ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(31)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(01/ 5/ 2)

「♪ (Tell you, what it costs, you ought to know ...)」

 美神は聴こえない位の音量で鼻歌に興じている。何の事は無い。それは幼い頃から聴き慣れている、ロウテンポなヂャズの調べ。

 プロフェッサー・ヌルの神学講義などは適当に聴き流している。こう見えても数年間、唐巣神父に師事していたのだ。それに仕事柄、これしきの知識は常識の範疇である。それ以外にも興味の有る……この致命的な状況を打破する為のヒントと成り得る……情報が無いか注意していたが、特に食指をそそる話題は見つかっていない。
 そんな事よりも、今の美神に必要なのはダメヂの回復である。先刻ヌルの「嵐」の触手の威力によって瞬間浮き上がったと同時に、そのまま背中から6メートル程後方の壁に激突したのである。堅牢な石壁に背骨や肋骨を打ち据えられながらも、本能的に背を丸めたお蔭で頭部への直撃は免れた。しかし鳩尾の裏側に当たる部分を中心に侵入した衝撃はそのまま背骨を貫き、内臓器官の尽くを激しく揺さ振った。
 それから経つ事数分、美神はすっかり落ち着いた律動で腹式呼吸を繰り返し、霊力を自身の霊的中枢に集中させている。さっきまでは恐るべき凶器であった石壁に背中をぴったりと張り付けて、打撲による発熱と「治療」による粗熱を冷ましている。

 「肉体と心霊の接点」とも云える霊的中枢を霊的側面から活性化させてやる事で、或る程度の肉体の自然治癒力を一時的に強化する事は可能である。多くの霊能力者は自らの霊力をコントロウル出来るので、この方法を用いて肉体的損害を応急処置的に治療する事が出来る。まあこの方法はほんの気休め程度に過ぎず、本格的に治療行為はいわゆる「ヒーリング能力」に長けた者にしか出来ない。
 因みにキヌのヒーリング能力は、地脈から汲み出したエネルギィを対象に付与し回復するものである。これは彼女の肉体が地脈を制御する霊的機構に実に長い間組み込まれていた経歴にその因を求められる。云わば彼女自身はパイプラインから油を汲み上げるポンプであり、従って彼女のヒーリング能力によって彼女自身を治療する事は出来ない。

「♪ (Tell you, what it hurts, you ought to know ...)」

 微かなヂャズのメロディが漏れる唇に、徐々に色が戻ってくる。
 安らかな呼吸を繰り返しは、脳に新鮮な酸素を供給してくれる。
 白い腕が、取り落とした筈の神通棍の在処を突き止めてようとしている。
 輝きの戻りつつある瞳は、未だに喋り続けている壇上の男を捉えたまま。


「ふっ! ……なかなか、やるじゃないか!」
 ピートはグレイのスラックスの膝を地に付けて、大きな青痣の浮いた左腕で額の汗を拭う。
 肘まで捲くり上げられたシャツ越しに、喜とも苦とも付かない表情が覗く。
 彼の周りを、極々薄い霧状の「再生体」が包んでいる。衣服に隠された部分にも多くの打撲傷が出来ている証拠だ。
 人造吸血鬼スックベ01は瞳孔の無いギラギラした目で、霞の中に佇む美しい青年を見詰めていた。神秘的な物に魅入られたかの様に、その完璧に鍛え上げれた鋼の巨体はピクリとも動かない。
「主よ、彷徨える子羊に導きの光を与え給え……!」
 静かな声で祈願するピートの右手から、清らかな光が発せられる。
 青ざめた巨大な影が、素早く地を蹴った。
 ピートも勢い良く手足を伸ばす。
「ダンピール・フラッシュ!」
 ブンッッッ!!
 青年の声と共に、眩いの光と巨大な拳の影が激しく打突かった。

