「怒りの日」(単行本派は注意)
投稿者名:TOMO.KIN
投稿日時:(98/ 7/23)
このタイトルはクラシック音楽・キリスト教に詳しい方なら
「ピン」と来ると思うけど、あの曲の一節からとりました
「終末の日」、地獄の門が開き、ちまたには悪霊が徘徊し、
「ヘルター・スケルター(地獄の狂乱)」の様相を呈す、
心有る者は神の名を呼び、心無き者は呪いの言葉を発する
悪魔はしばしの時を支配する権利を得る
人よ、心正しく保つがよい
見よ、神の軍団が裁きの剣を持ちてやってくる
心正しく持ちたるものには「白き衣」を、
悪しき者・不信心の者には「黒き衣」を、
くりかえす
「試練の時」心強く保ち、なにが正しき道かを知るべし
...と、まあ何処かの宗教の一節を持ち出してまで、
説教するつもりはないけど、
「ルシオラは死んだ」と、きめつけるのは「まだ早い」と思います
なぜかっつーと
「バイザー」が消滅しなかったでしょう?
彼女等の衣装が霊体(エクトプラズマorサイコプラズマ)製ならば
彼女の「死」と共に消滅するでしょう
「残った」という事は
「小竜姫のツノ」と同じように、
霊体代謝機能の低下=「冬眠モード」に切り替えた
と、考えられなくは無いでしょうか?
それでも、「消滅」の危機は残っていますが...
万分の一の可能性があると信じて
ルシオラは横島を送り出したのでしよう
各自が己のできる事を「最善」と信じて行動したと思うから...
某アニメの場合、周囲があれこれ騒ぎすぎて、
作者の人格まで誹謗する文が飛び交う事態にまでなりました
少なくとも、この作品(GS美神)はまだ続いているのです
心乱れるのはわかります(私だって部屋では泣いた)
けれども、このタイトル「ジャジメント・ディ」が意味するもの
それは「試練」を読者自身も試みられているのかもしれません
「マンガでそんな目にあいたくない」の意見はもっともです
されど...
「心がある事」は「喜び」も「悲しみ」も「怒り」もふくめ
それを感じる事自体が「生きている事のアカシ」なのです
「展開予想ショー」にだすべき内容か迷いましたが
@ルシオラは生きている可能性がある
A「ジャジメント・ディ」のタイトルの意味の考察
と、いう事で、皆さんの賛否の意見を聞きたいと思います
今までの 賛成:2 反対:2
コメント:
- 「始まりは終わりとともにある」「補完を...」 (NOMAD)
- いろいろ言ってる人がいますけど、私は安直な復活などクソ喰らえだと思っています。で、こちらの話ですが、確かにあり得る話とは思いますが、やはり違うと思います。確かにバイザーが体の一部と言う可能性はあるのですが、単なるアイテムという可能性もあるわけです。となると私は後者をとります。彼女のあの表情がとてもきれいでした。あれは「涅槃会」であったのだと思います。 (ホーエンハイム)
- 安直な復活などクソ喰らえって、それは美神さんの復活は主役だから認めても、ルシオラの復活は脇役だから認めないってことですか?上のかた。
- 違います。外野や出版社、作者の連載続行の人気取りなどのための「安直な」復活が大嫌いなんです。私が一番気になるのは好きな作品の質です。その品質を落とすような「安直な」ことはして欲しくないだけです。作品の品質向上のためならば主人公を殺そうが、脇役を生き返らせようが別に何をやっても良いとは思いますが、そうでないものはすべて「安直」です。キライです(うーん、感情論だな。反省)。 (ホーエンハイム)
- 「安直な復活案」とは思いたくなかったんですが...何とか「死なずに」再登場できないかと知恵を絞ったつもりだったんですが...私としては感情移入できるキャラを「つくって、殺して、さあ泣け」というような事はきらいだし、何処かで「あっ」と驚くどんでん返し、しかもあらかじめ伏線は張っておく...とのストーリーを信じてます(これも感情・論ですが...) (TOMO.KIN)
