいよ二皿目(セコンド・ピアット)。ピエッラ……もとい、ピエトロ坊ちゃん。究極の兵鬼・人造吸血鬼の完成には、上位種の吸血鬼の血を受け継ぐ活きの良いサンプルが必要不可欠です。それに……吸血鬼と人間の交雑種の能力は親の吸血鬼のそれを凌(しの)ぐ、と謂いますから、まさしくメインに相応(ふさわ)しいではないですか、ねえ、坊ちゃん……おや?』
「…………」
 ピートは瘧(おこり)の様に小刻みな痙攣を繰り返している。依然として激しい中毒症状に陥っているのだ。
 何せ霧状に変化していた処に霊的親和性の高い毒ガスをお見舞いされたのだ。人型に戻った彼の全身は爪の先から肌、髪の毛に至るまで、所々に黄緑色の色彩がマーブル状に浮かんでは消えてを繰り返す。白かったシャツのあちらこちらは、自らの吐寫物で赤黒く汚れている。
 それを見るヌルの瞳には、冷ややかな哀れみの光があった。
『まあ、坊ちゃんなら死ぬ事はありますまい。暫(しばら)く静かにして頂く方がこちらも助かります。さて、いよいよ最後の甘味(ドルチェ)ですが……それは、貴女です。』
「……また私なの? てっきりカオスだと、思ってたけど?」
 嫌悪感に引き摺られるように、美神はゆっくりと言葉を逃がす。キヌの名前が出てこなかったと云う事は、彼女の能力はまだヌルには悟られてないらしい。ならば、薮蛇は避けるに越した事はないので、而(しか)してカオスの名前が挙がった訳だ。
 無駄話でも、とにかく今は少しでも時間を稼がねばならない。たとえ再起に賭ける希望が僅かな物であっても何某か人事を尽くしていた方が、来るかどうか判らない天命を待つよりかは遥かにマシだ。
 幸運な事に、ヌルは無駄話が得意のようだ。
『無論ドクターカオスにも「協力」して貰いますよ……しかし今の老化の進んだ彼には、以前ワタクシと争った時の様な体力は残っていないでしょう。スィニョリーナ、どんなに年代物の葡萄酒(ヴィーノ)でも、栓がしっかりと締まっていなくては何れ只の酢に成ってしまいます。まあ、その栓の役目はきっとテレサ殿がしてくれる事でしょう。』
 つまり自分と協力関係にあるテレサをダシにしてどうこうしようと云う事だろうか。美神は興味無さそうに、新たな無駄話の話題を向ける。
「……で、出涸らしになった私に何の甘味(うまみ)が有るっての?」
『……ふふふふふふ。』
 「口」の周りが湿っているのか、忍び笑いが洩れる度にこぽこぽと、粘性の有る水が泡立つような音がする。しかし、その妙な笑い方以上に不気味なのは、先程まで何処かしら事務的な響きの有った声が、急に熱っぽく気色ばんできた事だ。
 石化した筈の右半身にまで鳥肌を走らせた美神を、ヌルはうっとりと見下ろす。
 冷たく押し黙ったままの美神の愛想にも、蛸頭は一向に構った様子は無い。それ処か重なる興奮の為か、上気した広い「額」の中央に、放射状の後光を纏(まと)わせた白い星状の傷痕がぼんやりと浮かんできた。
 かつてドクターカオスが放った止めの一撃、短銃の弾痕である。
『……ワタクシは鼻っ柱が強く一寸やそっとじゃ自らを曲げようとしないタイプの女性が、私の足元で恐怖し困惑し屈服する様を眺めるのが大好きでしてねえ……。ええ、勿論その為にはその女性の弱点を押さえるのが肝心ですが……そう、先程貴女が庇(かば)おうとした、あちらのスィニョリーナをね。』
 ヌルは素早く、触手の一本を後方に大きく振り被る。
「なっ……しまった!」
「……ん?」
 蛸頭こと脳味噌喰らいの能力……精神波を捕食し自身の知識とする、つまり読心能力(テレパセィ)!
 美神は急いで動かない身体を持ち上げようとする。失態を悔いる間すら惜しかった。
 半ば意識の無かった筈の横島も何か察したのか、美神の下へと這い急ぐ。
『甘味の筈だったのですが、気が早くて申し訳有りません。何分に甘い物には目が無いもので……まあスィニョリーナに一寸は火傷が残してしまうかも知れませんが、その時は皮膚を移植してあげます……吸血鬼の皮膚を! 第7の触手・「酸」!』
 触手が力強く、突き出される。その先端から無色の液体が迸(ほとばし)る!
 美神は動く左手で横島の奥襟をむんずと掴む。
「ぃやあっっ!!」
「……っでえ!」
 横島が何かをされた事に気が付いたのは、我が身が空中で半回転ほどした時。
 次に気が付いたのは、
「ぐへぇっ!」
『!』
 正面から何かに激突した時だった。

 その後すぐ、聞き覚えのある声が案外間近から聞こえてきた。
『……島さん、大丈夫ですか、横島さん?』
「……ぅん、あ、え、おキヌちゃん? あれ、さっきまであんな遠くにいたのに、何で……。」
 まだ星のちらつく視界にぼんやりと浮かぶ、声の主の果敢無い姿。その周囲には人魂が落ち着き無く漂っている。
「そうか、結局やられちゃったのか……ごめんよおキヌちゃん、せっかく生き返ったっていうのに、またこんな幽霊に……よーしこーなったら俺も死んで、」
『ちょ、一寸横島さん、あの寝惚けてないでっ……あん、そうじゃなくって!』
「止めるなおキヌちゃん! 寝惚けてないって……あり?」
 寝惚けていたらしい。
 己が指差した8時方向、「あんな遠く」には、幼児を抱えつつ壁に背を預け俯く少女。
 そして3時方向、己の右には同じ面影の、幽霊少女。
 漸く、合点がいく。
「成る程。……で、おキヌちゃんはこんな処で何幽体離脱してんの?」
『それは扉を開けようとして……なんて言っている場合じゃなくて!』
「ん?」
 その時。

 かちゃり

 機械的にロックされていた筈の大扉が開いた。
 横島が真後ろを振り返ると、枯れ木のような老人と若木のような麗女の奇妙な取り合わせがどたばたと中に踊り込んでくるなり、老人――ドクターカオスの方が甲高い声を上げる。
「でかした小娘! 無事だったか、美神に横し、ま……坊主、何やっとるんじゃ?」
「へ、何って……」
 カオスに言われ、思わず頭上を見上げて……横島は漸くキヌが言わんとしていた事を理解した。

 横島は、身長2メートル半の筋肉魔人こと人造吸血鬼・スックベ01に正面から抱き竦(すく)められているのであった。
 先刻派手にぶつかったのは、多分こいつだろう。
「ひいいいいいいーーーーーっっ!!」
 へーラクレースの様な凄まじい筋肉に包まれた巨体の抱擁を受けて、横島はもう一度気を失いたくなった。しかし大理石の彫像の様に硬く冷え切った肉のシュラフでは、そう簡単に寝付ける筈も無かった。

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