 ついさっき迄、ピートとスックベ01の戦闘は実に単調窮まっていた。
 スックベ01のギリシャ彫刻の如き圧倒的な肉体の前に、ピートの「男」の部分が大いに刺激されたのは事実である。GS資格試験の頃には人間相手ですら苦戦していた彼ではあったが、今では自分の吸血鬼としての一面を受け入れる一方で更に格闘技術に研鑚を積んだ結果、並の格闘家では相手にならないレヴェルにまで達しつつある。それ故怪物とは謂えこのような完成された肉体を目の当たりにして、彼の中の格闘家魂が揺り動かされるのは言わば必然である。そこでピートは「出来るだけ肉弾戦のみで決着を着ける」方向で戦う事を決意したのであった。
 しかし、ピートの期待は大きく外れた。
 この筋肉魔人は格闘において全くの素人だったのだ。ただ耐久力だけは見た目通りのタフネス振りで、一向に効果的な打撃を与えた気配が無い。暖簾に腕押し、糠に釘。この状態のままではピートの一人相撲が続くだけだ。
 闘いの流れが変化し出した切っ掛けは、ヌルの起こした「嵐」だった。

 煉獄炉を挟んだ部屋の向かい側の壁に美神が激突するのをピートは見た。
「美神さん!!」
 そう叫んだ彼の右掌から、悪魔への無意識の嫌悪の為か、聖光が集まる。
「!!」
 動かなかった山が、遂に動いた。しかも大きく、恐るべき速度で。
「ぐあっっ!!」
 スックベ01の丸太のような右腕がピートの右肩部分に炸裂し、床に叩き付けられる。受け身は取ったが、余りに巨大な拳は右肺をも打撃していたらしく、半身を起こしたピートの吐いた唾には血が混ざっていた。
 こちらが余所見をしていたとは云え、大振りのパンチをここまでクリーンヒットさせるのが偶然であったとは、ピートには思えなかった。やはり今までは「本気」を出していなかったのだろうか……彼が先程から抱き続けていた疑惑は大きく確信へと変わっていった。
 唾液の中の血が音も無く空気に溶けていく。それは薄い霧となってピートの右半身を被う。自分自身を抱き起こすように患部を庇いながら、よろよろと立ち上がる。
 その時、そいつはやはり青年を静かに見守っていた。

 ピートの読んだ通りだった。
 そいつはピートの聖光に過敏に反応し、超人的な戦闘能力を発揮する。型も何も無い荒削りで野性的な自己流格闘術だが、本気のピートすらも舌を巻くような動作のスピード、技のキレ、間合い取りのタイミングを有している。
 先ずは、スピード。
「くっ!」
 空振りしたパンチの勢いでそのまま詰め寄って、後方に飛び退こうとしたピートの右足を掴みとる。
 体重の多い者は動きが鈍いと一般には思われ勝ちだが、それは必ずしも当て嵌まらない。相手の動きを捉える動態視力、情報を伝達する脳・神経ネットワーク、そして瞬発性を司る速筋が発達していれば、素早い動きは可能である。
 次に、キレ。
「があっ!」
 ピートの体はラムチョップのように軽々と持ち上げられ、そのまま左肩から床に叩き落される。左手の聖光が弱々しい残影を描いて消える。
 相手の重心の動きを的確に読めば、その動きを逆に利用して相手の動きを制御する事は意外と容易い。この場合、ジャンプして頭上に逃れようとしたのが仇になった。
 最後の、テンポ。
「ちいっ!」
 足元に絡み付いて引き倒そうとしたピートの腕を逃れて、素早く足を引き、後方に退く。体勢の悪いピートには追撃は無理だった。
 自分の状況と相手の状況と周囲の状況に対して、的確な判断を遅延無く下す能力はやはり不可欠のものである。

 しかし、ピートもやられてばかり、と云う訳では無い。
 白兵戦において「殴られる」と云う事は、同時に「殴れる」事をも意味する。相手の手数が増えれば増える程、こちらのチャンスもまた増えるのだ。
 実際戦闘の流れが変わってから、有効だと思われる打撃を十数発与えている。幾らこの人造吸血鬼が脅威の体力を有していても、無尽蔵と云う訳ではないだろう。

 それこそが、ピートの犯した最大の誤算だった。


「……と云う訳で、質問は有りませんか、横島忠夫?」
 総時間にして18分25秒。今漸く講演を終えたプロフェッサー・ヌルは、壇上からギャラリィに向かって誇らしげに触手を揺らした。

「……ああ、だめだめ、だめだよ、おキヌちゃん! そんな事は……あっ、そんな……あああっ、ああっ……。」
「「……一体、何を妄想してる(んですか)?!」」
 互いに異なる理由で真っ赤に成った教授とキヌの双方から、同時に突っ込みが入ったその時。

 美神令子が遂に、動いた。

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