- あ、失礼しました。私はTOMO.KINさんのアイデアに対して「安直な復活案」と書いたわけではないんです。ただよそでは昨日の今日で、もう生き返らせるとか言う話が出始めていたので何とも言えなくて、つい。ここで書くべきことではなかったんです。すいません。あなたの場合は「復活」させるのではなく、「まだ死んでいない」とした上での解釈をねらっておられたわけですから私はむしろ評価させて頂いたつもりです(僭越ながら)。ただその上でもああした彼女の姿を見ると「まだ死んでいない」と言うのが私の場合は逆に選択したくなかっただけなんです(だからこれも感情論なんですね)。 (ホーエンハイム)
- こちらの早合点でしたか、ごめんなさい、ただね「死んだ」としたら、「そのまま」では「後味の悪いマンガ」になるし、「死んで」「生き返って」だと命の重みが薄れて、某作品(多すぎて特定はしない...笑)のように「嗚呼どうせこのキャラはすぐ生き返るさ。」というような緊張感の喪失には、この作品が陥って欲しくないのです...だからこそですが「感動的なシーンを創るために・あらかじめ死ぬ事を・約束されたキャラ」とは思いたくないのです。物語が進むと当初の思惑をこえて成長するキャラていますよね?(そのいい例が横島だと思いますが、いかがでしょう)...「ドラマのためならキャラの生き死ににはかまってられるか」というのもヒトツの正論だと思いますが、これがシリアスな「ストーリー・マンガ」なら何も言いません、「死んでも『幽霊』で会えるとする」にはあまりにもコメディーとしても笑えなくなってしまう...すいません、うまく言葉が見付からないので...「ルシオラはまだ死なず」、シリーズが決着つくまで、この立場で予想を立てさせてください。 (TOMO.KIN)
- あのバイザー、後で横島が叫ぶための小道具だと思ったよ。ちがうのかな? (さるすべり)
- 「読者を感動させる」のために「死ぬ予定のキャラ」を作ることの是非は難しいところです。私は必ずしも反対するわけではないんです。ただ、それは読者に気付かせないように巧妙にやって欲しいんですね。制作者のそういう裏の意図が分かってしまうと、どんなに感動的な場面を見せられてもどこかシラけた目で見なければならなくなりますから。この話がまだ終わったわけではないのでルシオラの生死を含めてあまり断定的な議論は避けた方が良いかもしれませんね。「後味」のこともまだこれからの展開次第ですし。ただ「キャラがすぐ生き返る」某作品のようなことだけはして欲しくないのは全くもって同感です。さるすべりさんのご意見も言われてみるとなるほど、と思います。結構ありそうです。 (ホーエンハイム)
- Dies iraeですか。いや、今それの合唱やってる最中なんで、つい。でもそのまま宗教的なものを考察に入れると、最後に来るのは「安息」すなわち「成仏」なのでは。「天界の住人として生まれ変わる」と考える手もありますが、ちょっと苦しいと思いますし。うーん、バイザーは、「冬眠」よりも「叫ぶための小道具」のほうがありえる話だと思います。 (ばーにー)
- 「死」を悟り、叫ぶための「小道具」としてのバイザー...だとすると、すべてが終わった後に横島は「それ」と対面するわけですよね?よくある「愛する者の死を知り、怒りでパワー・アップする」という手は当然ナシですよね?とすれば論理的に「横島がキレずにアシュタロスを倒す・撃退する」という結論になります。他のGSメンバーの機転や協力があったにしても、そうなれば「ルシオラの死」は「横島を戦線復帰させるためだけ」になります...パピリオが横島に「ルシオラの異変」を伝えるにしても...「絶叫」というより「慟哭」となるでしょう(知らされるまでは考えてなかった訳ですから)、その場合(けりがつく前と後では大違い)誰が横島の精神のなだめ役になるのでしょか...<追伸>「レ○イエ○」の一節をとった時から心の準備はしています、だけど、悟っていない凡夫としてはせめてもの抵抗としての予想・仮説ですから... (TOMO.KIN)
- 後の場合、なだめ役はいないんじゃないかなーと思うんですよね。悲しむ横島に美神が声をかけようとするが、カラス神父(漢字忘れた)あたりが肩を叩き首を振るという動作で止める。というのがパターンなんじゃないかと。 (さるすべり)
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